男と女

男女間のすれ違い、違い、特徴についての科学的考察

男女平等・女性差別とは?

2022-07-29 15:53:29 | 男と女

(男と女)

[男女平等・女性差別とは?]

[男女平等・女性差別について]

かつて森会長の「女性は話が長い」という発言が波紋を呼んだが、一般的に女性は話好きで長話も多いということはよく言われていることであり、何故ここまで叩かれるのかと疑問に思ったことがある。
しかし、改めて森会長の発言の全文を読んでみると「女性は競争意識が強い」とか「場をわきまえる必要がある」などと結構余計な発言もしており、これでは非難されるのも仕方がないと思った。
ただこの時「女性は話が長い」という所だけを切り取って「女性蔑視」とか「女性差別」だと反発していた人も数多くいたように思う。(注)

ちなみにその後の世論調査の結果は次の通り。(この調査の出所は記録しておらず不明)

 女性蔑視と思うか  はい75% いいえ25%
 全文を読んでいるか はい40% いいえ60%

これによって分かるのは、全文を読まずして「女性蔑視」という人が多くいたということ。
(全文を読んだらもっと増えたかもしれないが。また、当時のマスコミも切り取り報道や否定的論評が多く、大勢に従えといった風潮があったことは否めない。)

かつて、アッシー、メッシーという言葉が流行ったことがあったが、この時女性が「男性蔑視」だと非難されただろうか、そもそも「男性蔑視」などという言葉自体これまで一度も聞いたことがない。

一般的に女性は「男との差」や「役割の違い」に敏感に反応し、また被害者意識も強いというが、確かに歴史的にそれは仕方がないとしても、単に一面あるいは表面的な面だけをとらえて杓子定規にすぐに「女性差別」とか「女性蔑視」だと言うのはどうかと思う。

(注)この話をしたとき友人が面白いことを言っていた。

・森さんたちは女の恐ろしさを知らない。
・場面、立場をわきまえて話さないといけない。
・女性だけを取り上げて話してはダメ。(必ず両方のことを言わないとダメ)
・女性が優遇されていることは多々あるが、女は自分達に都合の悪いことは言わない。


米国では"Political Correctness"あるいは"Politically Correct"ということがよく言われており、これは直訳すると「政治的正しさ」あるいは「政治的に正しい」ということになるが、これだと意味がよく分からない。「政治的妥当性」「政治的公正さ」と訳すべきだろう。
これは具体的には、特定の民族や人種、宗教、性別、職業、年齢などに対して差別的な言動を避けることということになる。

しかし、この趣旨は良いとしても、「行き過ぎた平等」「行き過ぎた配慮」「行き過ぎた批判」は時として社会に息苦しさをもたらし、表現を制限するという指摘もある。

例えば、次のような問題が指摘されている。(PC=Political Correctness)
「不適切」というクレームを恐れて、テレビ番組や企業の広告が萎縮している。
「PCに抵触するのでは?」と、社会全般にわたって窮屈に感じている人も少なくない。
「PC」を拡大解釈すると、何気なく知らずに発言してしまった言葉も、差別的だと見なされてしまう。(森さん?)

つまり、何事も行き過ぎると様々な問題、軋轢を生むことになり、これらは現に世界中で問題視されるようになってきている。


「男女平等」ということについても、その意味を取り違えて偏った考え方をする人たちが少なからずいるように思える。

男女には明らかに性差があり(これについては異論を唱える人も多くいるが)、男女平等というのは一律に何もかも男女同じにするということではないはず。

これについて、ビーズ夫妻は著書「話を聞かない男、地図が読めない女」で次のように述べている。

*「今の世の中(人種や性別、年齢などで人間を差別しない、Politically Correctを目指す社会)では、技能、適正、能力において、男女差はないことになっている。だが、その前提が完全な誤りであることは、科学の世界では以前から知られていた。」

*「男と女が異なる進化をしてきたのは、その必要があったからだ。男は狩りをして女は好みや果実を取った。男は守り女は育てた。それを続けた結果、両者の体と脳は全く別物になった。
男女の体は、それぞれの役割に合わせて発達していった。たいていの男は女より背が高く力も強くなった。そして脳の方も役割に応じて進化していった。
こうして何百年もの間に、男と女の脳は違う方向に進化していき、その結果、情報の処理の仕方まで変わってきた。いまや男と女では、考え方はもちろん、理解の仕方、優先順位、行動、信念までことごとく違う。」

