第二章 かたちの生成
われわれが生命と呼ぶものはおぼろげになる。生命が、生命の意義に場所を譲るのである。すべてのものがかたちと化し、そのかたちのなかに、したがってその意味のなかに、上澄みを写し取られている。眼はいぜんとして眺めているのだが、しかしその眼は思考へといたる途の半ばでもってすでに理解している。おそらく真の知識の秘密は、できごとの断片化された細部にしか出会わない歩行者と、ひからびたその残骸を図式化する地図製作者とのあいだ―行き当たりばったりに手探りで進む諸感覚と、方程式すなわち現実的であったものの数学的軌跡とのあいだ―のまさしく中間に隠されているのだろう。かたちは、生きた力をその永遠性のなかに刻み込んだもの、人間的観念をその固定性の中に刻み込んだもののいずれでもあり得る。そのことが理解できねばならない。加えて、かたちのレパートリーが、それら両者の果てしない弁証法的葛藤を通じ少しずつでき上がりつつあることも。(P72)
■歩行者と地図製作者、無自覚な思考と自覚的な思考、未開と近代
弁証法的なそのあいだ。
しかし、諸々のかたちの連鎖の順序を確かめるには、自然界がそのことを予感させてくれているとおり、人間とその芸術の進化をわざわざ召還するまでもない。子供の精神的な発達段階を、その描画の歩みを通じて辿るだけで十分なのだ。子供がまずするのは、その力を実行に移すことである。手を衝動にまかせて自由気ままに動かす。するとその運動の軌跡が紙の上に記録される。これは、はつらつとした力の動きをとどめた線が、右や左に入り乱れながらもいまだかたちをなさない、なぐり描きの時期である。同じように、水も、重力の力のもとで流れを描いていた。(P103)
■力の反映としてのかたち 起源
子供が直線を模索する必要を感じ始めるようになるまでには、知性の発育にもうひとつの新しい段階がなければならない。この段階に入ると、目的に向かって回り道せずにまっすぐにいく思慮深い意思から思考が現れる(十二世紀以降、droit(まっすぐ)というのはdirigere(導く)の過去分詞directusから派生した。そこからは十三世紀になってdirect(直接)も導き出されて、後に使用に供されることになったのではないか)。円が左右に引き伸ばされる。楕円化し、そしていまだ不確かなものだとはいえ、棒が出現することがわかる。こうした概念的な把握は、空間の主たるふたつの方向である、垂線の交差へとやがて行き着くだろう。そこで直角が誕生し、ある期間までは、それが多様な斜線に抵抗することになる。思えば、モンドリアンが、デ・ステイル・グループのなかで対角線を持ち込もうとして「分派」的な仲間たちと仲たがいしたのは、彼が原初的な純粋さというものにとり憑かれていたからではなかったのか。(P104)
■思考の誕生、円から楕円、直線へ
同じように芸術の歴史でも、かたちのなかに永遠性の秘密を探ろうとする古典主義と、安定性というのをことごとく揺さぶり、力の戯れを解き放つバロックとが交代した。十五世紀からこのかた、抑えようのない衝動がギリシア以来築き上げられてきた諸々のかたちを攻撃するよう絵画に仕向け、肉体的な力あるいは内的な力を表現しようと試み、色や光の粒子がきらめく印象主義において肌理こまかなマチエールを粉々に砕き、ついにはバウハウス、デ・ステイルの運動とともにかたちを、かつてないほどドグマ的、高圧的なものとしてその源泉に回帰させた。(P108)
第三章 精神現象としてのかたち
「かたち」とは、ひとまとまりの諸要素に対し、それらななかのあるものに何らかの変更を加えたとき、この変化が残ったものとそのまとまり全体とに同時に波及せざるを得ないほど、それらを各々のあいだでそのまとまりとの関わりにおいて連帯的なものにするようにして、視覚的・英知的な統一性を授ける原理だと言ってよい。(P111)
だが時間が召還されると、それにともなって「力」が現れ、話がこみ入ってくる。事実、「力」は、持続のなかで発揮される、「かたち」を不断に点検し直す活発な圧力として登場する。(P112)
