私が実際に書いているレベルと、この記事における「二次創作」とのレベルに差があると感じて、記事を下ろしてしまったのですが、コメントしたかったのにというリクエストがありましたので、復活させました。 8/9
なかなか理想どおりにはいかないけどね、というお話だと思ってください。
***
迷いながらも進まなくてはいけないと思うことが多い。
もちろん内面の盛り上がりがあって「今」行動するというタイミングもあるが、周辺状況から見て「今」行動しないとタイミングを逸してしまうというときもある。
マーケティングっぽい話なんだけれども(苦笑)
やる気が満ち溢れていて、自信を持って素敵な新作カキ氷を営業できるときと、自分のテンションがどうであれ夏休みの間はカキ氷を売らなければいけないというときがある。ということだ。
なぜにカキ氷を例に出すかというと、よしもとばななの「海のふた」を読んだせいなんだけど。
とりあえず、今は夏コミっていう「発表の場」がある。ならば書かなくてはもったいないわけです。
内的な盛り上がりだけで10年後とかにハボロイを書き上げても、共有できる人たちが減ってしまうわけですから。自己満足で書くだけではなく、それを共有するというのも目的の一部なので、その機会が大幅にそがれるというのはダメなのです。
で、うなりながら原稿を書いていると、色々迷うわけです。いつだって、自分の満足100%に書けないから。
ストーリー的にもそうだし、文章的にもそうだし。文章という意味で言えば、きちんとキャラクタの動きや景色といった目に見えるものが正確に読んだ人に伝わるかどうか。またAというキャラクターの感情が正確に読んだ人に伝わるかどうか。
感情のほうが難しくて、「Aは悲しかった」という作文的表現ではない方法で表現したほうがよいと思っている。Aというのをどう表現するか。悲しかったというのをどう表現するか。
まあ、一点づつそこまで突き詰めて書けるほど、時間も能力も不足しているのですが。
正確に読み手に伝わるというのは、読み手の能力も関係する。しかし書き手に「伝えたい」という強い意志があればあるほど、そこはクリアされていくのではないかと思う。たとえ読んだ直後に通じなくとも、伝えたいという強い意志は、読み手の心に引っかかるものではなかろうか。
「作者は何か訴えている」という感覚を記憶してもらえれば、読んだときに正確に「何」を理解できなくてもよいと思うのだ。その感覚の記憶は、次に他の本を読むということを続けていくと、「何」を理解する能力に繋がると思うから。感覚の記憶とか、感情の記憶というのは演劇論的な用語だと思うけれど、小説・マンガにもそれは存在すると思う。ようは再現方法の違いだから。
あーーー、なんか堅苦しい話を書いているなぁ。
早い話、原稿がね、進んでないんですよ!(自爆)
1)「なぜ書くのか=訴えたいもの」
2)「いかに書くか=文章表現上の問題」
3)「そのためにどんなストーリーが必要か」
たぶん物語を作るには、こんな三つの要素があると思っていて。
創作論みたいなのを、創作が下手な人間がしてるのはアホくさいんですけど。(苦笑)私はこんなことを考えながら書いてるんですわ。
同人誌製作というお金と時間を必要とする趣味は1)があってこそなんですよ。なによりも1)が重要であると。2)に問題があっても、1)がしっかりしていれば許されると。
中島梓の小説道場を読んでいたせいもあって、1)を突き詰めていくと、自分の嫌な面だったり、人に見せたくないと思うような面も含まれていたりするわけです。
小説を書こうという原動力の奥に、自己嫌悪やら自己愛やらギッシリあるんです。
「これを言ってしまったら、読む人は嫌な気持ちになるかもしれない」
そう思うと、どす黒い原動力をそのまま出すことに躊躇してしまう。(よく考えたらロイをなんてひどい目に!なんてバッシングするような熱心な読み手がいたり、減ってしまうのを心配するほど多くの読み手がいるわけではないなぁ)
もしくは自分で書いているさなかに、自分が直面したくないものと向き合わなくてはならないとかね。あるんですよ…。
いやー、そんな大層なもん書いてんのかっていうのはあるんですけど(苦笑)
「いやん★ラブラブ!」とか「ムフフ、エッチなんだからぁ」とかいうものも、有りだ!というのは分かります。
が、今書いているものに関しては、そっちには流れないもので。
なんか書けない言い訳を探していたら、羞恥心と自信のなさが根底にあるということが分かったので、気を取り直してがんばろうと思いました(苦笑)
何を書いているのかと申しますと、「アブサン」というタイトルで、ヒューズが死んだ直後くらいの話です。ロイが滅茶苦茶落ち込みながら、それをハボックが支えてあげたりする話です。
ハボロイですが、前提としてヒュロイです。
灼熱のヒュロイの延長上にある話です。灼熱を読まないでも、読める話ですが。これは書いている私としてはハッピーエンドです。途中がドス暗かろうと、ロイがド不幸だろうとなんだろうと、結論はハッピーだと信じています。
本当は「灼熱」「灼熱2」「アブサン」という流れにしたいんですけど。
「灼熱」はイシュバールのヒュロイで、ロイを主眼に置いています。アンハッピーです。
「灼熱2」は、来年のヒュロイオンリーに出したいなと思っています。「灼熱」の前後の話で、アニメ版に準拠してロイが人体錬成しそうになります。前半はヒューズ視点。アンハッピー…なのかな。
私の中でヒュロイというのは、ロイから見たときにだけハッピーなのです。
ヒューズから見たときは、ハッピーでもアンハッピーでもありません。ですが、ヒューズがロイを愛していないわけではないのです。
ちなみにハボロイは、断固としてハッピーですから!!!
