村上春樹の小説は読後いつも???と思うことが多い。その解釈のキーになると思われる内容がこのエルサレム賞受賞スピーチに正直に語られている。
以下、引用です。
「私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。」
なるほどシステムに絡め取られることに対する警戒警報が彼の小説なのか。考えて見れば人は生まれ、成長し、死ぬまでなんらかのシステムに絡め取られて生きていく。社会そのものがシステムなのだから。そして何らかのシステムに絡め取られなければ生存さえおぼつかない。おそらく精神的ストレスで死んでしまうだろう。
だから無意識のうちにシステムに従属し、その存在さえ気がつかない。これはひよこが最初に見た動くモノを親とみてその後追いをして、真似をして成長していくことをしれば、あらゆる生物がなんらかのシステムを刷り込まれて生きていくことが納得できる。
何らかのシステムに絡め取られなければ人は生きていかれない。しかし、常にそれは「人はシステムに絡め取られて生きているのだ」との自覚を持った上での「絡め取られ」でなければならないようだ。その自覚をあらたにするために彼は小説を書いている。
そう考えると、システムから退避するための深い地下(世界の終わりとワンダーランド)であり、井戸(ネジ巻き鳥)であり、幽体離脱なのだとの解釈が成り立つ。