われわれが生命と呼ぶものはおぼろげになる。生命が、生命の意義に場所を譲るのである。すべてのものがかたちと化し、そのかたちのなかに、したがってその意味のなかに、上澄みを写し取られている。眼はいぜんとして眺めているのだが、しかしその眼は思考へといたる途の半ばでもってすでに理解している。おそらく真の知識の秘密は、できごとの断片化された細部にしか出会わない歩行者と、ひからびたその残骸を図式化する地図製作者とのあいだ―行き当たりばったりに手探りで進む諸感覚と、方程式すなわち現実的であったものの数学的軌跡とのあいだ―のまさしく中間に隠されているのだろう。かたちは、生きた力をその永遠性のなかに刻み込んだもの、人間的観念をその固定性の中に刻み込んだもののいずれでもあり得る。そのことが理解できねばならない。加えて、かたちのレパートリーが、それら両者の果てしない弁証法的葛藤を通じ少しずつでき上がりつつあることも。(P72)
■歩行者と地図製作者、無自覚な思考と自覚的な思考、未開と近代
弁証法的なそのあいだ。
しかし、諸々のかたちの連鎖の順序を確かめるには、自然界がそのことを予感させてくれているとおり、人間とその芸術の進化をわざわざ召還するまでもない。子供の精神的な発達段階を、その描画の歩みを通じて辿るだけで十分なのだ。子供がまずするのは、その力を実行に移すことである。手を衝動にまかせて自由気ままに動かす。するとその運動の軌跡が紙の上に記録される。これは、はつらつとした力の動きをとどめた線が、右や左に入り乱れながらもいまだかたちをなさない、なぐり描きの時期である。同じように、水も、重力の力のもとで流れを描いていた。(P103)
■力の反映としてのかたち 起源
子供が直線を模索する必要を感じ始めるようになるまでには、知性の発育にもうひとつの新しい段階がなければならない。この段階に入ると、目的に向かって回り道せずにまっすぐにいく思慮深い意思から思考が現れる(十二世紀以降、droit(まっすぐ)というのはdirigere(導く)の過去分詞directusから派生した。そこからは十三世紀になってdirect(直接)も導き出されて、後に使用に供されることになったのではないか)。円が左右に引き伸ばされる。楕円化し、そしていまだ不確かなものだとはいえ、棒が出現することがわかる。こうした概念的な把握は、空間の主たるふたつの方向である、垂線の交差へとやがて行き着くだろう。そこで直角が誕生し、ある期間までは、それが多様な斜線に抵抗することになる。思えば、モンドリアンが、デ・ステイル・グループのなかで対角線を持ち込もうとして「分派」的な仲間たちと仲たがいしたのは、彼が原初的な純粋さというものにとり憑かれていたからではなかったのか。(P104)
■思考の誕生、円から楕円、直線へ
同じように芸術の歴史でも、かたちのなかに永遠性の秘密を探ろうとする古典主義と、安定性というのをことごとく揺さぶり、力の戯れを解き放つバロックとが交代した。十五世紀からこのかた、抑えようのない衝動がギリシア以来築き上げられてきた諸々のかたちを攻撃するよう絵画に仕向け、肉体的な力あるいは内的な力を表現しようと試み、色や光の粒子がきらめく印象主義において肌理こまかなマチエールを粉々に砕き、ついにはバウハウス、デ・ステイルの運動とともにかたちを、かつてないほどドグマ的、高圧的なものとしてその源泉に回帰させた。(P108)
第三章 精神現象としてのかたち
「かたち」とは、ひとまとまりの諸要素に対し、それらななかのあるものに何らかの変更を加えたとき、この変化が残ったものとそのまとまり全体とに同時に波及せざるを得ないほど、それらを各々のあいだでそのまとまりとの関わりにおいて連帯的なものにするようにして、視覚的・英知的な統一性を授ける原理だと言ってよい。(P111)
だが時間が召還されると、それにともなって「力」が現れ、話がこみ入ってくる。事実、「力」は、持続のなかで発揮される、「かたち」を不断に点検し直す活発な圧力として登場する。(P112)