そのうちヒュロイ感とか、ハボロイ感みたいなものを書きたいですな・・・。なんか適切な100Qとかあればいいのですが。
なかなか理想どおりにはいかないけどね、というお話だと思ってください。
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迷いながらも進まなくてはいけないと思うことが多い。
もちろん内面の盛り上がりがあって「今」行動するというタイミングもあるが、周辺状況から見て「今」行動しないとタイミングを逸してしまうというときもある。
マーケティングっぽい話なんだけれども(苦笑)
やる気が満ち溢れていて、自信を持って素敵な新作カキ氷を営業できるときと、自分のテンションがどうであれ夏休みの間はカキ氷を売らなければいけないというときがある。ということだ。
なぜにカキ氷を例に出すかというと、よしもとばななの「海のふた」を読んだせいなんだけど。
とりあえず、今は夏コミっていう「発表の場」がある。ならば書かなくてはもったいないわけです。
内的な盛り上がりだけで10年後とかにハボロイを書き上げても、共有できる人たちが減ってしまうわけですから。自己満足で書くだけではなく、それを共有するというのも目的の一部なので、その機会が大幅にそがれるというのはダメなのです。
で、うなりながら原稿を書いていると、色々迷うわけです。いつだって、自分の満足100%に書けないから。
ストーリー的にもそうだし、文章的にもそうだし。文章という意味で言えば、きちんとキャラクタの動きや景色といった目に見えるものが正確に読んだ人に伝わるかどうか。またAというキャラクターの感情が正確に読んだ人に伝わるかどうか。
感情のほうが難しくて、「Aは悲しかった」という作文的表現ではない方法で表現したほうがよいと思っている。Aというのをどう表現するか。悲しかったというのをどう表現するか。
まあ、一点づつそこまで突き詰めて書けるほど、時間も能力も不足しているのですが。
正確に読み手に伝わるというのは、読み手の能力も関係する。しかし書き手に「伝えたい」という強い意志があればあるほど、そこはクリアされていくのではないかと思う。たとえ読んだ直後に通じなくとも、伝えたいという強い意志は、読み手の心に引っかかるものではなかろうか。
「作者は何か訴えている」という感覚を記憶してもらえれば、読んだときに正確に「何」を理解できなくてもよいと思うのだ。その感覚の記憶は、次に他の本を読むということを続けていくと、「何」を理解する能力に繋がると思うから。感覚の記憶とか、感情の記憶というのは演劇論的な用語だと思うけれど、小説・マンガにもそれは存在すると思う。ようは再現方法の違いだから。
あーーー、なんか堅苦しい話を書いているなぁ。
早い話、原稿がね、進んでないんですよ!(自爆)
1)「なぜ書くのか=訴えたいもの」
2)「いかに書くか=文章表現上の問題」
3)「そのためにどんなストーリーが必要か」
たぶん物語を作るには、こんな三つの要素があると思っていて。
創作論みたいなのを、創作が下手な人間がしてるのはアホくさいんですけど。(苦笑)私はこんなことを考えながら書いてるんですわ。
同人誌製作というお金と時間を必要とする趣味は1)があってこそなんですよ。なによりも1)が重要であると。2)に問題があっても、1)がしっかりしていれば許されると。
中島梓の小説道場を読んでいたせいもあって、1)を突き詰めていくと、自分の嫌な面だったり、人に見せたくないと思うような面も含まれていたりするわけです。
小説を書こうという原動力の奥に、自己嫌悪やら自己愛やらギッシリあるんです。
「これを言ってしまったら、読む人は嫌な気持ちになるかもしれない」
そう思うと、どす黒い原動力をそのまま出すことに躊躇してしまう。(よく考えたらロイをなんてひどい目に!なんてバッシングするような熱心な読み手がいたり、減ってしまうのを心配するほど多くの読み手がいるわけではないなぁ)
もしくは自分で書いているさなかに、自分が直面したくないものと向き合わなくてはならないとかね。あるんですよ…。
いやー、そんな大層なもん書いてんのかっていうのはあるんですけど(苦笑)
「いやん★ラブラブ!」とか「ムフフ、エッチなんだからぁ」とかいうものも、有りだ!というのは分かります。
が、今書いているものに関しては、そっちには流れないもので。
なんか書けない言い訳を探していたら、羞恥心と自信のなさが根底にあるということが分かったので、気を取り直してがんばろうと思いました(苦笑)
何を書いているのかと申しますと、「アブサン」というタイトルで、ヒューズが死んだ直後くらいの話です。ロイが滅茶苦茶落ち込みながら、それをハボックが支えてあげたりする話です。
ハボロイですが、前提としてヒュロイです。
灼熱のヒュロイの延長上にある話です。灼熱を読まないでも、読める話ですが。これは書いている私としてはハッピーエンドです。途中がドス暗かろうと、ロイがド不幸だろうとなんだろうと、結論はハッピーだと信じています。
本当は「灼熱」「灼熱2」「アブサン」という流れにしたいんですけど。
「灼熱」はイシュバールのヒュロイで、ロイを主眼に置いています。アンハッピーです。
「灼熱2」は、来年のヒュロイオンリーに出したいなと思っています。「灼熱」の前後の話で、アニメ版に準拠してロイが人体錬成しそうになります。前半はヒューズ視点。アンハッピー…なのかな。
私の中でヒュロイというのは、ロイから見たときにだけハッピーなのです。
ヒューズから見たときは、ハッピーでもアンハッピーでもありません。ですが、ヒューズがロイを愛していないわけではないのです。
ちなみにハボロイは、断固としてハッピーですから!!!
そのうちヒュロイ感とか、ハボロイ感みたいなものを書きたいですな・・・。なんか適切な100Qとかあればいいのですが。
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