私が真剣に競馬をやらなくなってもう10年くらい経つでしょうか。
とはいえ、いまだに一口で馬を持っていますし(社台の会員になって18年目)全く関わらないわけじゃないんですが…しかし、もう自分の愛馬のレースくらいしか興味が無い、そんな状態になってはや数年。
ぶっちゃけ昨年の牝馬クラシックを勝った馬が何なのか全くわかりません。そんなレベル。
知ってるのは「自分の馬と走ったことがある馬」だけ。
まぁそんな感じの昨今ですが、昔は血統とかバリバリ詳しかったのです。
まぁ血統論の大半はオカルトなわけですが、そういうのも把握した上で、トータルで(馬券や一口で必要十分な範囲で)血統に詳しかったわけです。
さて、そんな私が今の自分の愛馬の成績を見ていて、ふと自分の愛馬の血統評価みたいなのでも調べてようかな、と思いまして、ネットで例えば「走る○○産駒の傾向」なんてのを見てたんですが…
なんですか。いまだに血統では「プリンスキロ」だとか「ナスルーラ」だとか言ってるんですか。
私が競馬バリバリで血統バリバリだった頃は、確かにそれらは5代血統表でも見かける馬でした。
母がミスプロ直子なんて馬も一口で持ってましたし、そうなると5代血統表でナスルーラやプリンスキロは見かける名前。
そんな時代に「ナスルーラのクロスが」とか言ってるのは(ホントはだいぶおかしいんですが)まだ許せます。
しかし馬の世界は10年違えば完全に1世代変わります。
いまやサンデーサイレンスの名前が気軽に母母父に出てくる時代。
そんな時代の5代血統表に、ナスルーラもプリンスキロも(ネアルコでもハイペリオンでもなんでもいいですが)そんな馬出てきません。
今語るなら当然「ロベルトのクロスが」とか「ノーザンダンサーのクロスが」とか「ミスプロが…」でないとおかしいです。
20年前の血統論みたいなのが今でも昔と同じように語られている…これは、新しい(今の)血統の権威がいないからというのもあるのかもしれませんが、結局、競馬フアンの頭が固いんだと思います。
20年前覚えた血統論を大人になっても振り回している。
だからいまだにナスルーラとかリボーとかハイペリオンとかバックパサー。
古いって。
そもそも人間に置き換えてみればわかりますが、実は5代血統表ですらほとんど意味がありません。
「父のひーひーじーさんと母のひーじーさんが○○だからお前は足が速い」とか言われても「はぁぁあぁ???」と思うでしょう。そんな遠い先祖がたまたま同じ人だからって自分の性格や能力に大きな影響があると考えるのは無理があります。
「ひーひーばーさんがフランス人だから私外国っぽいんだよね」とかいわれたとき「そんな遠い先祖お前に関係ないだろ!」と普通に突っ込みますよね。
ところがそこを突っ込まないのが競馬血統のおそろしさ。
「4代父と5代父が○○だから東京芝に強いんだ」
真顔でそんな事を言っちゃいます。
血統のほとんどがオカルトだというのはそこにあります。
血統ではそこに一応統計みたいなものもとりますが、条件が多すぎる上にサンプルが少ないので統計として成立しないし。
「父○○で母父が○系の場合、中山ダート1200での相性バツグン」
とか、それいくつのサンプルで言ってるのか、と。
しかもその馬がそのときの人気馬であるかとか馬場状態がどうだとか休み明けだったのか、とかそういう多数の要素への考慮は全然なし。
なぜ考慮しないかというとそこまで考慮するとサンプルがほんとに少なくなって意味がわからないからです。
サンプルが少ないと1頭が穴をあけただけで「相性バツグン」になるわけですから。
ざっくり「ミスプロ系は湿ったダートで強い」(これも古いですけど)程度なら確かにそうだと思いますし、「グレイソブリン系は芝に強い」程度ならこれも統計とればそういう傾向が出ると思います。
そこまで枠が大きいとサンプル数も多くなるのである程度意味のあるデータになるからです。
しかしこれが「父フレンチデュピティは母方にリボーが入ってると○○」とかだと俄然眉唾です。
「条件が大雑把すぎる上にサンプル数が少ない」からです。
…と、だいぶ話がずれましたけど、要するにひさしぶりに競馬の血統関係のブログとかを見てたらいまだに「ナスルーラ」とか「プリンスキロ」とか化石のような名前が出てきてびっくりした、とそういう話でございます。
なんか新しい血統論を立ち上げるとお金持ちになれそうな気がしますけど、どうでしょうww
競馬で血統見るならブラックタイプ見るほうがまだ役に立つ気がしますけど、それはまた別の話。
