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バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1996年 東北ツーリング 7日目

2024年10月22日 | 1996年 秋・東北ツーリング
9月2日(7日目)
釜石~宮古~八戸



 釜石。6時前には起床。
 ホテルの目の前は、甲子川だ。甲子川を挟んだ遠くに釜石駅らしき建物が見える。テレビの天気予報によると、「内陸北部に大雨洪水警報」とテロップが流れている。釜石は今のところ、雲はどんよりと低いが降雨はない。取りあえず、内陸部を避けて三陸海岸を北に向かうことにする。

 午前7時40分、出発するころになって小雨がぱらついてくる。
 雨が止むのを待っていても切りがないので、宮古を目指して出発。橋上市塲を横目に国道を北上する。この時点では、どこまで走るのかは未定。まあ、いけるところまで行こう。市内を抜けて1キロほど走ったところで、どこを間違えばこうなったのか、海沿いの道にUターンする形で釜石港に戻ってしまっている。

 8時15分。釜石港。こちらから見る景色もなかなかのものだ。
 雨はいつのまにか止んでいる。まあ、迷ったけれど、これはこれでよしとしよう。これから向かう宮古方面は、雲の下がうっすらと明るい。どうやら、太平洋岸に雨は降っていないようだ。

 釜石港から細い道を宮古方面に向かったつもりが(避難所と書いてある標識にしたがって、上のほうに上のほうに進んでいたら)、10キロほど走ったところで岬の突端に出てしまう。結局、再び、釜石市内に戻って国道を宮古に向かう。と、5、6キロ走ったところで、強烈な腹痛に襲われる。トイレなんぞ、どこにもない。コンビニも見当たらない。

 経験上、あと10分は我慢できる痛さだ。しょうがないので、トイレを求め(いざというときには青空トイレ覚悟で)、海岸線に至る小さな道に右折する。と、「釣りバカ日誌6」に使われたホテルの看板などがあり、なんとか、その先に公園を発見。トイレもあったので、やれ嬉し。午前9時過ぎ。バイクを停めて、公園のトイレに直行。「水海公園」というところだ。

 午前10時前。国道45号を山田町に入る。
 山田町の市街地を抜けたところで、寒風垰という名前に惹かれて、国道45号から地方道の41号に右折。重茂半島に向かう。このころのツーリングマップルには、重茂半島は〈日本の秘境〉などとある。今もそうだろうか。ちなみに、山田町の市街地は2012年に訪れたとき、あまりの変わりように唖然としたものだ。
 寒風垰に向かうも、行き交う車はなし。ほとんど貸し切り状態なので時速20キロくらいで走り、峠付近ではタンクバッグの上にビデオカメラを置いたり、ちょっと片手に持ったりして撮影したりする。林の中を縫うように走る道路は乾いているが、林を抜けるとぱらぱらと雨が降ってきたりする。

 午前11時20分。宮古市街地を抜けて浄土ヶ浜到着。
 駐車場にバイクを停め、ぬかるみの小道を御台場展望台まで歩く。そのあと浜に下って、しばらく散策。霧雨。それでも海は青く、小さな観光船も出ている。ビデオの中では「台風が接近しているわりには波が穏やかだ」と感想を述べている。水も澄んでいる。ただし風は強い。バイクでも50キロ以上のスピードだとジャケットの袖がバタバタして、とても走りづらい。

 浄土ヶ浜を出発して、国道45号を三陸沿いに北上しながら1時間ほど走り、小本という町で左折する。国道455号を岩泉方面に向かい、龍泉洞を目指す。しばらく走ったところでガソリン給油。給油してくれたおばちゃんによると、晴れていたら自分も感激するほど三陸海岸はきれいなところだと褒めている。ぜひ、晴れた日にきて下さいねと見送られる。

 午後1時40分。龍泉洞の駐車場に到着。あたりには歌謡曲などが流れている。
 しかし、今日の宿泊予定は八戸、あらためて地図で確認すると、ゆっくり見学する時間はない。計算すると、八戸まで3時間はゆうにかかる。残念だが、次回訪れることにする(実際、大型バイクを買った数年後にリベンジしたが、そのときは駐車場で立ちゴケしている!)。

 県道7号を北上、取りあえず久慈を目指す。途中には安家洞の看板。この道路は最高だ。いかにも、東北の山里を走っているという気にさせてくれる。道のすぐ横を、澄み切った水の小川が流れていたりしていて、昔話に出てくる山里はこんなんだろうなと想像してしまう。行き交う車も、ほとんどいない。

