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HERO’S2005ミドル級世界最強王者決定トーナメント準決勝

2005年07月26日 | 格闘技
 須藤vs宮田戦は、打撃系の選手との対戦が続いていた須藤選手が、アマレスの日本代表で世界レベルの宮田選手とどういった戦いをするのか。宮田君も総合の戦略的な部分を真綿に水が吸収されるような感じでどんどん身に着けて成長している。スピーディーでエネルギッシュな戦いになると思う。

 レミギウスvs高谷戦は、二人ともスピーディーなパンチ、素晴らしい当て勘を持っている。手に汗握るハラハラした試合になると思う。この総合の70kg以下級の選手の中には、K-1MAXに行っても十分に上位争いできる選手がいるっていう話をしましたが、レミギウスも高谷君もそういう可能性を秘めた選手。この二人の戦いは高速の打撃戦になる。

 ホイラーvsKID戦は、総合の象徴的な試合になる。グレイシーは相手を止めて、いいポジショニングを与えないでジワリジワリと攻めていく戦い方。山本君は動いて動いて動きまくってポジショニングを奪ったりパンチを入れていく。ヒョードルに代表される新しい戦い方。止められるか、動き続けるのか、今の総合を象徴する対決。山本君のグラウンドの技術を含めて見どころがいっぱいある。

 宇野vs所戦は、まさに二人とも立ってよし寝てよし。今の総合の技術という部分では最高の戦いが見れる。宇野君はいつも「一番強い奴とやらせてください」とマッチメーカーが心配するぐらい常に自分の可能性を試そうとする。所君に関しては、ノゲイラに勝ちましたけど、隠れた部分の打撃センス。グラウンドのセンスはすでに言われていますけど、ZSTにおいて掌底でグローブの相手に対して打撃を当てるという当て勘。拳ひとつ分のリーチ差がある間合いから打撃戦を挑む打撃のセンスがある。この二人が噛み合って、総合の中の名勝負といわれる試合になればと思う。

F1第12戦 ドイツGP

2005年07月25日 | モータースポーツ
7月24日(日)
曇り/ドライコンディション
 
 予選日となった土曜日は時折晴れ間をのぞかせたホッケンハイムリンクだったが、決勝日は曇り。スタート40分前には、雨がぱらつくなど、不安定な天気の中、午後2時(日本時間午後9時)、気温24℃、路面温度31℃と涼しいコンディションの中、決勝のスタートが切られる。
 
 ポールポジションのキミ・ライッコネン(マクラーレン・メルセデス)が3番グリッドから好スタートを切ったフェルナンド・アロンソ(ルノー)を牽制しながらトップで1コーナーに進入。路面の汚れたイン側2番グリッドのジェンソン・バトン(B・A・R Honda)は出遅れ、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)にもかわされ4番手に後退してしまう。
 
 その後方では8番手スタートの佐藤琢磨(B・A・R Honda)が1コーナーのポジション争いで6番手スタートのマーク・ウェーバー(BMWウィリアムズ)のインを差すが、M.ウェーバーは譲らず2台は接触。アウト側に膨らんだM.ウェーバーに押し出される形となったヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)はコースアウトの際に左フロントタイヤのパンクに見舞われてしまう。一方、M.ウェーバーとの接触でダメージのなかった佐藤だったが、全開で加速するターン3で僅かに加速の鈍ったジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)のマシンを避けきれずに追突し、フロントウイングを破損。オープニングラップを終え、佐藤、J.トゥルーリ、M.ウェーバーが緊急ピットインを余儀なくされる。
 
 レース序盤は、K.ライッコネンとF.アロンソが、3位のM.シューマッハ以下を引き離しマッチレースとなる。K.ライッコネンのペースについて行きたいF.アロンソだったが、K.ライッコネンのペースは速く、徐々に離されていく。F.アロンソは22周目に1回目のピットインをするが、K.ライッコネンは25周まで伸ばしてようやくピットイン。2位F.アロンソに10秒近くのマージンを築いていたK.ライッコネンは、トップのまま第2スティントを迎える。
 
