VIVA! HOUSEKEEPING

家康を考える~最終回~


さて本日も 自由出勤 っていうことで 登園して 自分の仕事を のんのんずいずい
一見やることがなくても 自己研鑽や保育の下準備など 一歩踏み込んで考えれば やること満載です

帰宅 次女は 産院で ィ予防接種を受けてきたようで それから愚図愚図していたみたいで ィ夕飯の準備ZERO
って事で ボクが長女の夕飯を準備 そしてニューヨーク 育児をしていたら こういうイレギュラーも 日常チャメシゴト

trainingしようかと思っていたけど モウすっかりそんな時間も氣分でもなくなってしまい モウ怒って飲む
       
さて 家康である 日本人の骨格をなした人物の一人であろう 

家康は 長久手の戦で 秀吉を破った 秀吉勢の忠誠がウスウスだったのと 家康勢の武力が天下一だったため是
しかし勝ったにもかかわらず 秀吉と仲直りした それは天下が秀吉に傾いているのを感じたからではないだろうか

秀吉は長久手を境に 家康をRespectした 相手に恩を着せて和睦するとは 家康らしいやり方なのだが

その後家康は 上洛しなかった すれば秀吉の家臣になったことを 世間様に喧伝するのも 同じだったからだ
そして 満を持して 上洛 秀吉に謁見(!!!) 聚楽第での謁見の前夜 秀吉は秘かに家康の宿舎を尋ねたと言われる

ハイ ここから ピロートーク(ボクのモウ想ですね)

秀:『自分は天下を取って日も浅い それに卑賤の上りで 服従していても 腹では笑うものも多いかと思う
そこで折り入ってお願いだが 明日の聚楽第では拙者が上座になるから 言葉遣いも上から目線だけど 許してネ』

まぁ こんな風だったのではないか 上から目線も甚だしいが オタクがウチに服従すれば 世間の波も治まる と
で 家康は従った(ココすごいところだと思う) 結果 秀吉との新しい関係が 生まれた 

この噂は諸侯に喧伝され 家康が 律義にすればするほどに 世間は好感を持った 
『あれほどの者が 太閤様にお仕えしてくださっている』 と 重臣であればあるほど 胸アツだったろう

関ヶ原の勝利ののち 江戸幕府はできたが 天下を取るには 秀吉の子秀頼が 目の上のタンコブだった
しかし 早急にしては 秀吉恩寵の武将が動くかもしれないし 天下の世論も 大坂に向くかもしれない

しかし時間がない!!! 夏の陣で74歳の家康 安定した老後のために この氣の長い男は 策士になった
人生の最後のシーンを よりよくするために これまでのパターンを 変えなければならなかった

こんな話 今の社会にも 結構ありますよね 彼方此方に

って事で 家康と日本人と言う事を考えてきた 今の日本人を形成する礎になったんじゃないかと思う
しかし スキでもない人物を考えるのは イイ加減飽きてきたので まだまだ書きたいことはあるが 今回で幕としたい

イヤ 他にもいるんだよ 日本人を考えるときに 絶対に忘れてはならない人物が 
岩倉なんだけどね それは またの講釈で(茶川隆之風に)

本日の練習:登園RIDE 12㎞

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