まさおレポート

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プラトン、アリストテレス、デカルト、ドストエフスキーのイワンで宇宙論を遊んで見る

2018年04月03日 10時18分47秒 | 日常の驚きと最先端科学・哲学

すべてのパターンや規則、私たちの数式が非常に物事を近似できるのは、数学こそがリアリティだから。

これなんぞプラトン的だなあ。

かつてプラトンとアリストテレスの思想は大きなうねりをもって循環していると哲学概論で教授は講義した。おおきなうねりということに感銘を受けてから長い年月が立ってもいまだに記憶の底に大きなうねりとの言葉がわだかまっている。真珠の核のようにさまざまな補強材料を無意識に集めていることに気がつくことがある。プラトンがイデア論で演繹的、アリストテレスが合目的論で帰納的、大雑把に言えばイデア論はインド哲学的であり仏教的でもある、合目的論はキリスト教やユダヤ教など一神教的だなと当時ぼんやりと思ったものだ。

プラトンはイデアは実在するとし無始無終に存在し続けるしかし近代科学では分が悪かったように思う、一方アリストテレスの目的論はダーウィンの進化論に馴染みやすく、進化論を否定するキリスト教原理主義者にさえ目的論的な神の意志は無碍に否定されないのではないか。しかし最近の数学や物理学をみるとそうとも言い切れない潮流、つまりプラトン的な流れが復興していてアリストテレスに置きかわるのではなく、プラトンとアリストテレスが両立してきている感があると門外漢の私は密かに考えている。もちろん哲学の門外漢であるから大きな声では言えない、ブログでひっそりと自分のメモをするだけであるので単に面白がって遊んでみたのであり厳密な批判はお許しを願いたい。(インデント下げはネットからの引用です)

スイス人工知能研究所のJuergen Schmidhuberはほんの僅かな初期パラメーターと数行のプログラムで宇宙すべてを記述できる可能性を示唆した。

しかし、上記は両者を併合しているように見える。ほんの僅かな初期パラメーターはプラトンのイデア的実在とも読め、数行のプログラムで宇宙すべてを記述できるとは創造神の合目的にも見える。この宇宙をコンピュータであるとの見方は両者併合であり、プラトン、アリストテレスを昇華した新しい考え方なのだろうか。映画マトリクスを思い浮かべるし、あるいはこの宇宙は情報だけがあるという岡潔の考えに近づいているかも知れない。なにも信ずる必要がない、こんな考え方もあるのだと楽しめれば良い。

完璧に写実的なコンピューターシミュレーションも拡大していくと、最後はピクセルという最小単位が現れる。
また量子重力理論の立場からすると、時間と空間は無限に分割できないとされている。時空すらデジタルなのだ!

これなぞは上述の宇宙をコンピュータであるとの見方を補強するかな。

知的設計者を想定しないと、生命誕生と進化論を説明できない。

最初の生命の誕生時、少なくとも150種類の遺伝子とそれに対応するタンパク質があらかじめ準備されていたと想定せざるをえない。このようなものは偶然には起こりえない。

教科書に載っているダーウィニズム(突然変異と適者生存)で進化論が説明できると思っている生物学者は実は誰もいない。偶然によって機能を持つタンパク質ができる確率やインテリジェントデザインなどを考えると知的造物主の存在が必要とされる。

上述の意見はアリストテレス的で知的設計者を想定しないと破綻する。

MITの教授セス・ロイドによれば、宇宙は、宇宙そのものと同じ大きさの量子コンピューターでシュミレートできると主張する。この宇宙が1つの巨大な量子コンピューターであり、宇宙は量子コンピューターと見分けがつかないと主張した。

メリーランド大学の理論物理学者ジム・ゲイツはアディンクラという超対称代数に使われるシンボルを使った超弦理論等式の研究中、等式の中にインターネットブラウザーがエラービットを訂正するために使用しているのと同様の仕組みが存在することを発見した。彼はこのエラー訂正の仕組みがこの世界では普遍的に使われており、つまり現実世界が仮想現実の産物である可能性を指摘した。

すべての原子は上向きまたは下向きのスピンを持ち、つまりは0と1のビット情報を保存している。このビットの重ねあわせを利用して、実際の計算に応用したものが、今後発展が期待される量子コンピューターである。つまり、素粒子は考えることができる。宇宙はこの粒子から構成されており、宇宙自体が量子コンピューターでもある。もし宇宙が情報を処理し、保存しているなら、宇宙は考えることができる。人間の脳は1016回/秒の計算ができる。宇宙は10160回/秒の計算ができる。この膨大な計算速度は、ビッグバン、惑星の誕生、生命進化、あらゆる計算が容易なレベルである。

上述の意見はアリストテレス的に見えるが、創造主を想定していない点に注目だ、創造主が合目的的に作らなくても宇宙は量子コンピューターと見分けがつかないと述べているので、プラトンとアリストテレスの昇華に見えるのだが。むろん宇宙コンピュータを創造主が作ったとしてもよいのだがそうすると創造主の無限後退が始まるかもしれない。

「我々が認識するものは、すべて仮想世界の幻かもしれない。でも、それを疑い続けている存在がいるということだけは真」であると。
たとえ、「疑っている」ということを疑ったとしても、やっぱり「何かを疑っている」ことは真なのだ。
たとえ、すべてが夢や幻であっても、その夢を見て、夢じゃないかと疑っている自分が存在することは決して疑えない。
この世のすべてが、仮想現実の幻であろうとも、それを『疑っている何者かが存在すること』は、絶対的な真実なのだ。

上述の説はデカルトが映画マトリクスと融合している。

太古より人類は神がなぜこのような欠陥だらけの世界を作ったのか疑問を持っていた。宇宙の初期パラメーターを設定し、ビッグバンを起こし、時間の始まりを作ったのが、神ではなく、善意や慈悲の心を持たないプログラマーだからだ!
一説では、何の苦しみもない、あまりにバランスが取れたユートピアのような世界だと、プレイヤーに仮想現実であることがバレてしまうので、あえて不完全な苦しみの多い世界を作ったらしいという。

古典物理学からは「すべての事象は過去の因果関係より算出され、仮に森羅万象遍く全要素を知ることができれば未来予知すら可能」ということが明らかになっている。物理法則から世界が成り立っている以上、意志もその支配から逃げられない。(←このようなものを私たちはシミュレーションと呼びます)。これを回避するため、人間の自由意志の源を量子力学に拡大するあらゆる仮説が提唱されてきた。しかし、(詳細な議論は省略するが)我々の自由意志の源は見つかっていない。

俺達は何度も何度も生と死を繰り返させられて、どうしたら人間が平和に暮らせるかのパターンを研究してる奴らに観察されてるのさ。だから俺達は未だこのシステムの中で繰り返し、繰り返し動かされてる。これを終わらせるには、絶対にありえない事を起こせばいい。そうすればこの糞システムはバグを起こし、強制終了せざるを得なくなる。どうすればいい?→これを目的に、人間は厳しい修行や薬物を使用して脳のリミッターを解除することで知覚の扉を開き、神秘体験をしてきた。

 最後にドストエフスキーにやってきた。カラマゾフの兄弟のイワンが大審問官ではく意見のようだ。

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