 一方、昨日の予選を失敗し、さらにエンジン交換を実施したため、最後尾からスタートしたファン-パブロ・モントーヤ(マクラーレン・メルセデス)は、オープニングラップの混乱に乗じて11番手までポジションを上げると、燃料を多めに積んで決勝に臨んでいたこともあり、上位陣が1回目のピットインをしている間に順位を上げてくる。第1スティントを27周まで引っ張ったJ-P.モントーヤは、その時点で早くも5番手までポジションをアップすることに成功する。
 
 レースの折り返し地点に向け独走態勢を築いていたK.ライッコネンだったが、36周目に突如悲劇に見舞われる。ハイドロリック系にトラブルを抱えたK.ライッコネンのマシンは突然スローダウン、最後はリアタイヤをロックさせコース上にストップ。これでF.アロンソは労せずトップに躍り出る。
 
 K.ライッコネンのリタイアにより、2位となったM.シューマッハだったがペースが上がらず、J.バトン、J-P.モントーヤに詰め寄られ厳しい展開となる。巧みなライン取りで後続を抑えるM.シューマッハだが、44周目のヘアピンでJ.バトンにインを差されオーバーテイクを許してしまう。M.シューマッハをかわしたJ.バトンは、約2秒の差をつけ46周目に2度目のピットイン。M.シューマッハは49周目にピットインするが、J.バトンの前に出ることはできなかった。
 
 一方、J-P.モントーヤは、M.シューマッハがピットインをしている間にペースを上げる。そして56周目に2回目のピットインを行なったJ-P.モントーヤは、J.バトンをかわし、2位までポジションを上げる。ペースが上がらず4位に後退したM.シューマッハに、今度はルノーのG.フィジケラが襲い掛かる。J.バトン同様、ヘアピンで勝負に出たG.フィジケラは見事なオーバーテイクでM.シューマッハをかわし、4位にポジションをアップを果たす。
 
 2位J-P.モントーヤに30秒近いマージンを築いたF.アロンソは、終盤はペースを落とし、レースをコントロール。まったく危なげないレース展開で今季6勝目を挙げた。F.アロンソは「キミがとても速かったから正直きょうは2位でいいと思っていた。確かにマクラーレンは速いけど、レースは30周じゃないからね。きょうのクルマはパーフェクトだった」と喜びのコメント。この勝利によりドライバーズ・ランキングでは、2位K.ライッコネンに『36』ポイント差をつけ、F.アロンソはチャンピオンシップをさらに有利に進めることとなった。
 
 最後尾スタートから2位までポジションを上げたJ-P.モントーヤは「フラストレーションが溜まるレースだった。きょうは優勝もできたと思う。昨日のミスが痛かった…」と予選での失敗を悔んだ。3位にはJ.バトンが入った。4位はG.フィジケラで以下、M.シューマッハ、ラルフ・シューマッハ(トヨタ)、デビッド・クルサード(レッドブル)、フェリペ・マッサ(ザウバー)がポイントを獲得。スタート直後のアクシデントで一時は最高尾からの追い上げとなった佐藤琢磨は12位、J.トゥルーリは14位でレースを終えている。

魔裟斗、無念の負傷リタイア 波乱のトーナメントはサワーが制す!

2005年07月21日 | 格闘技
 波乱のトーナメントはアンディ・サワーが制す!
「K-1 WORLD MAX 2005~世界一決定トーナメント~」が20日、横浜アリーナで開催された。
 王座奪回を目指す魔裟斗が負傷リタイア、優勝候補ジョン・ウェイン・パーも初戦敗退と波乱が続く中、決勝へ駒を進めたのは04年覇者のブアカーオ・ポー.プラムックとシュートボクシング世界チャンピオンのアンディ・サワー。試合は再延長5Rに突入し、サワーがパンチ、ブアカーオがミドルで攻め合う総力戦に。両者が死力を尽くし戦い抜いた一戦は判定へもつれ込み、2-1の僅差ながらサワーが2005年のタイトルをものにした。
 新王者サワーは周囲への謝辞を述べると、ひときわ大きな声で「シュートボクシング!」と叫び、大会制覇の喜びを表した。

