まさおレポート

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「浮上する理由が見当たらない」「グランブルー」と「硫黄島からの手紙」の共通点は勘違いな日本人観

2007-06-30 | 映画 絵画・写真作品含む

「グランブルー」

グランブルーの完全版をDVDで観た。主人公のジャックマイヨールもエンゾも実在のプロの素潜りダイバーだ。エンゾはダイブ浮上中に死亡した。この映画が作成されたあとジャックマイヨールはどこかの島で若い妻と結婚して暮らしていると聞いていたらその内自殺した。自殺の原因はいまだ分かっていない。

以前に一度この映画は見ているが、ジャック・マイヨールが元気な時代のことだ。この映画の中で素潜り世界選手権大会の開催されるシチリアのタオルミナは昨年に訪れた。タオルミナは海辺の町で、小さなペンションに三泊した。そこからボートで海にでてこの映画でパスタを食うシーンのレストランを遠望した。

そんなこんなでこの映画を再度観る機運は高まっていた。完全版は映画よりも50分近く長い。167分は少し長いなとは思いながらも最後まで楽しく観ることができた。

映画作成後のジャック・マイヨール自殺の事実を知ってこの映画を観るとラストのシーンはその後の彼の運命に不思議な符合を見せる。ライバル・エンゾの事故死の後を追うように海に潜って深海で幻想のようなイルカと戯れる姿はその後浮上するともしないとも不明のままに終わる。

しかし、その後の事実を知った上で見ると、これは浮上しないのだと確信できる。海とイルカをこの上なく美しく描くことに成功しているのに、さらにジャック・マイヨールがイルカと海にあまりに同化してしまった為か人間世界に対する厭世感をも描こうとしたらしい。「浮上する理由が見当たらない」とのセリフを彼にはかせている。

ところで、素潜り世界選手権に日本人の出場者が登場する。それがひどい。日の丸マークをつけたグループがコメディアンのように現れ、準備の間に無様に気を失う。アメリカ映画にたまに見かける下品な日本人にも腹が立つが、これは映画の筋からしてもそのような日本人を登場させる必然性は全く感じない。リュックベンソンの個人的感情がこのようなシーンを撮らせたのだろうか。このあたり、興ざめの日本人観で名作なだけに残念だ。

 

「硫黄島からの手紙」

クリントイーストウッドが撮った日本映画「硫黄島からの手紙」をDVDで観た。正確には途中までで投げ出した。違うだろう!というのが投げ出した理由だ。投げ出した画面は元憲兵から硫黄島に回されてきた男の回想シーンだ。上官と二人で町を見回っている。ある家で日の丸を掲げていないので非国民だと注意する。ここまではありそうなシーンだ。そのあとスピッツが憲兵に吠えると上官が犬を撃てと部下に命じる。

部下は犬を撃てない為に激しく殴られる。当時の日本人に対するアメリカ人の偏見ぶりを見せられてもう見続けるのが嫌になった。映画でも小説でも史実に忠実でなければとかの批判は私にはどうでもよいのだが、クリントイーストウッドがこうしたシーンで当時のリアリティーと当時の軍人に対する思いを冷静に描こうとしているのはよくわかる。それだけに嫌になるのだ。これは事実を突き付けられて目をそむけたくなる種類の厭さではない。

アメリカ生活を体験した栗林中将等ごく一部の軍人が紳士であり、他の多くの軍人は低級かつ野蛮な人種だとの思いをここで表現したかったのだ。アメリカ帰りの軍人のみが冷静な判断ができるというのはいただけないがそういうこともあったかもしれないとも思う。他の軍人の無知蒙昧さを犬を撃つという表現にしたところはちょっと違うのではないか。

社会人になってからもまだ上司に元軍人がいた時代を経験した。そういう人を通していい面も悪い面を直に感じ取ってきた身には極めて違和感を覚えるシーンだ。もし日本人監督が西部劇を取ったら細部の描写のあちこちで甚だしい違和感をアメリカ人は覚えるだろう。それを避けるためには信頼できる現地の助監督なりに意見を求めて修正をする以外にないと思うのだが、この映画もそういうチェックを経てきているのだろうか。

立派な人なのだが基本的に勘違いをしている人に、冷静に穏やかに諄々と諭されているような違和感といったらよいのだろうか。


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