僕が独立した前後は、まだ景気は今程悪くなく、
世の中一斉に「ホームページ制作」を目指しており、
僕のようなフリーの人間にも、たくさん相談や依頼がきていた。
ホームページを作る方法や、管理の方法、そして書く内容、サーバについてなど、
知っている人がそれほど多くなかったので、
僕の知識や経験が重宝されていたのだ。
その後、とあるクライアントが「SEO」なる言葉を知り、
Googleに上位表示することに興味を持ち始めた。
勢い僕も、それについて勉強することとなり、
「ホームページを作ること」から、
「ホームページでアクセスを稼ぎ、そこからビジネスを発生させる」事が、
目的になり、さらに自分の価値を高めていくことに成功した。
その後巡り巡って、とある“一部上場企業”のWebMasterになり、
SEOに加え、Google AdwordsやYahoo Overtureなどのリスティング広告を組み合わせた、
Web Marktingの世界に、ドップリ浸かっていった。
企業のお金を使って、この世界の様々な手法を試して、
実際に売上につなげるMarketingの方法を勉強できたわけだ。
そのお陰で、この当時はかなり良いビジネスが展開できた。
メインのクライアントに加え、常時3~4社のコンサルを行い、
Webで顧客を獲得したり、ITの活用を指南したり、HPを作ったりと、
とても充実した期間だった。
しかしながら、世の中の流れは早く、
僕が行っている「Web コンサル」を中小のベンチャー企業が、
組織的にやり始めてしまう。
それでも一時は、大手企業も一斉にこれらの作業を行い始めていたので、
Web Marcktingのビジネスは、一時隆盛を極めた感があった。
そしてその後、これらの“人間の行っていた作業”は、
徐々に「自動化」が進み、僕が毎日行っていた作業は、
コンピュータが肩代わりしてくれるようになったのだ。
一見、「お、楽になったわい」などと思える状況ではあったが、
それによって僕は、職を失うことになったのだ。
あ~、まあね、そういう事もあるさ。
僕はFlashを中心とした「リッチコンテンツ」の制作に力を入れるようになる。
これも、長続きはしなかった。2年くらいかな、食えたのは。
昨今ではその“リッチコンテンツ”なんてモノはすっかり姿を消し、
ほんのアイキャッチ程度にしか使われなくなっていった。
結局今のところ、「機械を使うほどではない、小さなコンテンツ」だけが残り、
細々と制作作業をしている始末。
あ~、それなりに“時代の潮流”には乗っていたはずなのに、
いつの間にか、時代に追い越されてしまったようだ。
結局IT業界の栄枯盛衰って、普遍性はなく、いつも突発的にやってくる。
もう少し、ドッシリと地に足をつけたビジネスモデルを確立しないと…。
次の一手を考えるとき、
僕としてはやはり、「ある程度普遍的なニーズ」を得られるところを狙うつもり。
いくらでもあるはずだ。
地震、津波、原発事故という“大災害”も、
復興ビジネスに取ってみれば、“大チャンス”なわけだ。
と、カラ元気でも出して、ちょっと頑張らないと…。
東北方面への運転手でも探そうかな。
世の中一斉に「ホームページ制作」を目指しており、
僕のようなフリーの人間にも、たくさん相談や依頼がきていた。
ホームページを作る方法や、管理の方法、そして書く内容、サーバについてなど、
知っている人がそれほど多くなかったので、
僕の知識や経験が重宝されていたのだ。
その後、とあるクライアントが「SEO」なる言葉を知り、
Googleに上位表示することに興味を持ち始めた。
勢い僕も、それについて勉強することとなり、
「ホームページを作ること」から、
「ホームページでアクセスを稼ぎ、そこからビジネスを発生させる」事が、
目的になり、さらに自分の価値を高めていくことに成功した。
その後巡り巡って、とある“一部上場企業”のWebMasterになり、
SEOに加え、Google AdwordsやYahoo Overtureなどのリスティング広告を組み合わせた、
Web Marktingの世界に、ドップリ浸かっていった。
企業のお金を使って、この世界の様々な手法を試して、
実際に売上につなげるMarketingの方法を勉強できたわけだ。
そのお陰で、この当時はかなり良いビジネスが展開できた。
メインのクライアントに加え、常時3~4社のコンサルを行い、
Webで顧客を獲得したり、ITの活用を指南したり、HPを作ったりと、
とても充実した期間だった。
しかしながら、世の中の流れは早く、
僕が行っている「Web コンサル」を中小のベンチャー企業が、
組織的にやり始めてしまう。
それでも一時は、大手企業も一斉にこれらの作業を行い始めていたので、
Web Marcktingのビジネスは、一時隆盛を極めた感があった。
そしてその後、これらの“人間の行っていた作業”は、
徐々に「自動化」が進み、僕が毎日行っていた作業は、
コンピュータが肩代わりしてくれるようになったのだ。
一見、「お、楽になったわい」などと思える状況ではあったが、
それによって僕は、職を失うことになったのだ。
あ~、まあね、そういう事もあるさ。
僕はFlashを中心とした「リッチコンテンツ」の制作に力を入れるようになる。
これも、長続きはしなかった。2年くらいかな、食えたのは。
昨今ではその“リッチコンテンツ”なんてモノはすっかり姿を消し、
ほんのアイキャッチ程度にしか使われなくなっていった。
結局今のところ、「機械を使うほどではない、小さなコンテンツ」だけが残り、
細々と制作作業をしている始末。
あ~、それなりに“時代の潮流”には乗っていたはずなのに、
いつの間にか、時代に追い越されてしまったようだ。
結局IT業界の栄枯盛衰って、普遍性はなく、いつも突発的にやってくる。
もう少し、ドッシリと地に足をつけたビジネスモデルを確立しないと…。
次の一手を考えるとき、
僕としてはやはり、「ある程度普遍的なニーズ」を得られるところを狙うつもり。
いくらでもあるはずだ。
地震、津波、原発事故という“大災害”も、
復興ビジネスに取ってみれば、“大チャンス”なわけだ。
と、カラ元気でも出して、ちょっと頑張らないと…。
東北方面への運転手でも探そうかな。