MASAの道

ニュージーランド生活記!! 

再会

2007-09-26 | Weblog
先々週、ギズボーンの時に仲良かったキホとマミさんが帰国の前にオークランドにきた。約3ヶ月ぶりの再会である


キホとはほぼ毎日会ってサーフィンしたり飲んだりしていた仲だった。彼は飲むのが好きな男であり、常にビールを持ち歩いている人であった。 つまり、彼がオークランドに来るということは飲むということを意味する
風邪も治ってなかったし、オークランドに来てからは飲む数はふえたが量は減っていたので少し恐れていた

初日、
キホ、マミさん、オークランドの友人を集めて韓国料理に行った。キホは韓国人である。オーダーはソジュ(韓国の酒)。彼は止まらない、韓国スタイルはイッキである。何杯オーダーしたのだろう?僕は酔った。記憶がとんだ。

2日目
キホと僕のオークランドの友人とその友人、僕の4人で日本式居酒屋に行った。二日酔いの僕を置き、彼はこの日絶好調だった。7~8杯日本酒を頼んでいた。そして、気づけば夜中3時になっていた。

3日目
前日セーブしたのがよかったのかこの日は二日酔いはなかった。キホは次の日の早朝に韓国に帰るので彼もこの日はセーブしていた。ギズボーンの思いで話などをして、この日はあっという間に時間が過ぎた。そして、次の日の早朝にキホは韓国に向けて飛び、その次の日にマミさんは大阪に向けて飛んだ。

 


帰って寂しかったが、ちょっと安心もした。そして、10月ころ帰ると言っていたギズボーンの友人なお子にメールした。
“いつ帰るの?”
“明後日オークランド行くよ”
“へ?”

2日後なお子が来た。約3ヶ月ぶりの再会である
この日は仕事があり、夜だけしか会えなかったがオークランドを少し案内して彼女は次の日の早朝に旅立った。

“ふー、懐かしくもあり忙しい週だったな”僕は思った。そして、少し寂しくギズボーンを思い出していた。2日後、ギズボーン時代の友人ジヘイに街で偶然会った。約3ヶ月ぶりの再会である

なお子から来ているというのは聞いていたがまさか会うとは思っていなかった。小さい国である。20分くらい話をしただろうか、そして彼女は観光に行った。



一週間で4人の友人にひさびさに会った。みんな英語が昔より上達している以外は変わらなかった。キホは僕に言った。“お前はシティーボーイになっちまったな。”確かにあのころの生活とはまったく違い、少し性格も変わってしまったかもしれない。でも、それが都会で生きていくうえでの知恵かとも思う。ギズボーンのようにすれ違う人達と挨拶していたらこの街では何百回と言わなくてはならなくなる。そして、そんなギズボーンの生活も懐かしく思った。

そんな矢先、ギズボーン時代のフラットメイトからそんな僕の気持ちさっしているかのようなメールが来た。

“10月末にパーティーやるから来い”

うれしかった。ギズボーンに行ってよかった。10月に楽しみができた

日ごろの

2007-09-16 | Weblog


先週末ノースランドへ行ってきた。 
ここはニュージーランドの一番北にあたり、日本でいうところの宗谷岬だろうか。
まぁ、とにかくひさびさに旅行に行った

一泊目はベイオブアイランズという島がいっぱいあり、景色がとてもきれいと言われる場所へ行ってきた。しかし、日ごろの行いのせいか天気はいまいちさえず、きれいなはずの景色もいまいちだった・・・


さて、旅行の楽しみといえば・・・
アルコールである

しかし、日ごろの行いのせいでこの日僕は風邪をひいていた。しかもここまで3時間のドライブをノンストップ、ひとりで行ったのがたたってかコンディションは最悪、あまり飲めないどころか友達が起きているのに11時には寝てしまった



さて、ぐっすり寝たので2日目は体調もすこしよくなったが日ごろの行いのせいか天気は雨だった。しかし、最北端に行くという計画をたててしまっていたので行かなければならない。2時間半のドライブをへて到着した。途中、雨がやんだので“日ごろの行いがいいからだな”と英語で言いたかったが言えなかった


ニュージーランド最北端。

そして、そこからの帰り道、日ごろの行いのせいか、車のタイヤがパンクした。日ごろからパンクには備えて装備と交換の仕方だけは備えていたのでどうにかスペアタイヤに交換できたが、もし、設備がなかったらと思うとぞっとした。