 結局、このあと急な雨に30分ほど降られる。この調子では、キャンプしてもつまらないだろう。途中の公衆電話から八戸のビジネスホテル(バス・トイレなし。4000円ちょい)を予約する。午後4時18分。久慈を経て種差海岸に到着。波浪注意報が出ているせいか、やや、波が荒い。種差はウニで有名だということで、途中で種差のスーパーに寄ってみるが冷凍のものしかない。

 まあ、この天気だと当然だろう。
 しかし、期待していただけに、ちょっとがっかり。しょうがないので、今日の夕食にパン(レーズンデニッシュとレーズンスティック。1個150円だが、セールで2個98円となっていたので、喜んでゲット)とコンビーフの缶詰(100円)、肉の大和煮の缶詰(100円)などを購入。

 5時過ぎ。八戸到着。
 八戸駅前のホテルに直行。あとで知ったが、賑やかな通りがあるのは本八戸駅のほうらしい。バス・トイレはないが部屋は広い。書き机や洗面台まで付いている。共同の風呂は地下にあるようだ。追加の朝食は800円。6時半過ぎ、地下の風呂にも入り、ホテル近くで買ってきた缶ビールで1人乾杯。部屋呑み開始。適当に呑んで、適当に寝る。
 今日の走行距離269キロ。


朝の天気予報。まるで、このごろの夏の天気のようだ。

岩手は内陸も沿岸もやばいではないか。
青森……。


国道を北上しているつもりが、なぜか、釜石港に出てしまう。


遠くに観音様が見える。



こちらが北の方角。


釜石港から10キロほどだったか。小さな入江に下りる。
水海公園というところらしい。我慢できずに、トイレを使わせてもらう。



当時から、こんな看板があった。


こんな感じの公園だった。今も、この公園はあるのだろうか。

寒風垰付近。


1996年当時の浄土ヶ浜のイラスト案内。


浄土ヶ浜。御台場展望台


御台場展望台より浄土ヶ浜を遠望。


浄土ヶ浜。青空が見えるが、霧雨が降ってきたりしている。





龍泉洞の駐車場で、しばし勘案。時間の都合で、今回はパス。


県道7号を久慈方面に向かう。走った場所は違うが、雰囲気のいい道だった。


種差海岸。写真ではよくわからないが、波はけっこう荒れていた。

八戸駅前のホテル。バス・トイレなしだが部屋は広い。



足元には余裕あり。荷物がいっぱいあるときは便利だ。
洗面所付き!


部屋から1枚。



ひとり部屋のみ。乾杯。指にはテープを巻いている。
朝起きると、しばらくは強ばっていた。


1996年 東北ツーリング 6日目

2024年10月19日 | 1996年 秋・東北ツーリング
9月1日(6日目)
本庄~夏油温泉~遠野~釜石




 朝、さあさあと雨。
 屋上のコンクリにシタシタと雨水が音を立てて落ちている。土砂降りに近い。天気予報によると、日本海側は今日も明日も雨模様らしい。
 ただ、ホテルの窓から内陸部のほうを見ると、海側より雲は少ないようだ。今日は、男鹿半島を走るつもりだったが、急遽、山間部に向かうことにする。気が向いたら、そのまま太平洋側に抜けてもいい。日本海側はしばらく天気がよくないようなので、その公算が高い。そのうち雨脚が弱くなるだろうと思っていたが、9時半を過ぎても、その気配はまったくない。

 雨の中、カッパを着こんで本庄を出発。
 雲の状態を見て、国道107号を山間部に向かって1時間ほど走る。午前10時45分ごろ、雄物川町を通過。このあたりまでくると、雲が取れてきて、うっすらと青空が広がってくる。先ほどまでの土砂降りがウソのようだ。やはり、こちらにきて正解だった。このあたりでガソリンを入れていて、とても蒸し暑かったと記憶している。赤いキャップをかぶった若い女性の従業員と、腕時計を見て時刻を確かめた光景がよみがえる。国道107号を横手を過ぎたあたりから、北上方面の山に低い雲がかかり始めている。「台風のせいかもしれない」などと、ビデオで言っているが、このとき台風が日本海側を通過して北海道方面に抜けるところだったのかもしれない。

 北上市に入り、蔵王温泉で会ったドカ乗りのライダーに教えてもらった夏油温泉に立ち寄ることにする。
 午後12時半過ぎ。国道107号から県道37号を南下、さらに県道(?)122号を夏油温泉に向かう。夏の油と書いてゲトウ──この不思議な地名も気になっていた。夏油温泉方面は、やはりどんよりと雲がかかっている。もし、雨だったら引き返すつもりで、取りあえず進んでみる。幸いにも雨にも降られず、なんとか午後2時半前には夏油温泉に到着。素朴な日帰り温泉を楽しませてもらう。

