VIVA! HOUSEKEEPING

家康を考える~其の四~


さて本日も自由出勤 早朝にTrainingしたかったが 起きられず 妻と長女は ラジオ体操に行ったようだ
ちなみにボクは この46年の人生で 夏休みのラジオ体操というものに 一度も出たことがない

朝は2時間ほど 次女と遊んで世話をして 登園 本日も 書類作成に 溝掃除に 保育の準備を行った
炎天下での作業は 特に堪えはしなかったけど アツかった アツいのは得意だが スキではない

T-shirtsが絞れるほどに 汗をかいた 

帰りにサロンに寄る 冷ややっこで一杯 ヤングがどうにもこうにもな話題でクダを巻いていて 詰まらない
BGMが雑音すぎるので さっさと飲んで帰宅 次女と一緒にニューヨークする サイコーね

4か月ぶりにBIKEでRoadworkへ 別にBIKEにノリたいワケではなく この時期のRunningがアツいだけ
まぁ BIKEに乗っていても 大汗はかくが 風を受けているので 幾分マシ っと言う処だろうか 空港まで


さて 熊野詣も終わったので 少し間が空いたけど 久しぶりに家康を考える
日本人を考えるうえで この処ご登場いただいております 征夷大将軍 徳川家康公でございやす

はい問題!!! 『天正10年』何が起こった??? 毒者はみんな知っていますよね??? 本能寺の変 信長急没
この日家康は 信長からお休みをいただき わずかな家来と共に 上方見物(堺泉州)をキメていた

その 慰安旅行中に 天下を揺るがす 一大事が起こった
明智を打つために帰還する間に またまた天下がひっくり返った 羽柴筑前の守秀吉が 明智を打った

もし 堺で慰安旅行などしていなかったら 家康の方が先に明智を打ったかもしれず 天下はひとまず 秀吉へ移った
そして家康 浜松城に取って返し まずは隣国を攻略し始めた 秀吉に対するにはまずは近隣を落としておかねば

家康にすれば 秀吉は 系列会社の親分に過ぎない それが 役員(信長の子どもたち)を飛び越えて さらには
パイセン(柴田勝家)を差し置いて 亡き社長の葬儀委員長を務めたくらいで 次の社長になろうとしているのだ

秀吉を知ったとき 家康は思ったに違いない 『ふぅん あの男がねぇ』 絶対そう思ったに違いにゃいにゃい!!!

当時秀吉はラッキーだった 信長の宿敵毛利勢を落とすため 臨時軍勢を借りていた 諸大名も指揮下につけられていた
つまり 臨時の契約社員的な部下になっていたのだ そのまま明智を打ち 天下人にまでググンとのし上がってしまった

当の家康には そういう幸運は ない… やはりこの男 "泣くまで待とう…" わたし待つわ(あみん)なのである
普通の人なら焦る でも家康は 男氣溢れる律義さに加え "待てる力"も持ち合わせた それも 才能ではないだろうか

いつか来るさと 悠々として 落ち着いてやるべきことをやる そんな人物は いそうでいて なかなかいない

本日の練習:登園RIDE 12㎞  BIKE ROAD 35㎞

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