 絶好調で大会に臨み王者返り咲きを期待された魔裟斗は、準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。「魔裟斗戦のことしか考えていない」と語り03年の復讐に燃えるザンビディスの猛攻に手を焼いたが、3ラウンド、蹴りに合わせた右ストレートでダウンを奪取。難敵を下しV奪還の予感が高まったが、この試合で左足を骨折し無念のドクターストップとなった。
 心ならずリタイアとなった魔裟斗は、「こういう不本意な結果で試合ができなくなるの残念なんですけど、お客さんに申し訳ないと思います。すいませんでした」と準決勝前にあいさつした。

 準決勝にはリザーブマッチを勝ち上がった安廣一哉が魔裟斗の代わりに進出。小比類巻貴之を下してきたサワーと対戦した。胴回し回転蹴り、バックブローと奇襲をかけサワーの牙城を崩しにかかった安廣だが、リザーブマッチで負った傷が開いてしまいドクターストップ。日本人選手の決勝進出はならなかった。
 もう一方の準決勝では04年覇者のブアカーオと初代王者アルバート・クラウスの再戦が実現。キレのあるパンチを振るったクラウスだが、ブアカーオがひざで猛攻。クラウスの失速を呼び、2月に敗れたリベンジを成し遂げた。
 自国開催で優勝を期待された小比類巻は準々決勝でサワーと対戦。間合いを制しひざ蹴りを使い、中盤まで試合を優位に進めたが、2ラウンドにサワーが右ストレートを当て形勢逆転。3ラウンドもパンチのコンビネーションでサワーが攻め込み、世界一の夢を絶たれた。

 シュートボクシングで圧倒的強さを見せながら、MAXでは本領発揮できない印象のあったサワーだが、この優勝で払しょく。クラウス、魔裟斗、ブアカーオに次ぐ第4代王者に輝いた。
 MAXは次回大会を「世界王者対抗戦」とし、10月12日に開催が決定。サワーを軸にいかなる戦いが生み出されるのか注目される。ブアカーオ、魔裟斗も巻き返しを狙ってくるに違いない。王者たちの戦いは止むことなく秋のMAXへつなげられていく。

亀田興毅 東洋太平洋王座挑戦が決定

2005年07月20日 | 格闘技
 ボクシングの亀田興毅(18)=協栄=が、東洋太平洋(OPBF)フライ級王座に挑戦することが19日、決定した。8月21日(横浜文化体育館)に同級王者ワンミーチョーク・シンワンチャー(30)=タイ=に挑戦する。プロ8戦目で日本を飛び越え東洋王座に挑戦。ベルト奪取で世界ランク上位入りを目指す。
 “浪速の闘拳”に怖いものはない。プロ8戦目でいきなりの東洋タイトルマッチにも平然と言い放った。「東洋ぐらいは楽勝や。自分のボクシングをやったらすぐに倒れてまうよ。俺は世界しか見てへんから」。自信満々に不敵な笑みを浮かべた。
 初めて迎える強敵。王者はこれまでプロスパー松浦(国際)、中野(畑中)、榎本(三迫)の3人の日本人と対戦。通算1勝2敗で負け越しているが、6月の榎本とのタイトル戦では3―0の判定でベルト奪取。テクニシャンのサウスポーだ。
 「20歳の誕生日を前に世界王座獲得」。目標に向け着実に前進している。リミットは来年の誕生日11月17日だが、東洋王座を獲得すれば世界ランク上位に入るのはほぼ確実。金平桂一郎会長は「勝てば世界に大きく前進する。大切な一戦」と言葉に力を込めた。
 標的はあくまでもWBC世界フライ級王者のポンサクレック(タイ)。WBCの最新ランクで亀田はフライ級27位につけた。「ポンサクもサウスポーでタイ人やし、今回はちょうどいい相手。でも12回まで立ってられへんよ。やってまうで」といつものKO予告をした。
 デビュー8戦目で世界のベルトを巻いた辰吉丈一郎(大阪帝拳)には及ばないものの、堂々のスピード出世。「今年の目標は世界の15位以内に入ること。そうすればすぐに世界戦ができるからな」。東洋王座を足掛かりに、夢の世界へ一気に加速する。