 露天風呂は、川沿にある浴室から外に出ると、小さなプールみたいな長方形のコンクリ製の湯舟があったと記憶している。すぐ横を川が流れ、川に並行して湯舟に浸かると、その川の流れが視界の向こうに続いている。開放感のある露天風呂だった。ずいぶん、無骨な露天風呂だなと思いながらも、これはこれで風情があってかえっていいや、と楽しんでいる。

 入浴後、再び元の道を107号まで引き返して、遠野方面に向かう。
 だが、国道107号を走っているつもりが、知らないあいだに細い1車線道路に入りこんでいる。自分としては、道を間違った憶えはない。途中、ラブホテルが一軒あったっきり、擦れ違う車もない。どういうことだろうと思いながらも、30分ほど、道なりに走っていると、国道107号に戻る。今なら、ナビで一発なのだろうが、当時は頼れるものは地図と勘しかない。いったいどこをどう走って元の国道に戻ったのか、今もって判明しない。よーく考えてみると、大きくカーブしている国道の内側を直線でカットしたのじゃなかったか──その夜、そう結論したような気がする。
 しばらく走って、午後5時を過ぎたころ、107号から遠野に通じる国道283号に左折する。

 夏油温泉から、そこまでのあいだに青空も見えてきて、晴れてきたなと喜んでいる。だが、夕立というか、ざっと土砂降りに一回だけやられる。レインスーツのパンツは履いたままだったが、上着は脱いでいたので、かなり濡れてしまう。さらに、山菜うどんを食べているが、あまりうまくないなどとビデオで感想を述べている。その食堂で読んだ岩手新聞によると、岩手地方は夕方から大幅に天気が崩れるとあり、釜石のビジネスホテルに公衆電話から予約している。岩手は全域にかけて、今夜は雨のようだ。というか、明日も明後日も雨との予報。

 明日の朝、雨だったら、東京に帰ろうなどと弱気になっている。台風もきているし、雨中走行はつまらない。

 午後5時14分過ぎ。遠野は駅前に立ち寄っただけで、すぐに出発。
 ちなみに、このとき遠野駅は二階部分がステーションホテル(フォルクローレ・ホテル)になっているが、後年、東北ツーリングをしたとき、釜石からの雨中走行後、お世話になっている。かなり広い部屋でカッパも余裕で干せて、列車の発着が見える部屋だったこともあり、その様子を飽きずに眺めたものだ。この1996年のツーリングのときにも予約の電話を入れているが、全室、満室だった。このときは一拍5000円と聞いたはずだ。

 釜石のビジネスホテルは、バストイレなし、一拍4000円。
 まだ、遠野から釜石までの仙人峠道路もなく、旧国道の283号(釜石街道)をひたすら、東に向かう。途中、仙人トンネルを越えたあたりだったか、ドライブインに立ち寄ってウドンを食っている。昼もウドンを食っているので、このころはウドンに凝っていたのかもしれない。そのあと、地元のライダーに話しかけられたりしている。なんの話をしたのか、もうすっかり忘れてしまった(今日は、どこから走ってきたのかと訊かれたような気もするが、たしかではない)。

 ──翌日のビデオで、そのライダーと会ったことを話していて、どうやら彼は真夏に沖縄をツーリングしたらしい。そのときは、こちらが話をしても相鎚を打つわけでもなく、ただ、わたしの話をじいっと聞いているばかりで、ぼそりとそう返している。「船で行ったんだよな」などと結んでいて、そのとき、心の中では「当たり前だ。だれが海の上をバイクで走るやつがいる」と思ったものだ──とビデオではそう感想を述べている。たぶん、普段は人としゃべるのが苦手な人なのだろう。ナンバープレートを見て、キャンプツーリングしているライダーに、思わず声をかけたしまったという印象だった。


