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元女王ヒンギス、来年に現役復帰へ

2005年11月30日 | テニス
女子テニスの元世界ランキング1位のマルチナ・ヒンギス(スイス=25)が、来年に現役復帰する意向を示した。
 2002年にけがにより現役から退いたヒンギスは、「けがによる引退について納得していない。コートを離れていた間、これまでとは違う生活を楽しむことができたが、世界トップクラスの戦いにチャレンジしたくなった。体調を維持し、今日のトッププレーヤーと競うことができるのか確かめたくなった」と、代理人を通した声明文で発表した。
 ヒンギスは史上最年少の16歳6カ月で世界ランク1位の偉業を達成し、4大大会シングルス5度の優勝を飾った。

城島がマリナーズと契約 3年で総額23億円

2005年11月22日 | 野球
 日本人捕手で初めてとなる大リーガーが誕生する。プロ野球ソフトバンクからフリーエージェント(FA)宣言した城島健司捕手(29)が3年契約を結んだと、米大リーグ、マリナーズが21日、発表した。
 城島は22日に福岡市内で記者会見する。契約は3年総額で最大1900万ドル(約22億6000万円)とみられるが、AP通信によると、3年間で年俸分は1650万ドル(19億6400万円)で、残りは出来高払いになる。
 日本人捕手がメジャー契約を結ぶのは初めてで、城島は日本人野手第1号のイチロー外野手とチームメートになる。大リーグの1球団に日本人野手が2人所属するのも初めて。
 マリナーズのリンカーン最高経営責任者(CEO)は「城島はマリナーズにとって、大きな財産になる。マリナーズのファンは彼のプレーを楽しむだろう」と述べた。
 大リーグ移籍の夢を追ってFA宣言した城島は、球団施設や生活環境を視察するために家族を連れて7日に渡米。ロサンゼルス入りした後に、シアトルでマリナーズ幹部と2日にわたって会食し、当初予定していたニューヨーク行きを取りやめて19日に帰国した。

世界ランク1位のすごみ 故障を克服したウッズ

2005年11月21日 | GOLF
 ダンロップ・フェニックス最終日(20日・宮崎県フェニックスCC=6907ヤード、パー70)米ツアー賞金王のタイガー・ウッズ(米国)が通算8アンダーの272で並んだ横尾要とのプレーオフを制し、大会2連覇を達成した。優勝賞金は4000万円。

 18番(パー5)の繰り返しで行われたプレーオフ1ホール目。ウッズはドライバーショットを放つと、飛び跳ねるようにして顔をしかめた。1カ月前に痛めたという左足首に激痛が走ったのだ。
 ハンディを負いながら勝った。2連覇を飾り「とても長い一日だった。いい戦いができた」と、安堵(あんど)の笑顔を浮かべた。 正午の気温が約13度という冷え込みが、左足首に悪影響を与えた。「何とか18ホール持ってくれればと思ったが、途中から痛くなった」と明かす。本来のプレーには遠く72をたたき、得意の逃げ切りは果たせなかった。
 本人が「負けると思った」と打ち明けたピンチは、プレーオフ1ホール目。第1打を林に入れると次でも出せず、3打目で脱出した。ピン手前約6メートルに4オン。このパーパットを沈めると、思わず両手を突き上げた。
 結局、4ホール目で横尾を振り切った。「今回勝てたことで、2006年は、もっと優勝したいという気持ちになった」。2位に8打差の圧勝だった昨年とは全く異なる勝ち方だったが、勝負どころでの執念に世界ランキング1位のすごみを見た。

松井秀喜、4年62億円 ヤンキースと契約延長

2005年11月17日 | 野球
米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手は16日、当地のヤンキースタジアムで記者会見し、4年契約でのヤンキース残留を発表した。年俸総額は5200万ドル(約61億8800万円)で、平均年俸1300万ドルは、イチロー外野手(マリナーズ)を抜き、日本人選手最高額となる。
 ブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)、代理人のアーン・テレム氏とともに会見に臨んだ松井秀は「僕にとって最高の幸せです。ピンストライプのユニホームを着て、またこの球場でプレーできる幸せを今すごく感じている」と話した。
 ヤンキース残留を優先した理由については「常に高いところに目標を置いているチーム。そこに身を置いて、自分も高い目標を持って戦う」と説明。また「言葉では言い表せないくらい大きな存在」という、ジョー・トーリ監督の残留も要因だったことも明かした。 契約にはトレード拒否条項も含まれ、4年後までヤンキースの一員でいることが保障された。
 松井秀は、2003年に総額2100万ドルの3年契約でヤンキースに入団。今季終了まで、連続試合出場を続け、成績も着実に伸ばしている。

吉田vs小川! 大みそかに日本人頂上決戦=PRIDE男祭り

2005年11月15日 | 格闘技
 吉田vs小川、宿命の対決! 大みそか12月31日にさいたまスーパーアリーナで開催される「PRIDE 男祭り2005 頂-ITADAKI-」の対戦カード発表記者会見が14日、都内のホテルで行われ、かねてからうわさに上っていた吉田秀彦vs小川直也の一戦が正式に決定した。

 同席した高田延彦PRIDE本部長、榊原信行DSE(ドリームステージエンターテインメント)代表を挟んで座った吉田と小川だったが、何ともいえない重々しい空気が会見場を支配していた。
 まず吉田が「大みそかは3回目なので、いい試合をして、よりたくさんの人たちに見てもらいたいですね」とコメントしたのに対し、小川は「まだプロレス熱が戻ってきていない。その熱を取り戻すために、(プロレスの)代表として出ることにしました」と、柔道家でも総合格闘家でもなく、プロレスを背負って立つ人間として約1年半ぶりにPRIDEのリングに上がる決意を語った。
 会見後のフォトセッションでは、1メートルほどの間隔をあけ、互いの顔を一切見ようとせずに二人が並び立った時間はわずか3秒。大みそかの一大決戦へ向けて早くも火花を激しく散らしていた。

 同じ柔道家としてともに一時代を築き、そして同じ明治大学の先輩・後輩でありながら、これまで互いに交わることのなかった二人がついにPRIDEのリングで激突する。過去に1度だけ、11年前の94年柔道全日本選手権・準決勝で両者は対戦したことがあるが、その時は接戦の末、2-1の判定で吉田が勝利を収めている。直接対決はそれ以来2度目となる。
 高田本部長は「このカードはミラクル。日本国中の人たちが最も関心を寄せる試合だと自負しています」と興奮を抑えきれない口調で語った、まさに奇跡の一戦。そして、サブタイトル「頂-ITADAKI-」の通り、日本人重量級ファイターの頂点を決める一戦。二人の激闘が、今年の大みそかの日本列島を熱くする!