まさおレポート

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サヌールの記憶 初老の男と唱歌

2019-12-25 | バリ島 人に歴史あり

かつて古い歌謡曲を歌詞もメロディーも現代風にアレンジして聞かせるクラブが赤坂見附を降りて一つ木通りをサントリー美術館に向かう角にあった。階段で2階に上がりガラス窓のドアをあけると狭い部屋にグランドピアノが不釣り合いに置いてあり、店主がピアニストも兼ねていて、気が向けば自分で古い歌謡曲をジャズ風に歌う。古いと思っていた歌謡が彼の歌声で新鮮なポップスに変わる。

遠山がこの店を赤坂見附に開いて3年になる。彼は東京芸術大学でクラシックピアノを学んだが、いつのまにか日本の歌を編曲して歌うことで知られるようになった。

デキシーランドジャズや50年代のジャズが今でも十分に楽しめるのと同じことだ。ちあきなおみがある歌をカバーして歌うと曲想が生まれ変わり、古いジャズボーカルを聞くような気になることがある。彼女のカバーで聞きなれた歌も生まれ変わる。

定年直後に妻に去られた初老の男は金曜日になるとこの店に唱歌を歌いに八王子から銀座まで通ってくる。あるときこの店で慶応大学の日本古典文学の教授と知り合いになった。どことなく折口信夫の風貌をもつ彼は古今、新古今を専門とする古典文学の教授だが唱歌と歌謡曲をほとんど暗記している。唱歌はもちろんで、俗と思われている歌謡曲にも、いや俗謡、歌謡にこそ文学の芽があるとの見識だ。

古来から文芸とはそういうものだというのが教授の意見であり、彼も週に一回は必ずこの店にやってきて歌う。二人はたまたま金曜日に出会って意気投合したのだ。

 

遠山の話を聞いてバリ島で知り合ったある男を思いだした。ある日バリ島のビラの屋上に一人たたずんでいる男性がいた。簡単な挨拶をすると男性は突然身の上話を始めた。普通初対面の相手にはそこまで話はしないと思うのだが。

初老の男は校長を務めたあと地元九州のとある市の教育委員会幹部となり、その後定年で退職した。その日に妻に離婚を申し渡され去られたという。その後傷心をいやすためにバリ島サヌールにやってきた。母親をつれてくる予定でそのための下見だと説明してくれた。

朝出かけて夕方まで一日中自転車でサヌール周辺を走り回っていたがその後彼の姿を見なくなった。聞き伝にウブドに行って唱歌をうたっているらしいという噂を聞いた。ウブドに住む日本人で同好の人々が集まって唱歌を歌い、そのリーダーになっているという。

あれから8年になる。その後老いた母親を呼び寄せたのだろうか、楽しく暮らしているだろうかとふと記憶の断片に思いを馳せた。

そんなこともあって手始めに旅愁を聞いてみた。実にすんなりと心に入ってきて飽きない。そしてじんわりと温めてくれる。

(日本の唱歌でも米国など外国発のものも多いのだ。旅愁 原曲: Dreaming of Home and Mother 作曲: John P. Ordway )

この話はフィクションです。

 


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