その後ナインティマイルビーチというひたすら続く砂浜の上を車で走り、帰路についた。



 今回の旅行は天気、体調が悪く、ハプニングもあったがなんだかんだで楽しかった。一泊目の晩飯はスペイン人達がパスタを作ってくれたのだが12分ゆでるパスタを20分以上ゆでていた。ゆで過ぎと何度も言ったが奴等は火を止めてくれずのびのびのパスタを食うはめになったがこれがスペインスタイルらしい・・・。 そして、彼は帰り道少し運転してくれたがスペインは左ハンドル右レーン(ニュージーは日本とまったく一緒の右ハンドル左レーン)なのでみごとに逆走してくれた。も一人のスペイン人は常にしゃべって旅行を楽しいものにしてくれたが2日目に咳をしていて風邪がうつったのかもしれないのが気になった。韓国人はとても気配りで助かった。彼も運転を手伝ってくれようとしたのだがMT車に慣れてないうえに反対車線なのでエンスト、ゆらゆら運転だったので100mで強制交代した。

そして、この旅行から僕らはより仲良くなった。旅行はいい。また行きたいな
でも、日ごろの生活のせいで金がない


左からジョエル、ベア、ジョン

see you Gostosa

2007-09-05 | Weblog
バイト先にブリッセラというブラジル人女の子がいた。
彼女はよくしゃべるし、よく踊るし、人前でもダーリンとはキスするし、アルコールが好きだし、仕事には遅刻を平気でするという僕が思い描いていたとおりのブラジル人だった

とにかくどうかと思うくらいに毎日ハッピーであり、一日を楽しく過ごしている子だ

彼女のベストフードはサーモンの寿司らしく僕に何十回と同じ話をしてきた。
僕はその度にオークランドの寿司は寿司じゃないと教えたんだがまったく聞いてなかった。

そして、彼女はよく踊る。サンバがかかればお客がいても踊りだす。そして、私はブラジル人と自己紹介までしていた。
そんな彼女を見てリオのカーニバルはすごいんだろうなと僕は想像していた。

週末になると毎週スタッフ同士で飲みに行くかという話をする。その度に彼女はノリノリで行くと言うのだが、一緒に働いた2ヶ月の間で一緒に飲みに行ったことは2回しかない。彼女はいつもドタキャンする。でもだれも責めないし、というか期待すらしてなかった。

後半に彼女はいくつかのポルトガル語を教えてくれた。その中に"GOSTOSA(メチャメチャいい女)"という言葉があった。その日から僕は彼女のことをブリッセラ改めゴストーザと呼んだ。すると彼女は僕の仕事を手伝ってくれて優しくなった。
ある日、言うばかりでもいやなので“かっこいい”と“イケメン”という日本語を教えた。彼女は一回も言ってくれなかった。なぜだろう・・・?

彼女のバイト最終日に日本の箸をプレゼントした。するとたまたまメイドインジャパンだったこともありめちゃめちゃ喜んでくれた。そして、お返しするからと言ってくれたが何もないまま彼女はブラジルに旅たった

先日、彼女のお別れパーティーがあったので行ったがその時に彼女は“お前はサンパウロに来い”と言ってくれたのがうれしかった。彼女も日本にいつか来ると言っていたがどうだかわからない。また会えるかどうかはわからないけどまた会えたらいいなと思う。
ブラジルに帰ったら何をすると聞くと“enjoy my life”と答えていた。そしてそれを象徴するかのように、この日彼女は朝の5時まで狂ったように飲み、踊り、朝9時の飛行機でブラジルに向けて旅立った。
先のことは考えないらしい、そんな生き方が少しうらやましかった。

gostosa n me

踊り狂うGOSTOSA ちなみに踊ってるのはカウンターの上






p.s.昨日他のブラジル人の男にゴストーザという意味を聞いた。すると彼は笑いながら“ゴストーザにはいい女+性的にやりたい”という意味も含んでいると教えてくれた。心の中にだけ留めておく言葉だそうだ。つまり僕は“How are you, GOSTOSA.(元気かい、俺を興奮させるメチャメチャいい女)”と言っていた。
おもしろすぎるぜブリッセラ。あんたにはまた会いたい


see youと言った後にピースを決めてブラジルに帰って行った。