「男女間に技能、適正、能力に差はない」という意見だが、これは男女は社会的にも同じ立場でなければならず、例えば職業や作業なども区別してはならないという主張である。
しかし能力についてはともかく、男女は技能面、適正面では明らかに差はあるといえる。
そしてこのような性差があればまた、それぞれの適正に合った役割というのもあるのでは。

例えば、男性の家事・育児だが、環境、役割に適応すべく進化してきた男女の脳の機能、働き方の違い、また母性という観点からも、これらはやはり女性の方がその役割に適しているのではないだろうか。
ただ、現代のように共働きが一般的になってくるとそうも言っておられず、このような役割分担も難しくなってきていることは否めない。
どこかで折り合いをつける必要があるのは確かだろうが、全て同じように分担しろというのはやはり無理があると思う。
育児というのも、父親は子供に対して厳しく、母親は優しく愛情をもってというのが一番子供の成長にとっては良いと思えるのだが。

ところで先日、世界経済フォーラム版 男女格差指数なるものが発表されたが、これを見ると日本は総合順位で146か国中116位ということで問題視されたが、これは統計方法により単純にこういう結果になったといえる。
この調査は経済・政治・教育・健康の4つの分野での男女格差を指数化したものだが、日本の分野ごとの順位は、教育が1位、健康が63位、経済が121位、政治が139位となっている。
健康の63位にしても1位の指数が0.980であるのに対して日本は0.973でそれほど差があるわけではなく、また調査の内容が「平均寿命の男女比など」となっている。言うまでもなく日本の女性の平均寿命は世界1位であり、単純に平均寿命の男女比などだけでは評価できないものがある(男女比ではそうかも知れないが)。
政治の分野では、「女性議員の比率など」の調査とあるが、日本の場合政治家になりたがる女性が少ないという背景もあるのではないだろうか。
ともかく4分野のうち健康と教育のスコアは各国あまり差がなく、経済と政治のスコアに差があるということが総合スコアの順位に影響しているといえる。


[差別と区別について]

近年の風潮として違和感を感じるのは、「差別をなくす」という名のものに、「区別」もなくしてしまうということ。

米国の履歴書では、記入欄に年齢だけでなく性別もなくしているというが、どのような理由からだろうか。
おそらく「男女間で技能や、適正、能力において差はない」という観点からすれば、このような欄があると女性が差別されて不利になるということだろう。
確かに、女性は出産等で会社を休む場合があるなどの理由で、敬遠するような会社もあるだろうが、全て一律にこのようにするというのは行き過ぎではないだろうか。
職種によっては男女それぞれ向き不向きというものがあるはずで、こうなると採用する方も面食らってしまうのでは。

一方近年、用語についてもいろいろと修正がなされている。

・当初は米国で、未婚女性は"Miss"、既婚女性は"Mrs."と区別するのはおかしいということで、女性は全て"Ms."に統一された。
ところが次は"Mr."もやり玉にあげられ、人については男女、単数複数関係なく全て"They/Them"を使うようになった。

・"Stewardess/Steward"という言葉も廃止され"Cabin Attendant"に統一された。
(尤もStewardess/Stewardという言葉は給仕という意味もあるので、これはある意味蔑視ではないかという背景もあったかもしれないが)

・"Ladies and Gentlemen"は"All Passengers" "All Riders" "Everyone"になった。
(JALでは「Good morning Ladies and Gentlemen」は「Good morning Everyone」とアナウンスしている)

・日本では看護婦という言葉は廃止され看護師と言うようになった。
(看護師については男性も看護業界に携わるようになってきたこともあり、その必要性もあっただろうが)

これらは差別用語だとして次々に修正がなされてきたものだろうが、いささか行き過ぎではないかとの疑念もある。
そのうち"Lady First"とか「主婦」という言葉なども消滅するのだろうか。

(追加)

警察官 policeman → police officer
消防士 fireman → firefighter
郵便配達人 mailman → mail carrier, letter carrier, postal worker
議長 chairman → chairperson
セールスマン salesman → salesperson

(要するに、manとあるものは全て言い換えている。)