9月1日。羽後本庄駅前のホテル。しとしと雨が降っている朝だ。


雄物川町通過。空はいい感じだ。
少なくとも、その日の日本海側よりはいい。


北上から夏油温泉に向かう。(県道37号)夏油温泉まで20キロくらいか。
前方にはいやな感じの雲。


夏油温泉のイラスト看板


手書き感満載だ。大湯に入浴させてもらう。


ぶれぶれの写真だが、自炊の宿などが軒を並べているのがわかる。


駐車場に続く道。奥、左にいくと大湯がある。


国道107号を走っているつもりが、山中に入りこんでしまう。
どこだったんだろう。

30分ほど、このような道を走る。今なら、ナビ一発だ。
このときは、不安な心持ちのまま走り続けている。

空には青空が広がってくる。道に迷っていながら、これはこれで、気持ちいい。


遠野に続く国道にようやく出る。

宿泊してみたかったステーションホテル。ちょっとだけ、立ち寄ってみる。

この日、宿泊した釜石のビジネスホテル。ホテルの部屋から釜石駅方面を川沿いの向こうに望む。

(翌朝のキャプチャ)積んでいたバイクの荷物をすべて部屋に運んでいる。


1996年 東北ツーリング 5日目

2024年10月18日 | 1996年 秋・東北ツーリング
8月31日(5日目)
とことん山~鳴子~鳥海山~羽後本庄




 朝の6時に、キャンプ場併設の露天風呂に入る。
 この露天風呂がすこぶるよい。キャンプ場の縁が谷川にすこんと落ちこんでいて、その途中に露天風呂がいくつかある。湯は熱いが、朝から堪能する。だれもいないので、ちょっとビデオで撮影したりする。

 9時過ぎには出発。
 このあと、桁倉沼と田螺沼のあいだの林道を走り、川原毛地獄の裏を通過して、泥湯も通過して、国道108号(仙秋ライン)に出て、鳴子まで抜ける。1996年発行の東北ツーリングマップルには、まだ桁倉沼と田螺沼のあいだから伸びている林道は仙秋ラインまでは開通していない。川原毛温泉近くで未開通となっている。

 ちなみに1997年のツーリングマップルでは、途中数キロがダートの細い線で記してある。だが実際は、この1996年8月31日時点では、1車線道ながらも全線舗装となっている。川原毛温泉を過ぎたあたりで、秋田方面に山稜が遠くに幾重にも重なる景色に遭遇。素晴らしい。ビデオには撮ったものの、DVDを見返してみると、なんとその部分だけフリーズ状態になっている。もう、今では観ることはできない。

 鳴子に下ってからは、国道47号を再び、日本海方面に走っている。
 国道47号を20キロほど走ったところで、左手に釣りをしている人がちらほらと見えてくる。この時期、なにを釣っているのだろうか? 地図を見ると、小国川というらしい。初日に走ってきた小国と関係があるのかと思ったが、場所的にもかなり離れているし、小国からここまで流れてくるはずもない。

 国道47号で新庄を抜けて、さらに日本海側に向かう。
 午前11時前、最上川沿いの遊覧船乗り場のデッキで昼食。遊覧船が出航したりするのを眼下に眺めたりする。遊覧船は流れに逆らって、上流に向かう。スクリューが力一杯回転をしているのか、上に巻き上げる水飛沫がすごい。ごごごごと、音が聞こえてきそうだ。川の対岸に、小さな滝が見える。最上川のゆったり流れる様が、なんとなく宮崎の大淀川に似ている。
 
 国道47号を平野部の立川町に出たとき、風が強かったように憶えている。そのまま国道345号に紀付いて、遊佐町まで走り、鳥海ブルーラインを走ろうとしたのが、午後12時半過ぎだ。ビデオの記録によると、12時43分となっている。最上川を平野部に下ってきてから、雨こそ降っていないが天気はあまりよくない。鳥海ブルーラインは、このとき有料でバイク料金1140円なり。

 午後1時半、鳥海山の展望台に到着。
 やはり周囲はガスっている。展望台の駐車畳にはバイクが数台停まっているだけだ。夜から雨のようなので、本庄市に4200円のビジネスホテルに予約をする。明日はキャンプしたいなどとビデオで言っているが、どうなることやら。駐車場にガスが煙のように流れてくるのがわかる。

 そろそろ下山しようかなと思っていたら、わずか5分ほどのあいだに鳥海山が姿を見せる。
 もしかして、このまま晴れになるのかな、などと淡い期待を抱きながら、鳥海山を下る。バイクと2台ほど擦れ違う。午後4時過ぎ。金浦町から本庄市の駅前にあるビジネスホテルに到着。

 目の前は羽後本荘駅。
 窓のすぐ向こうには、バルコニーのような、ベランダのような屋上が続いている。窓を乗り越えれば歩けそうだが、あまり掃除はしていないようだ。元々、建物自体がホテルとして建てられたものではなく、別の用途で建築されたものを改装したもののようだ。ただ、ホテルの部屋からは、ばっちりと駅舎が見える。鉄道ファンではないが、これはこれでそそられるものがある。

