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バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1999年7月27日 外環~常盤道(那珂インター)~那須・鹿の湯~練馬

2025年04月05日 | 1999年
7月27日(火)




 北海道から帰ってきてから、久々のツーリング。
 午前8時半、早くも照りつけるような日射し。ジャケットを着て大泉インターまで走るが、信号で停車するたびに、汗が吹きだしてくる。外環ではジャケットの胸をはだけ、汗を飛ばすようにして走る。

 那珂インターで下りて、118号を袋田の滝方面に進み、途中で買ったトリカツ弁当を猪鼻峠で食べる。食欲なく、口に押し込むようにするが、それでも2口ほどメシを残してしまう。とにかく、暑い。

 118号を白川方面に向かうが、なんとツーリングマップルの関東地図はそこで途切れている。なんとか那須の「鹿の湯」にいきたいのだが、とりあえず、黒磯方面とある道を向かう。60号を進んでいると、峠付近で通行禁止になっている。が、バイクならなんとか通れそうなので、封鎖してある鉄柵の横を慎重に進む(タンクバッグが鉄棒に引っ掛かるほどの狭さしかなかった)。途中、豪雨の被害も生々しく、木屑の塊のようなものが道を覆い、道を塞いでいる崖崩れの土砂も、ダンプの轍の幅に2筋ほど土がどけてあるだけだ。とにかくいけるところまでいこうとバイクを進める。なんとか黒磯方面に抜けられてホッとする。

 小さな道に迷いこむが、那須湯本に通じる道にでて、「鹿の湯」の場所を土地の人に訊いて、午後2時半くらいには到着。殺生石がすぐ近くにあるらしいのだが、興味ないので、「鹿の湯」に直行。400円也。
 いやあ、いい風呂。
 白濁した湯に、湯の温度が違う湯壺が4つ。その中で一番湯の温度が低い41度の壷にゆっくり浸かる。湯温が高い湯船は46度もある。入り口近くでは頭をタオルで覆った上から、ヒシャクで湯をすくっては何十回、何百回とかけている人もいる。結構、湯治にきている人が多い。後で管理人らしい人に訊いたら、この鹿の湯自体に宿泊施設はないが、隣接している民宿街に投宿して、ここに通うのだそうだ。

 1時間弱ほどゆっくりして、帰路につく。30号が山中を東北道と平行して走っていて、よさそうだったが、観光バスやトラックの排煙がすごくて、何台もやり過ごさなくてはならない。やはり、那須は夏休みということもあり、そう簡単には楽に走らせてくれない。矢板インターから高速に乗り、午後6時半には練馬に到着。途中で真っ赤なポルシェが面パトに捕まっているのを目撃。本日の走行距離、約500キロ。年のせいか、長時間乗っていると左足の膝につーんという痛みが走るようになる。やれやれという感じだ。酒の飲み過ぎということにしておこう。振動で、膝に溜まっている尿酸が活性化されるのかもしれない。


1999年5月21日 中央道~諏訪~高ボッチ高原・諏訪神社ショートツーリング

2025年03月11日 | 1999年
5月21日(金)

 20日夜、午後11時くらいからビール。午前5時に目覚ましをセットして、午前1時くらいに眠りにつくも、30分くらいで目が覚める。2時、3時と寝ようと努力するが、ままならず。時折、トイレにいくたびに、出かけようかと思うが、やはり身体が眠いと言っている。だが、いざ、布団にはいると眠れない。
 ああ。くそ。

 ツーリング先で仮眠するつもりで、思いきって午前3時半には出発。前日にバイクの点検、およびバッテリーの装着は済ましてあるので、ちょっと暖気をしてから出発。

 練馬から環7にでて中央高速を目指し、甲州街道を右折、だが、またも首都高入り口を見逃してパス、というより勝手な思いこみで、甲州街道をUターンしてしまう。だが、それもまた環7を素通りして山の手通りまでいき、ようやく再Uターン。なんとか首都高から中央高速に乗る。まだ酔っているのかもしれない。
 走り出してすぐ。かなり寒い。天気予報では今日は夏日だと言っていたのに。

 山梨の大月あたりから、吐く息は白くなるし、足は寒さでガクガク震えてくる。手の感覚がなくなってきて、こめかみも寒さのせいでズキズキ(真夏に氷アイスを食ったときみたいだ)してきたので、とにかく近くのSAに逃げこみトイレに走る。グローブを雨天用のゴアテックスに変えて出発。ときおり見える富士山は裾野近くまで真っ白。なんてことだ。こっちはツーリングジャケットに薄手のトレーナーという軽装だ。風の巻きこみ防止にジャケットの首にあるベルクロをぐいっと絞める。あとでみみず腫れになったと気がついたが、そのときはまったく気がつかず。

 この日は、全国、晴天のお墨付きだったが、諏訪手前では小雨にたたられる。そこは標高標識によると、日本高速道路の標高最高地点(1000メートル以上はあった)であるらしい。山の天気は変わりやすい。

 朝、6時半。諏訪湖SAに飛びこむ。温泉があると知っていたので、もし営業していたら迷わず入浴するつもりだったが、あいにくオープンは午前10時からとなっている。がっくし。レストランも午前8時からとなっていたが、セルフサービス形式の食堂が開いていたので、とりあえずカレーライス(550円)。まあまあの味。