ノア「DESTINY 2005」 小橋建太VS佐々木健介

2005年07月19日 | 格闘技
「TAKE A DREAM」の前奏からいつものテーマ曲が流れ、花道両側で花火が炸裂する中を白地のタイツ1枚で健介が入場。小橋も前奏の後、1つ前のテーマ曲で、ゆっくりと花道からせりあがって登場。この日が初お披露目となる黒に白の縁取りが入ったロングガウンのフードをかぶったままゆっくりとリングへと進んでいった。

 ゴングが鳴っても両者はしばらくにらみ合ったまま。先に健介が小橋を投げ、ストンピングを放つと、小橋も立ち上がりながらにらみつける。
 チョップの応酬からラリアットを打ち合うと、両者とも場外へダウン。だが、リングの両側からにらみ合い、そろってリングに戻ると、力比べへ。最初は健介がねじ伏せようとするが、小橋も腕に力をこめて返し、互角の闘いを繰り広げる。小橋はヒザ蹴りから水平チョップ、バーニングソード、さらにダウンした健介めがけてチョップを打ち込み、ヘッドロックにとらえると、エプロンに引きずりこんでギロチン式のジャンピングチョップ。さらにプランチャを放ち、リングに戻るや強烈なチョップ。だが、健介はコ-ナーに追い込んでチョップを放ち、さらに雪崩式のフランケンシュタイナーを炸裂。休む間もなくフライングボディーアタック、コーナートップから場外へのダイブとたたみかける。さらにフェースクラッシャーを決めると、小橋を挑発。小橋と一歩も引かない、100発近くに及ぶ壮絶な水平チョップ合戦へ。小橋がマシンガンチョップを仕掛けると、健介もやり返し、小橋、健介と続くと、再びリング中央に戻って水平チョップ合戦。2人そろってきいてないというように頭を振り、ぶつけ合うと、再びチョップの打ち合いへ。ついに小橋が健介を倒すと、観客が大きな拍手を送った。
 健介は向かってきた小橋を投げ飛ばすが、ダメージの残る胸を押さえてコーナートップへ。しかし、小橋が雪崩式ブレーンバスターからハーフネルソンスープレックスで投げつけ、再びハーフネルソン。エプロンへ逃げた健介とロープ越しのブレーンバスター合戦をチョップで落とすが、健介はエプロンに来た小橋を抱え上げて場外へ北斗ボム。場外で両者ダウンとなる。スクリーンには、スタンドで見守る北斗の姿が映し出される。小橋は何とか19でリングインすると、これを手を招き、待ち構えていた健介がタイガースープレックス。2で返した小橋に、さらにラリアット。これも2で返すと、客席からは小橋コール。小橋は起死回生のラリアットを放つも、健介は一本背負いからストラングルホールドへ。ここで20分経過のアナウンスが流れる。
 小橋はケサ斬りチョップからラリアットを狙うも相打ちに。小橋はスリーパースープレックスから拳を握りしめ、居合い抜きラリアットを決めるが、カウントは2。今度はムーンサルトを放つが、これも2。小橋は回転ケサ斬りチョップ連発から気合を込めた剛腕ラリアット。ついに勝負を決めた。

 試合を終えた両者は握手をかわし、抱き合うと2人で両手を挙げて声援に応え、対角コーナーで向かい合って礼をした。健介は「小橋選手、ありがとう」ともう一度小橋と握手をかわすと、「そして、ノアのファンのみなさん、ありがとうございました」と語ると、ファンも健介コール。「今日は最高に気持ちよかったです。どうもありがとうございました」とリングを降りた。