とことん山。24時間露天風呂。朝ぶろもよかった。
ここを下ったところにも、別な湯舟がある。下は谷。


鳴子温泉郷を横目に走り抜ける。


最上川。水上バス。
キャプチャーでは伝わらないが、ぐわわああと上流に向かう音がすごかった。

隅田川でも似たような水上バスを見かけるが、同じ型だろうか。

鳥海山に向かっていると、雲が出てくる。



鳥海山駐車場。もわもわガスが流れてくる。


晴れてきている。

鳥海山 一瞬の晴れ間。

駅前のビジネスホテルの部屋より羽後本荘駅。


青空が見えているように見えるが、今夜から雨との予報。


部屋の前にはバルコニー。
窓を越えたら立てるが、さすがにそこまでの勇気はない。通り雨で下は濡れている。


懐かしきコイン式テレビ!
(この当時でさえ、珍しいと思っていた)


1996年 東北ツーリング 4日目

2024年10月15日 | 1996年 秋・東北ツーリング
8月30日(4日目)
碁石海岸~平泉~須川高原温泉~栗駒・とことん山(4日目)



 朝、5時前には起床。
 旅に出てから、まだ、一度も太陽見ず。この日も曇天。ただ、昨夜は雨が降らなかったのでまだよかった。蚊は多い。
 バイクを洗車して、テントを畳んだりして、6時40分には朝飯抜きでキャンプ場出発。7時10分過ぎ、途中、陸中海岸の高田松原に立ち寄っている。左右に松原が広がっている。マップルには「松原の美しい陸中海岸随一の海水浴場」などと説明がある。

 陸前高田から国道343号(今泉街道)を内陸部に向かい、摺沢からは県道19号を走り、一ノ関市にはいった馬洗淵から、さらに分岐している地方道の206号に入りこむ。午前8時40分には菅原神社を撮影したりする。こんなところに、こんな神社があったのか。なんとなく由緒ありそうな神社で、近くでは鈴虫が鳴いている。

 午前9時過ぎには平泉駅前に到着。タクシーがずらりと並んでいる。観光客待ちだろうか。世界遺産認定はずっとあとのことだ。観光案内看板の前にバイクを停めて、付近の位置関係を確認する。まったくそんな気はなかったが、金色堂でも見てみようかという気分になる。だが参道を歩き始めるや、しゃべるなとか、ガムを噛むなとか標識がうざい──もちろん1人なのでしゃべらないし、ガムなど噛んでない──どうしても見てみたいという気持ちはなかったので、嫌気がさして途中で引き返す。写真も気軽に撮ってはいけないような雰囲気だ。聖域なんだろうが、こういう権威主義的なところは苦手だ。

 平泉からは、県道31号を厳美峡方面へ走る。途中、達谷窟とあったので立ち寄る。平安後期、盗賊どもが住処にしたという洞窟に、坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀っているようだ。気軽にビデオを回して、気軽に見学。その後、厳美峡という地名に惹かれて国道342号に出るが、ちょっとバイクを停め、道路の上から見回しただけで通過。宮崎は都城の関之尾の滝のような雰囲気だ。駐車料金がけっこう高い。また、いずれ。

 あとはひたすら国道342号を栗駒山目指して走る。昨日は完璧に雨模様だったが、今のところ、まだ大丈夫のようだ。ただ晴天というにはほど遠い。栗駒山方面は、昨日ほどではないが、黒っぽい雲がかかっている。降り出したら、いつでも引き返すつもりでさらに先に進む。山間部の雨中走行はスリルというより危険だ。数日前の蔵王走行で身に沁みている。

 と、しばらく走行していると、やはり霧模様になってくる。
 ただ、対向車が濡れていないのと、ワイパーが動いていないので、まだ全面的に雨ではないようだ。注意しつつ走る。
 と、栗駒高原に出ると、雲は低いが視界が開けてくる。
 おおっ、と安堵する。

 須川温泉までくると、なんということか、雲の切れ間から青空まで見えてくる。しかも、身体が冷えている身にはありがたいことに、温泉施設が目の前だ。施設の外には、かけ流しの湯が溜まったのだろうか──湯気の立っている湯がプールみたいに溜まっている。決して嫌いではない硫黄臭も漂っている。
 これは、入浴しないわけにはいかない。

 看板には「須川高原温泉」とある。同じ源泉温泉が、岩手県側と秋田県側では名前が若干違うようだ。秋田県側は「秋田須川温泉」と呼ぶらしい。一時間ほど、ゆったりに入浴。入浴料400円なり。乳白色で、非常に雰囲気のいいお風呂だ。木の柱で屋根が組んであって、風情があってなかなかいい──今ではすっかり忘れてしまったが、映像では上から目線で偉そうにそう褒めている。

 雨の心配はなく、気持ちよく出発して、栗駒道路を走って小安峡に向かう。当時の地図によると、栗駒道路は有料道路のようだが、料金を払った憶えはない。すでに無料になっていたのかもしれない。

