まさおレポート

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立川武蔵 youtubeメモ 空はプランク時間、プランク長のメタファ

2018-03-25 | AIの先にあるもの

立川武蔵の講演(第十六回現代仏教塾「やさしい般若心経」立川武蔵)をyoutubeで見た。かつて読んだ「空の思想」も面白く読んだが、youtubeは肩の力が抜けた話しぶりで言いたいことがよくわかった。耳で聞いたほうが要点をつかみやすいということもある。以下のことをyoutubeを見ながら考えた。それにしても現代の宇宙論を支える数学のその又土台であるゼロの発見といい、ブラックホールを予言しているともとれる空思想はその予言性だけでも素晴らしい。

般若心経の色即是空 空即是色は多くの人を悩ましてきた、なんだかわかったようなわからないもの、そして修行で悟らないと理解できないありがたいものと捉えられてきたのではないか。この修行で悟らないと理解できないことが理解や共感を阻んできたように思う。しかし現代の宇宙理論や量子力学をメタファとして、つまり思考の補助線として考えればすっきりとわかるものではないか。

これもない、あれもないとすべての存在を否定し最後に残るのが波羅密多のマントラという仕掛けになっている。これをこの宇宙の時空間の中で考えるとどうなるか。空間のなかにはブラックホールがあり、これは完全な無と理解してもそれほど間違ってはいないだろう、宇宙に存在するすべてのものはいずれブラックホールに飲み込まれるそんざいであり、色即是空はこのようなメタファで理解することができる。

空即是色はどうか、ビッグバンはブラックホールから生まれることのメタファとなる。つまりここで即は実は即ではなく時間の経過とともにと一応理解できるし、時空は一体のものと考えれば即である。

では最後のマントラはどうか、これはいまひとつ飲み込めない。プランク時間、プランク長はこの宇宙での最小時間と距離であり、これ以下は存在しない、つまり完全な無はこのプランク時間、プランク長のことだとメタファとして理解すると、完全な無にもかかわらずこのなかに138億年後の現代の宇宙のすべて(の智慧)が詰まっているという逆説になる。(立川武蔵は真理は逆説の中にあるとある先生の言葉を述べていた)

又唯識によれば、「私」は時間的に継続しておらず、一瞬のうちに消滅し生成される。これはプランク時間、プランク長をメタファとして連想する。不連続で非同一の「私」を継続しているように感じるのは末那識によるというが、この末那識はショーペンハウワーの意志を連想する。

以上のようなことを考えながら2部構成、3時間あまりの長いyoutubeをみたのだが、立川武蔵は上記のような宇宙論とのメタファをのべたのではない。以下のようなことを述べていたのでメモをしておきます。(誤解して聞いたところもあるのでもちろん文責筆者です)

観自在菩薩と観音は同じで、世尊が観自在菩薩にテレパシーで伝えた内容と般若心経の最初に述べている。

色即是空 空即是色で始まり、300文字にもならない短いもの。

般若経群は膨大で大塔宮が隠れた故事もあるくらい量が多い。

般若心経は法華経に遅れること3世紀ほどで4世紀頃に誕生した。龍樹の中観のなかから生まれたといい、世親までには完成していた。

般若経群が生まれたが、般若心経はそのなかには入っていない。

他のすべての経典が如是我聞で始まるが、般若心経のみは観自在菩薩の名で始まる、しかし如是我聞で始まるものもある。他の経のように経が着いていないので立川武蔵はメモのようなものだと解釈していた。

色即是空 空即是色と往復の言葉を並べたのは般若心経が初めてだという。このようにちょっと毛色の変わった経典だという。

これもない、あれもないとすべての存在を否定し最後に残るのが波羅密多のマントラという仕掛けになっている。

密教の萌芽がマントラに見られる。

密教は7世紀に形ができあがった。密教という言葉は空海が顕経と密経に分けたことに始まる。

空と無はインドでは全く異なる言葉だった、無は例えば袋の中に小麦粉が無いといった使い方が前提だが、空は袋ごと無い状態で、インドでは空と無は間違えようもない自明のことだが、鳩摩羅什の漢訳で空と同じ意味となり、さらには空の持つ真実の意味も入り込み、元来のサンスクリットの意味が変化した。(理解が間違っているかも知れないが)

インド、チベットは色即是空をものみな滅びる、現世に執着するなと否定的に捉える。

中国、日本は色即是空を諸法実相、煩悩即菩提ととき、空を本質、実相と肯定的に捉える。

(漢訳をてこにして否定的から肯定的に変化したことは面白い。)

十如是は元のサンスクリットではそっけないが、鳩摩羅什の訳で天台の一念三千の基礎となる。

空には長くおれない、一瞬の体験ですぐに返ってくるとの説明は面白かった。

空には長くおれないのは釈迦自身も見てもそうで、菩提樹の下で解脱つまり空に至ったがすぐに現世に戻り、以後40年を布教に勤めた。つまり解脱しぱなしというのは釈迦自身をみても否定される、これが大乗の萌芽か。梵天の勧請は汚点と捉えられるとか。

般若心経はアジアの各地に幅広く広がった。バリ島に般若心経のマントラが存在している。

500年ほどの波で仏教とヒンドゥの波。

仏教、ヒンドゥ、ジャイナ、その他を貫くタントリズムの絵は面白い。その一環がバリの般若か。

空はサンスクリットのスーニャでゼロの意味、アラビア数字のゼロもスーニャから来ている。無は瓶に水がないようなことで必ず瓶が前提になるが空は水も瓶も無い状態であり、インド人は言語的に絶対に混同しない、しかし中国と日本では空も無も同じで言語的に混同する。

空は形あるものは永続的には存在しないとの意味である。

(ブラックホールに対する予言ととることも可能で、優れた予言性を持つ。)

五蘊の説明で、色は熱線も入るので目に見える形あるものだけではない。受は熱いのあ、想はりんごのりくらいの段階、行はその他一切の感覚、識はりんごだとわかること。

 

 


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