徳山判定で王座復帰 ダウン奪うも川嶋敗れる

2005年07月18日 | 格闘技
 世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦は18日、大阪市中央体育館で行われ、前王者で同級4位の徳山昌守(金沢)がチャンピオンの川嶋勝重(大橋)を3-0の判定で破り、王座に返り咲いた。川嶋は3度目の防衛に失敗した。 徳山は序盤から的確に有効打をヒットさせ、ポイントを積み重ねた。12回にダウンを奪われたが、逃げ切った。昨年6月、川嶋に1回TKO負けして王座から陥落したが、1勝1敗で迎えた3度目の「ラバーマッチ」を制した。
 日本のジム所属選手同士が世界戦で3度対戦するのは史上初。戦績は徳山が35戦31勝(8KO)3敗1分け。川嶋が32戦28勝(18KO)4敗。
 日本のジムに所属する現役世界王者は、世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級の新井田豊(横浜光)、WBCミニマム級の高山勝成(グリーンツダ)、WBCバンタム級の長谷川穂積(千里馬神戸)と合わせて4人。

小川がハッスルポーズで橋本氏を追悼

2005年07月14日 | 格闘技
 第4試合終了後、ハッスル軍とモンスター軍の抗争が一時中断され、11日に急逝した“ハッスルキング”こと橋本真也氏を追悼する10カウントゴングが鳴らされた。両軍の選手と観客が黙祷を捧げ、選手を代表として小川が挨拶に立った。

 小川は「あまりにも突然で、あまりにも急で、正直、適当な言葉が見つかりません。ある人に言われました。“ハッスルの父は私であり、ハッスルの母は橋本さんだ”と。思えばハッスルを広めるためにハッスルポーズを考えたのも私と橋本さんでした。橋本さんはプロレスの復興を誰よりも願っていました。ハッスルのリングに復帰するため、厳しいトレーニングを積んでいましたが、志半ばで逝ってしまいました」と目に涙を浮かべながら観客に語りかけたが、最後には「あの人に湿っぽいのは似合いません。派手好きだったあの人を偲び、ハッスルらしくトルネードハッスルで哀悼の意を表したいと思います。ハッスルキング・橋本真也、天国でもハッスルしろよ!」と叫び、会場一体となって、橋本氏が考案したトルネード・ハッスルのポーズを決め、天国へと旅立った盟友を偲んだ。

井川 14被安打でも幸運9勝目

2005年07月13日 | 野球
 阪神・井川にとって、チームの貯金が増えたことが、何よりの良薬だ。片岡の逆転打が生まれるとベンチから飛び出して、笑顔でヒーローと手を合わせる。頭上に輝いたハーラートップタイの9勝目。ただ、自身の勝ち星を素直に喜ぶ気にはなれない。
 ちょうど1週間前、ツーシームの多投で幻惑したヤクルト打線に立ち上がりから捕まる。初回、先頭の青木に中前打を許すと、続く宮本にはファウルで7球連続で粘られ、10球目を右前に運ばれて一、二塁のピンチを招いた。結果的に「根負け」して、流れを断ち切れなかったことが後に響いた。
 そこから岩村に左翼への適時二塁打、さらに一死二、三塁から鈴木健に初球の直球を中前に運ばれるなど3失点。リードを一気に消してしまうまさかの乱調ぶりだった。
 「球が高くて甘かった。向こうも早打ちが多くて、好球必打できていた」と久保投手コーチ。癖が見抜かれた―という疑問にも「気を付けて見ていたけど、そういう感じじゃなかった」と話すように、問題は左腕の中にあった。
 その後も毎回走者を出し、六回には勝ち越し打も許した。6回を4失点。被安打「14」はもちろん自己ワーストのもの。ただ、球数は107球という決して多くない。ヤクルトの早打ちに加え、苦しくても無四球で乗り切った粘りも示す数字だろう。
「チームの調子がいいけど、苦しくなる時もくるだろうし…。その時までにどれだけ貯金をためられるかだと思う」
 そう話していた口を閉じ、試合後は無言でバスへと歩いた。悔いが残った25歳最後の1日。負けなかったことが収穫だ。夜が明け、26歳を迎えると同時に、気持ちを切り替えて再び走り出す。