とはいえ、いまだに一口で馬を持っていますし(社台の会員になって18年目)全く関わらないわけじゃないんですが…しかし、もう自分の愛馬のレースくらいしか興味が無い、そんな状態になってはや数年。
ぶっちゃけ昨年の牝馬クラシックを勝った馬が何なのか全くわかりません。そんなレベル。
知ってるのは「自分の馬と走ったことがある馬」だけ。
まぁそんな感じの昨今ですが、昔は血統とかバリバリ詳しかったのです。
まぁ血統論の大半はオカルトなわけですが、そういうのも把握した上で、トータルで(馬券や一口で必要十分な範囲で)血統に詳しかったわけです。
さて、そんな私が今の自分の愛馬の成績を見ていて、ふと自分の愛馬の血統評価みたいなのでも調べてようかな、と思いまして、ネットで例えば「走る○○産駒の傾向」なんてのを見てたんですが…
なんですか。いまだに血統では「プリンスキロ」だとか「ナスルーラ」だとか言ってるんですか。
私が競馬バリバリで血統バリバリだった頃は、確かにそれらは5代血統表でも見かける馬でした。
母がミスプロ直子なんて馬も一口で持ってましたし、そうなると5代血統表でナスルーラやプリンスキロは見かける名前。
そんな時代に「ナスルーラのクロスが」とか言ってるのは(ホントはだいぶおかしいんですが)まだ許せます。
しかし馬の世界は10年違えば完全に1世代変わります。
いまやサンデーサイレンスの名前が気軽に母母父に出てくる時代。
そんな時代の5代血統表に、ナスルーラもプリンスキロも(ネアルコでもハイペリオンでもなんでもいいですが)そんな馬出てきません。
今語るなら当然「ロベルトのクロスが」とか「ノーザンダンサーのクロスが」とか「ミスプロが…」でないとおかしいです。
20年前の血統論みたいなのが今でも昔と同じように語られている…これは、新しい(今の)血統の権威がいないからというのもあるのかもしれませんが、結局、競馬フアンの頭が固いんだと思います。
20年前覚えた血統論を大人になっても振り回している。
だからいまだにナスルーラとかリボーとかハイペリオンとかバックパサー。
古いって。
そもそも人間に置き換えてみればわかりますが、実は5代血統表ですらほとんど意味がありません。
「父のひーひーじーさんと母のひーじーさんが○○だからお前は足が速い」とか言われても「はぁぁあぁ???」と思うでしょう。そんな遠い先祖がたまたま同じ人だからって自分の性格や能力に大きな影響があると考えるのは無理があります。
「ひーひーばーさんがフランス人だから私外国っぽいんだよね」とかいわれたとき「そんな遠い先祖お前に関係ないだろ!」と普通に突っ込みますよね。
ところがそこを突っ込まないのが競馬血統のおそろしさ。
「4代父と5代父が○○だから東京芝に強いんだ」
真顔でそんな事を言っちゃいます。
血統のほとんどがオカルトだというのはそこにあります。
血統ではそこに一応統計みたいなものもとりますが、条件が多すぎる上にサンプルが少ないので統計として成立しないし。
「父○○で母父が○系の場合、中山ダート1200での相性バツグン」
とか、それいくつのサンプルで言ってるのか、と。
しかもその馬がそのときの人気馬であるかとか馬場状態がどうだとか休み明けだったのか、とかそういう多数の要素への考慮は全然なし。
なぜ考慮しないかというとそこまで考慮するとサンプルがほんとに少なくなって意味がわからないからです。
サンプルが少ないと1頭が穴をあけただけで「相性バツグン」になるわけですから。
ざっくり「ミスプロ系は湿ったダートで強い」(これも古いですけど)程度なら確かにそうだと思いますし、「グレイソブリン系は芝に強い」程度ならこれも統計とればそういう傾向が出ると思います。
そこまで枠が大きいとサンプル数も多くなるのである程度意味のあるデータになるからです。
しかしこれが「父フレンチデュピティは母方にリボーが入ってると○○」とかだと俄然眉唾です。
「条件が大雑把すぎる上にサンプル数が少ない」からです。
…と、だいぶ話がずれましたけど、要するにひさしぶりに競馬の血統関係のブログとかを見てたらいまだに「ナスルーラ」とか「プリンスキロ」とか化石のような名前が出てきてびっくりした、とそういう話でございます。
なんか新しい血統論を立ち上げるとお金持ちになれそうな気がしますけど、どうでしょうww
競馬で血統見るならブラックタイプ見るほうがまだ役に立つ気がしますけど、それはまた別の話。