TOKYO ⇔ SAIGON そしてたくさんの街へ

東京とサイゴン、そして、いろいろな街を巡ります。

イメージとエピソード

2008-08-03 | Weblog

大事な娘の最後の記憶。

父のケアハウスに二人で一緒に行ったあの冬の夜。

娘は誕生日に買ってあげたばかりのコートを着ていて、ケアハウスの鏡に映しながら言った。「おかあさん、今度の休みに一緒にマフラー買いに行ってくれる?このコートに合うマフラーが欲しい。マフラーぐらい自分で買うからさ」

そのとき鏡に映った娘の姿、声、顔。

それだけは、絶対に忘れない、忘れたくない。そう思っていたのだが、年々そのリアリティは弱くなってゆく。それを思い出すには、その日の天気、気温、行動…そのように左脳で辿ってゆかねば、イメージとして右脳に描き出せない。大事な大事な、自分の娘の記憶ですら…。

あの頃はデジカメがなかった。記憶を一瞬でイメージに変える方法が、まだなかった。だから左脳で、海馬からとっくに無意識に行ってしまった脳の中の記憶を辿ってから、右脳のイメージに移動させているのだ。娘の記憶を。

今はデジカメがある。写真を右脳で見て「はて、これはなんだったっけかな?」と左脳に移動し、エピソードを思い出す。娘といた時代にデジカメがあれば、もっともっと娘との思い出、エピソードを、リアリティ持って思い出すことができただろうに。

この写真のイメージには、忘れたくないエピソードが詰まっている。10代から今までの、大事な人とのかすかな儚いエピソードの連鎖。この写真は、数十年のすでに消えかけたイメージをも想起せる。奇跡の冬の日。

わたしがもしアルツになっても、きっとこの写真を見れば思い出す。あの日の永遠、あの日の純粋、あの日の確信、あの日の真実、そして温もりを。

リアリティのなかに永遠はない。だが、イメージには消えない永遠が残る。

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