プロレス界に衝撃…橋本急死

2005年07月12日 | 格闘技
 “破壊王”の愛称で親しまれた人気プロレスラー、橋本真也さんが11日午前10時36分、横浜市内の横浜市立大付属市民総合医療センターで亡くなった。40歳だった。岐阜県出身。死因について、橋本さんの代理人側は「脳幹出血」と発表した。橋本さんはこの日朝、横浜市内で倒れ、救急車で同病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態で、間もなく死亡が確認された。フリーの立場で今秋のリング復帰を目指していた矢先の無念の死となった。
 破壊王、死す―。現役トップレスラーの急死。あまりにも突然で、衝撃的な訃報(ふほう)がプロレス界に激震を走らせた。
 橋本さんの代理人側は11日夜、横浜市内で緊急会見。橋本さんはこの日朝に「横浜市内の自宅」で倒れ「午前10時36分に病院で死亡が確認された」と発表した。急死に至る経緯について、代理人側は「最後に会ったのは6月30日。状況は把握していない」と明言を避けた。岐阜県から会見に出席した妹の真生さんは「母が脳出血で亡くなり、橋本本人も気にしていた」と体調に不安を抱えていたことを明かした。
 橋本さんは「遅くても今秋、復活する。レスラーとして数年で負債を完済する力はある」と意欲を示したが、ZERO―ONE崩壊で抱えた1億円を超える負債には「相当な心労があったと思う」(代理人)という。代理人側は、橋本さんが今年3月25日に離婚していたことを明かし、真生さんが喪主を務める。
 遺体が仮安置された病院に駆けつけた闘魂三銃士の盟友で新日本の蝶野正洋は「先週、本人に“体調が悪い”と聞かされた。“心臓が悪い”とも」と証言。新日本の坂口征二相談役は「10月の東京ドーム大会に彼の名が挙がっていた。復帰戦は新日本でやってほしかった」と唇をかんだ。
 格闘技に押されてプロレス人気が低落する中、1990年代に一時代を築いた橋本さんはプロレス再興の起爆剤となるべき人物の1人だったが、結果的に、昨年8月31日のZERO―ONE岩手・盛岡大会がラストマッチとなり、二度と再び、その勇姿をリングで見ることはできなくなった。昨年末に右肩手術に踏み切り、05年中の現場復帰を目指していたが、志半ばで橋本さんはあの世へと旅立った。想像を絶するプレッシャーが、橋本さんの心身をむしばんでいったのかもしれない。あまりにも惜しまれる死だった。

F1第11戦 イギリスGP

2005年07月11日 | モータースポーツ
晴れ/ドライコンディション
 
 金曜、土曜と厚い雲に覆われていたシルバーストン・サーキットだが、決勝日はこの週末一番の好天に恵まれ、気温27℃、路面温度40℃というコンディションの中、午後1時(日本時間午後9時)、決勝のスタートを迎える。レース前には、開幕前日の7日にロンドンで発生した同時爆破テロの犠牲者の冥福を祈るため、1分間の黙祷が捧げられた。
 
 そして定刻通りにフォーメーションラップがスタート。路面温度が上がったとはいえ、各車タイヤを温めることに余念がない。するとここでアクシデントが発生。7番グリッドの佐藤琢磨(B・A・R Honda)が、フォーメーションラップを終え、自らのグリッドへと戻る最終コーナーで、エンジンをストールさせてしまう。しかし、スタート進行はそのまま続行。佐藤はスターティンググリッドに着けないまま、レースはスタートが切られた。
 