 午後2時過ぎには「とことん山キャンプ場」に到着。料金は800円だが、24時間いつでも入れる露天風呂付きだ。ちらほらとテントが見える。キャンプ場付近は、ばっちり晴れている。久々の青空の下という感じだ。気持ちのいい風も、そよそよと吹いている。気持ちがいいところで、30分ほどかけて溜まっていた洗濯物を洗濯する。洗濯ヒモは、リアバッグを縛っていたロープを使う。洗濯すると、なぜかすっきりと気持ちいい。
 今日の走行距離は180キロ程度。

 まずは、キャンプ場内の温泉風呂に入る。今日は須川温泉に続いて2回目の入浴だ。明日の朝、ビデオに撮りたいと思ったのを憶えている。お湯は熱めだったが、景色もよくて気持ちいい。下のほうにもいくつかの湯舟があり、24時間入り放題。夕方、それぞれのテントではあちらこちらでバーベキューを始める。まあ、カップルの多いようだし、そんなものだろう。こちらの夕食はブドウパン、焼き肉の缶詰、缶ビールのみ(今思うとわびしい夕食だが、けっこう楽しんでいる)。このころになると、強い風がときおり風が吹いて、びゅうとテントを揺さぶったりする。ビールは氷入りのクーラー袋で冷やしている──こういうところは当時から抜け目なくやっているようだ。

 楽しいようなわびしいような中、冷えたビールをぎゅっと飲む。ビールは裏切らない。心から開放感のため息が出る。これで音楽があれば最高だ。
 この日も、早々と就寝している。


結局、この碁石海岸は翌翌年、北海道ツーリングの帰路にもお世話になることになる。





陸中海岸、高田松原海水浴場。この奥が、海水浴場だったか。


高田松原海水浴場入口の横で、のんびりとゲートボールのご老人。


菅原神社・走っていたら、いきなり右手に現れた。
バイクと停めてちょっと見学。


なんか、由緒ありそうな碑だった。


神社前に堂々とバイクを停めてしまう。


早朝から、タクシーで賑わっていた。
1996年夏の平泉駅。いつも、こうだったのかな。

世界遺産登録前の駅前の看板。

平泉駅前。
駅舎の前にはタクシーは何台も並んでいるが、すぐ目の前は閑散としている。


達谷窟。



栗駒高原目指していると、やっぱりというか、妙な霧が出てくる。
もう少し走って、雨が降ってきたら、いさぎよく引き返すつもりで前に進む。


なんと嬉しいことに、瀬川温泉まで上ると、青空がを覗いている。


嬉しいついでに、瀬川温泉に入浴。右の建物が温泉施設。


源泉掛け流しの湯溜まり? 左手に温泉施設がある。
この湯溜まりに入浴している人はいない。


あふれた湯がざあざあと流れている。




青空! 青空!
とことん山キャンプ場駐車場。


洗濯! 洗濯!


おぉ。青空がどんどん広がってくる。


夕食はブドウパン、焼き肉の缶詰……のみ。
あとビール。

テントは銀マットを敷けば、いっぱいだ。
起きて半畳、寝て一畳を地で行っているが、「せま!」というところだ。







1996年 東北ツーリング 3日目

2024年10月12日 | 1996年 秋・東北ツーリング
8月29日(3日目)
石巻~牡鹿半島~碁石海岸




 午前8時半出発。雨は止んでいる。まずは牡鹿半島に向かうことにする。
 午前10時半。途中で休息。海岸端の沼倉商店の自販機で、爽健美茶など買う。目の前の海岸は、海鳥でいっぱいだ。山育ちの自分には、こんな景色をみるだけでも楽しい。思わず、ビデオに撮ってしまう。

 午前10時45分。鮎川に到着。
 10年前にも訪れているせいか、ビデオ撮影しながら「だいぶ変わった」などと言っている(鮎川はこのあと2005年にもカミさんと妹で再訪。さらに震災の1年半後、2012年秋にも1人で訪れている。このときは、港付近のあまりの無残な変わりように驚いたものだ)。金華山行きの切符売り場に行ってみると、観光客のおばさんに一緒に行かないかと誘われる。漁船を改造したとおぼしき個人営業の船でも渡れるようだ。金華山は以前上陸しているので、今回は丁寧にお断りする。
 
 ホヤを食べたかったが、お店の人によると、もう時季外れだと教えられる。あるにはあるが肉が分厚く、小さいらしい。ちょっと残念。うまいのは6月くらいとのこと。港に陸揚げしてある捕鯨船などと見学したあと、牡鹿半島の先端に向かって走る。コバルトラインの御番所公園で休息。
 ここから金華山を遠望する。

