おやじの遊び道具。

  シケたおやじも、愛されたいのだ!

本の攻め方。

2007-02-09 | らくがき人生
「ヤバいぜっ!デジタル日本」(集英社新書)を読んだ。
著者は、なんだか胡散臭くてしかたなかった、高城剛。
ハイパークリエイターと名乗る、彼。
けれどもこれを読んで彼の、彼特有の賢明さが理解できた。
反論異論は多々あるけれど、
この本には色々な思考のヒントが隠されている。

そういや、これまでのおいらの読書はこの本すげえなあ、
おいらもこんな風になりてえ、なんてミーハー的に感化されてただけ。
逆に馬鹿じゃねえ、詰まらねえ。と
文字面だけで、その善し悪しを判断していただけ。
ああっ、面白かったと薄い読後感。
ここにきて、それが変わった。
あっ、こんな考え方もあるのね。
じゃ、こうしてたらきっとこんな展開だったんだ。
こりゃ、おいらとフィーリングが違うけど、
その根拠はどういうことなんだろう?
ほーっ、この方法論は使えるなあ。
ならば、実践して真意のほどを確認してやろう。
本の裏読みができるようになった。
年齢のせいか、はたまた読書暦が功を奏するようになったのか。
一冊の本を2倍3倍にも楽しめるようになった。
それでも、時間の無駄と思える書籍は多い。

編集長がおいらに、「この原稿どう思います?」と尋ねた。
「ほおーっ、分かりやすい文章だね。だけど、それだけ」
「やっぱり、そう思いますか。本人曰く本の虫なんだそうですが」
「駆け出しじゃ、ないよね。おいらと同じくらい年齢?」
「近いですね」
「じゃそもそも、思考が平坦なヒトなんだね」
「そう、だから言ってしまいました。『あなたじゃなくても、この程度なら書ける人がたくさんいます。ごくごく一般的な見解と、当たり障りのない文章。あなたの人生キャリアと、読書量がほとんど反映されていない。ライターと名乗るなら、そのあたりからもう一度考えてみてください』と」
おいら自身が気にしていることを、そいつを通して言われたようなもんだ。

このところ週刊誌に書かれていることや、
文芸誌に掲載されているもので、なんと刺激のないものが多いことか。
どこでも誰もが考えていることだろっ、それは。
もっと違う切り口で、エッジの効いた言葉で頼む。
どこぞのおばはんたちの立ち話のように、
朝見たワイドショウをなぞるだけの解説は止めてくれ。
そのことについてどう思う、こう思うと主観的な主張、
それも誰もが口にするような言葉ではなくて、表現してくれ。
なぞってもいいから、別の臨場感で。
とにかくおいらを、ドキドキさせて欲しいのだ。

この会社で担当している研修にて。
本を読まないことを自慢気に話す、制作部の新人くん。
きみは天才じゃなんだから、まずヒトの書いたものを読め。
それが、いい文章か悪い文章か考えろ。
悪い文章をなぞってみろ、そしてそれに身体が拒絶反応を起こし始めたら、
べからずの文章をデータとして一つ脳にストックできたわけだ。
良い文章は二回以上なぞれ。
それがすらすら書け出したら、前出と同様だ。
まずその意味を考えろ。
次は一般的な理解をしてみろ、
最後はちょっと尖んがった、きみならではの見解を考えてみろ。
きっと、件のライターはこういう訓練をすっ飛ばしてきたんだろう。
なあ、新人君。
件のライターやおいらみたいになりたくなかったら、
本をしっかり読んどけ。
そしてゆくゆくはおいらをドキドキさせる作品を仕上げてくれ。

戦前や戦後加えておいらの学生時代。
本を読んだり、ピアノを習ったり、詩を書いたりするのは女々しいことだった。
馬鹿な風潮だ。
人生の何割かは、それにより損をしたはずだ。


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