(日本の場合、ビジネスマンは女性の場合オフィスレディ、セールスマンはセールスレディと呼ぶようになったが、今後どうするんだろうね。)

・保母は保育士に。
・助産婦は助産師に。
(しかし助産師は女性しかつけない職業なので、果たして変える必要があったのだろうか。)

(ちなみに、警察官は、昔は男性しかつけない官職だったが、戦後女性の警察官も誕生したので婦人警官という呼称が出来、1999年の改正男女雇用機会均等法により、女性の場合は女性警察官と言うようになった。なお、現在の警察官という言葉は男女を特定しない総称となっている。)


(参考)「差別と区別」

差別:偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。
また、その扱い。
区別:あるものと他のものとの違いを認めて、それにより両者をはっきり分けること。
(引用元:三省堂 大辞林 第三版)

差別:人やものの取り扱いに「差をつける」こと。 
区別:単に「違いによって分ける」こと。

差別:その違いに合理性のない価値観を持ち込み、一方を不当に扱うこと。
区別:物事の客観的な違いを認識すること。

差別:discriminate(区別する、差別する)
区別:distinguish(物の特色、特性から違いを見分ける)
   discriminate(微妙な違いを見分けたり評価する)
   differenciate(同一種類の物を細かく比較して区別する)
(これを見るとdiscriminateという言葉はどちらにも使われているが)

差別:評価する、高低をつける (high, low)、見下す、段差を付ける。
区別:同一種類、対等な関係。

 

「男女という言葉が入った用語の使い方」(一般的に次のような印象を受ける)

「男らしい」「女らしい」(これらは良い)
「男らしさ」「女らしさ」(これらは良い)
「男らしく」(これは良い)「女らしく」(これはダメ)
「男だろ」(これは良い)「女だろ」(これはダメ)
「女だてらに」(これはダメ)
「女々しい」(これはダメ)
「男勝り」(使い方による)
「女の腐ったヤツ」(これはさすがにダメだろう)

*ダメとなる理由としては、女の方には否定的なニュアンスが入ってしまうからと思われる。
*しかし、これらは全て差別用語、不適切用語との指摘もある。


「ジェンダー(Gender)」

性別のことだが、生物学的な性別(Sex)に対して、社会的な性別を表すために、近年特によく目にするようになった。
(日本語では共に「性別」という言葉で表現されるが)

(定義)

・ジェンダーとは、生物学的な性別(sex)に対して、社会的・文化的につくられる性別のことを指す。
世の中の男性と女性の役割の違いによって生まれる性別のこと。

・ジェンダーとは、男性・女性であることに基づき定められた社会的属性や機会、女性と男性、女児と男児の間における関係性、さらに女性間、男性間における相互関係を意味する。
こういった社会的属性や機会、関係性は社会的に構築され、社会化される過程(socialization process)において学習される。
これらは時代や背景に特有であり、変化しうる。
また、ジェンダーは一定の背景において女性・または男性として期待され、許容され、評価されることを決定する。
「男性らしい(マスキュリン)」や「女性らしい(フェミニン)」はジェンダーのカテゴリー。

(追加)

[男女別でも問題視されていないもの]

・銭湯/トイレ(これは生物学的見地より納得できる)
・スポーツ(これも男女の体力差からみて分からないことはない)
・囲碁/将棋(囲碁界では女性の棋士を「棋士」と呼んでも何ら問題はなく、女流棋士のみが出場できる女流棋戦も存在する。一方将棋界では「棋士」と「女流棋士」は異なる制度であるため、女流棋士のことを「棋士」と言うのは正確ではない。将棋連盟の説明では競技人口が女性の方が圧倒的に少ないため、女性にも活躍の場、機会を与えるために別の制度にしているとのこと。尚女性でも一定の条件のもと棋士になれる制度は存在する。)

男女平等、女性差別反対ということを声高に言うならばこれらも問題視してはと思うが、そのような話は聞かない。

 

ここで思い出したのは友人の言った「女性は自分達に都合の悪いことは言わない(自分たちに都合の良いことは黙っている)ということ。」
例えば、女性専用車両とか女性限定とか、女性が優遇されていることは多々あるのだが。

(これは生物学的に見ても、女性は自己防御本能が強いと言われているので、これはこれでよいと思っているが。)