 金華山は10年ほど前に、車でカミさんと東北旅行をしたときに訪れている。そのときは女川に車を停めて、そこから船で往復した。そういえば、「金華山事件」が起きたのも、そのときだった。御番所公園からだと、島の右側に見える突端のほうに2人で歩いていったときだ。カミさんがいきなり便意をもよおした。近くにトイレなどない。歩道の右側は断崖、左側には草の生い茂ったヤブが広がっているだけだ。船着き場まで500メートル以上、いやそれ以上はあっただろう。2人ともティッシュの類は持っていない。

「あたし、ちょっといってくる」
 カミさんはそう言い残して、わたしの返事も待たずに急ぎ足で引き返していった。このあたりを歩いていたのは、わたしたち2人だけ。ほかに人はいない。自分だけ取り残された格好になり、ただカミさんを見送るだけだった。上り坂だったから、カミさんの引き返す様子はよく見えた。それでも緩いカーブがあったりして、すべてが見えていたわけではない。でも心配だった。以前も似たようなことがあって、悲惨な結果、一歩手前までいったことがあるからだ。

 わたしは草やぶを掻き分けて、高い場所に移動した。
 そのとき、ふと顔を上げると、目線の先にいる1頭の鹿と目が合った。生い茂った木々のあいだから、突然出てきてしまいましたという感じだった。目が合って、そのまま立ちつくしている。かなり大きい。闖入者に、なにごとかといったところだったろうか。逃げようともしない。わたしはカミさんよりも、そちらに心を奪われた。「こんなところに鹿!」と興奮もしていた。野生の鹿を見るなど、奈良公園以来だ。金華山に多くの鹿がいて、それほど珍しくもないとは知らないときだ。

 そのうちに、鹿はふいっと木々の奥に消えた。
 ああ、こんなふうに気を取られている場合じゃない。カミさん、カミさん、と我にかえった。カミさんが歩いていった方向を見ると、一旦、視界から消えた道の先に姿が現れた。もう、あんなところまで行ったのかと驚いた。どんだけ急いでんだ。急ぎ足というよりは小走り。しかし、船着き場までは、まだけっこうな距離がある。しかも、そのあたりからは身を隠すところもない岩場の開けた場所だ。

 間に合うのか?
 もっと、早く走れと祈る。と、カミさんが急に回れ右をして、こちらに向かってきた。我慢できない便意に襲われたんだなと、遠目にもわかった。緊急事態だろう。思いっきり走りたいが、小走りにしか走れないという走りかたをしている。──と、途中まで引き返してきて、草ヤブの中にごそごそと入りこむのが見えた。目を凝らしていると、さらに奥の丈高いヤブの中にカミさんは消えていった。
 頭上でさえずっている小鳥の声が、当事者には奇妙なことに近くに聞こえるあの時間を過ごしているに違いなかった。

 まあ、そこをじっと見ているのもなんなので、わたしは鹿がまた現れないかと、あたりを見回したりした。だが、もう鹿が現れることはなかった。5分も経ったころだろうか。カミさんが、ヤブの中から現れるのが確認できた。なぜかこちらまで、ほっと安心したのを憶えている。あとで聞いたところによると、紙の代わりに葉っぱをちぎって使用したとのこと。数年後──2005年に金華山を再訪したおり、その付近を散策している。

 懐かしい想い出だ。
 金華山を遠望したあと、コバルトラインを外れて、半島の東側の細い道を走る。県道41号だ。

 途中、さらに海岸端に続いていると思われる細い道を下る。新山浜というところらしい。海水浴でもできそうな浜があり、民宿や釣宿も数軒あった。浜に下りてみると、とても細かい砂で、狭い砂浜だが雰囲気はいい。けっこう波が激しいのと、夏の終わりのせいなのか、人っ子1人いない。しばらく休憩して、県道41号に引き返して女川を目指す。

 しばらく走っていると、「祝の浜」という案内看板があったので、そちらにも下ってみることにする。新山浜とは浜の趣が全く違う。ざらざらした小石の浜という感じだ。ここにきて、雨がぽつぽつと降り始める。走っている車もいないようなので、「祝の浜」から県道までビデオ撮影をしながら走る。

 再び、県道に出てしばらく走っていると、女川原発らしき建物が見えてくる。バイクを停めて、しばし休息撮影。女川港でも、しばし撮影。10年前には、ここから乗船して金華山まで往復したんだよなあ。そのときは10年後にここをバイクで訪れるなど夢にも思っていない。女川からは海岸線の国道398号を北上する。志津川町まで走り、そのまま398号を内陸部に向かう。

