まさおレポート

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プランバナン紀行

2024年03月27日 10時15分01秒 | バリ島
初稿2006-12-23 追記2024-03-27
プランバナンはジャワ大地震5月発生の年、12月に訪れている。そのため寺院は立ち入り禁止の場所も多く、地震の後の瓦礫が多くみられた。



ボロブドゥールを後にして車で2時間ほど。
突如としてブランバナンが川の向こうに姿を現した。
最高は47Mあり、威圧感がある。右手に修復中の足場が見える。



参道に立つとゴチック建築と同様に天に近づこうとの強い意志を感じる。
両側の突起は燃え立つ焔に見え、これは勧善懲悪の情念の強さを現すのか。

地震により傾いて今にも崩れ落ちそうな一角もあり、その不安定さも相まってあまり長くいたいとは思わなかった。一時間ほどでプランバナンを立ち去った。



5月の地震によるのか瓦礫のように遺跡破片が散らばっていた。
広い公園を歩きながら考えた。インドでもジャワでも仏教は滅び、ヒンズーが残った。なぜだろうか。
 
こちらの仏教は南伝仏教と呼ばれており、日本のそれは北伝仏教で、受ける印象は異なる。
登場する神々も共通しておりヒンズーの一派とも理解されたこの地の仏教は、差別化に失敗したのであろうか。あるいは悉皆成仏を説く平等思想が階級社会には受け入れられなかったのであろうか。あるいは争いを好まない仏教思想のせいか。

プランバナン寺院は仏教のボロブドゥール寺院やセウ寺院と同時期に、ヒンドゥー教を奉ずるサンジャヤ王統により造営され、ボロブドゥールと同時期の成立だとする説がある。

こうすると仏教とヒンドゥは仲良く併存していたのだろう。異教徒を攻撃するような風土は感じられない。

碑文によれば835-856年がその創建年代となる。サンジャヤ王統は760-780年頃より、仏教のシャイレーンドラ朝の支配のもとにあったが、ヒンドゥー教寺院の建設はシャイレーンドラ朝勢力から自立したことを象徴する。

西暦856年のシワグルハ碑文によるとこの寺院はシヴァに捧げられた。

 
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