 スタートで飛び出したのは、3番グリッドのファン-パブロ・モントーヤ(マクラーレン)だった。2番グリッドのジェンソン・バトン(B・A・R Honda)をかわし、さらにポールポジションのフェルナンド・アロンソ(ルノー)にマゴッツでサイド・バイ・サイドで並ぶと、そのまま鮮やかに抜き去り、J-P.モントーヤがトップに浮上する。
 
 12番グリッドのキミ・ライッコネン(マクラーレン・メルセデス)は、スタートで4台かわすと、さらにラルフ・シューマッハ(トヨタ)までも抜き去り、8番手に浮上する。J-P.モントーヤを先頭にトップグループは中間区間に差し掛かるが、ホームストレート上ではコースマーシャルに押されピットへと戻る佐藤のマシンがあり、レースはセーフティカーが導入される。佐藤はピットに戻ると、メカニックのチェックを受け、レース戦略の変更による給油を終えると、レースに復帰を果たす。しかし、この時点ですでに周回遅れ。第二のホームグランプリは苦しいスタートとなってしまう。
 
 レースは3周目にリ・スタートとなると、トップのJ-P.モントーヤと2位F.アロンソが、互いにファステストラップを更新しながら、3位J.バトン以下を引き離しにかかる。2位F.アロンソはJ-P.モントーヤを追走し、両者の差は1秒前後とマッチレースに突入。22周目、J-P.モントーヤが最初のピットイン。この間、F.アロンソはプッシュし、翌23周目にピットインをするが、J-P.モントーヤが僅差でトップを守る。一方、8位を走行するK.ライッコネンは、ペースの上がらないヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)とそれにつき合わされているミハエル・シューマッハ(フェラーリ)に阻まれ、順位を上げることができずにいたが、J.トゥルーリが20周目にピットに入ると、猛然とプッシュ。M.シューマッハが先にピットに向かったこともあり、6番手にまで順位を上げる。
 
 第2スティントは、J-P.モントーヤが徐々にF.アロンソを引き離す展開。F.アロンソに約7秒差をつけたJ-P.モントーヤは、44周目に2回目のピットイン。一方、K.ライッコネンは、2回目のピットインでJ.バトンをかわし4番手に浮上する。3番手を走行していたジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)とのタイム差、残り周回数の関係からK.ライッコネンの追い上げもここまでかと思われたが、思いもよらぬ事態が46周目のピットで発生する。2回目のピット作業を行なうG.フィジケラが、コース復帰時に前戦フランスGP同様、痛恨のエンジンストール。これでK.ライッコネンは労せず3番手に浮上する。
 
 第2スティントを長めにとる作戦に出たF.アロンソは、燃料が軽くなるとペースを上げJ-P.モントーヤを猛追、49周目に2回目のピットインに入る。わずか4.9秒というスプラッシュ・アンド・ゴーを決めるが、それでもJ-P.モントーヤの前に出ることはできず。それでもF.アロンソは諦めずにプレッシャーをかけ続けるが、J-P.モントーヤが逃げ切り、今季初優勝を飾った。
 
 優勝したJ-P.モントーヤは「昨日からいいラップで走れたので、レースでも自信があった。序盤はオーバーステア気味だったので、うまく抑えながら走った。スタッフが頑張ってくれたおかげで、いい結果を得ることができた」とマクラーレン・メルセデス移籍後初となる優勝を喜んだ。一方敗れたF.アロンソは「ファン-パブロとはギリギリの争いとなった。きょうは最後まで諦めずにプッシュした。キミより前なので、2位でも満足している」とコメントした。
 
 3位には2戦連続の“10グリッド降格”で中盤からの追い上げを余儀なくされたK.ライッコネンが入り、4位はG.フィジケラ。チャンピオン争いを繰り広げるマクラーレンとルノーがトップ4を独占した。地元イギリスで表彰台獲得が期待されたJ.バトンは4位、以下、M.シューマッハ、ルーベンス・バリチェッロ(フェラーリ)、R.シューマッハまでがポイントを獲得。トヨタのJ.トゥルーリは9位、佐藤琢磨は、トップから2周遅れの16位完走と今回もポイント獲得はならなかった。