 今日の目的地は小安峡の「とことん山キャンプ場」だ。
 だが、米谷という町まできて、栗駒山方面を見ると黒い雲にどんよりと覆われている。雨であってもおかしくはない。いや、雨だろう、と今ならわかる。(このころは古いタイプの携帯電話が出回り始めたころだが、このときにはまだ持っていない。ホテルを予約するにはホテルに直接向かうか、公衆電話で予約するしかなかった。今のように雨雲の様子をその場で見るなど夢の夢。このときはラジオも持参していない)

 案の定、数キロほど走っているうちに、ぽつりぽつりと雨が落ちてくる。とことん山キャンプ場は断念。三陸方面に戻ることにする。
 このあたりから、記憶は曖昧だ。
 米谷で北上川を撮影したあと、翌日の朝までビデオの記録は残っていない。
 国道398号を米谷で北上川を渡ったあと、道なりに進んで中田町の十文字付近で国道346号にぶつかったところで右折している。右折したあたりでバイクを停めてカッパを着こんでいる。道の向こうにバイク屋があったのは憶えている。どのくらい走ってからだろうか、カッパ入れの袋を荷物の上にぽんと置いたまま走り出したことに気がついたのは。もちろん、カッパ入れの袋は、どこかに吹っ飛んでいる。買ったばかりのヤマハのレインスーツで、たかが外袋だが「しまった!」と悔しい思いをしている。

 中田町から国道346号を三陸海岸沿いの本吉町まで走り、海岸線の国道45号にぶつかったところで北上。

 雨から逃げるように気仙沼、陸前高田と走り、「碁石海岸キャンプ場」まで走る。どこで、碁石海岸キャンプ場にテントを張ろうと決めたのか、まったく憶えていない。出発前に、このキャンプ場の情報は仕入れていたような気もする。キャンプ場に着いたのは、夕方遅くになってからだ。ほかにキャンパーの姿はなく、ここでも、ひとりキャンプ状態。サイトの中までバイクを乗り入れていいよと管理人さんに言われたので、ありがたく林の中までバイクを乗り入れる。管理人のおじさんもすぐに帰ったので、しんとした中でテントを張っている。

 バイクは雨中走行で泥だらけ。
 炊飯道具など持っていないので、このときは気仙沼のバイパス沿いの小さな食堂で夕食をとっている。
 何時に寝たのか、まったく記憶にない。

 ただ、100円温水シャワーがあったので、使ったのは憶えている。しかし、お湯は出なくてただの水シャワー、さんざんな目にあっている。夏の終わり、しかも雨中走行で身体は冷え切っていたので、冷たさに飛び上がったものだ。電源を入れてもらうにも、管理人のおじさんはとうに帰っている。「100円で、お湯も使えるよ」と説明されていたので、安心して素っ裸になって、シャワー口の下で待っていたのに。おっさーん。

 就寝しているときに、しゃらしゃらしゃらと、波が小石を洗う音を聞いたような気もするが、この碁石海岸の音だったのだろうか──。


石巻のホテルを出て、牡鹿半島に向かう途中の商店の前にバイクを停めて、しばし休息。目の前は海岸だ。


このように海鳥がいるだけで、山育ちのものにとっては珍しい景色だった。


なにしてんだろうと当時は不思議に思えた。


ほぼ10年ぶりの鮎川港。奥のほうが渡船乗り場だ。


鮎川港、同じ場所からの別方向を撮影。

懐かしい。捕鯨船が展示してあったが、2012年に訪れたときには、この場所は恐ろしく変貌していた。

震災前、訪れたとき、この横山商店でもホヤを食っている。


事件現場付近の金華山




御番所公園より、金華山を遠望。

新山浜(しょうざんはま)

ここを下ってきた。


きれいな砂浜。


牡鹿半島。北側の県道を走る。


祝の浜
小石がごろごろしている印象だ。


祝の浜


祝の浜
奥の道を下ってきている。


1996年当時の女川港


女川原発遠望



女川港観光看板ガイド。
これより10年ほど前(1986年頃)にここから金華山に出発している。


中田町、こより先、栗駒方面に暗雲を見て、ここで進路変更。
碁石海岸を目指す。


碁石海岸キャンプ場。1人でキャンプ。
翌朝の映像キャプチャー。


蚊の大群に襲われた。もうしわけ程度のフライシートしか付いていないのが、ちょっとさびしい。

雨の中を走ったので、どろどろ。


新車同然だったが、これはこれで走ったなという気分だった。
このあと、簡易バケツに水を汲んできて、ざざっとバイクを洗車している


マフラーも泥でこれでもかというくらい汚れていた。