 ちょっとくらい休憩しても、とても疲れは取れそうにないので、食堂奥の喫煙室で仮眠を取る。が、入れ替わり立ち替わり人がやってきて、ただソファの上に横になっているだけ。だが、これだけでも随分楽。寒さでしびれていた太股が、ぬくもりに触れて一時間ほどジンジンしたままだ。
 結局、8時半くらいまでぐうたらして、なんとか出発する。きたときには一台しか停車してなかったバイクが、7、8台に増えている。すべて横浜ナンバーなので、クラブのツーリングかなにかだろう。

 岡谷ジャンクションを過ぎ、岡谷インターで高速を下りる。
 国道20号を松本方面に進み、塩尻峠を1キロほど過ぎて高ボッチ高原方面に右折。細い道をくねくねと10キロも上ると、高原にでる。途中、山菜取りにきている地元ナンバーの車も何台かいる。高ボッチ山の標識もあるが、とても登れる体調じゃない。たぶん、いい景色だろうが、塩尻の町の景色越しに、駐車場から見える雪を被った北アルプスの稜線も絶景。しばし、見とれる。

 高ボッチ山荘から鉢伏山に向かう小道にはいった途端、オスのキジと遭遇。すぐにバイクを停めるが、小道の真ん中にいたキジはドタドタと不器用にジャンプするようにして、土手向こうの笹藪に消える。時間にしてほんの3、4秒だったが、目の周りの鮮やかな赤と、淡い水色の対比が印象的。山荘の人が放鳥でもしたのだろうか、それとも自然のままのだろうか。ここでキジを見られるとは。

 鉢伏山は近づくにつれて、無理してでも登ってみようかなというほどの傾斜を見せる。だが、山荘の駐車場は有料。入り口でUターン。途中でバイクを停めて、ちょっとだけ景色を楽しむ。左手には諏訪湖が意外なほど大きく拡がって見える。でえたらぼっちが踏んづけてできたとかいう話を聞いたばかりだったので、そうかそうかと一人納得。そういえば高ボッチ山もでえたらぼっちに関係あるとか言っていたが……。とにかく、景色がいい。

 高ボッチ・スカイラインをまた20号線まで引き返すが、左右の景色が似ているようでぜんぜん似つかぬ印象が面白い。
 20号線から、諏訪に向かう。鷺宮に住んでいるメール将棋の一人が、岡谷の出身ということなので、トラックの後をゆっくりゆっくり走る。なかなかいいところのようだ。

 諏訪では一旦、諏訪神社・秋宮にいってから、目当ての春宮にいく。神社前の階段脇にバイクを停めて、本殿横の一の柱、二の柱を順に触る。三と四の柱が見あたらないが、どこにあるのだろう。どうやら、すぐに目に触れるところには立ててないようだ。ちょうどこの日は巨大なクレーン車で、二の柱付近の木枝の伐採かなにかをしている。クレーンの先で職人が宙づりになって、神社の屋根、遥か上のほうに人が浮いている。なにかのマジック・ショーでも見ているようだ。

 神社脇の砥川を渡り、万治の石仏を見にいく。想像していたより断然いい。しばし見惚れる。これはだれかに教えたくなるような石仏だ。
 そろそろ昼飯時。11時。食堂でメシでも食うか、コンビニで弁当でも買って、木落とし坂あたりで昼寝がてらに食べようかと思ったが、そんな店は神社の近くには見あたらない。しかたないので、142号線を木落とし坂まで走る。

 松の木のある木落とし坂の上までバイクでいってみる。上から下を見ると、結構、きつい角度だ。ここであの一八メートルの御柱が落とされるのかと、しばし、TVて放映された歓声を耳の奥で再現。今は、ただの小高い山の傾斜にしかすぎない。しばし、休憩して出発。
 142号をそのまま、北上。和田峠を過ぎたあたりで、地方物産店みたいなところがあり、昼食。天ぷら定食(地元の山菜とエビ)1050円。座敷で食べて、そのまま「笑っていいとも」などの音声を子守歌代わりに、しばらく横になるつもりが、やっぱり寝れん。昼時で、結構、お客さんがくる。15分ほどで出発。

 142号から254に合流して、立科、佐久を経由して、午後2時、下仁田インターから高速に乗る。
 横風と突然の煽り風が強く、バイクが流されそうな気がして、80キロ以上はだせない。だが、そんな状態なのに猛烈に睡魔が襲ってくる。大声で歌など歌うが、疲れるばかりだ。たまらず、上里SAで休憩。バイク用の駐車場前においてあったベンチに倒れこむようにして横になる。30分ほど爆睡。イビキかいていたかもしれない。
 なんとかすっきりして、練馬に向かう。我が家到着午後5時。本日の走行距離、約500キロ。



1999年4月21日 青梅・奥多摩・檜原ショートツーリング

2025年03月10日 | 1999年
4月22日(木)

 朝、11時半には出発。バイクは3週間近くも乗らなかった割には、一発でエンジンがかかる。日光が気持ちよく当たっていたので、オイルが柔らかくなっていたからかもしれない。こういう経験は何回かある。

 青梅まで贅沢にも関越から圏央道を使ってみる。青梅街道を使うと最低1時間はかかるが、圏央道だと距離はかなり遠回りになっても時間は役半分。料金1500円也。ハイウェイカードを使うからやや気軽に乗れる。現金払いだと躊躇すること間違いなし。遠回りなので、なんか損をしているような気になるが、カード割引分で乗ってんだと無理に納得。青梅まで練馬から約60キロ。

 青梅から五日市まで31号を使い、そこから檜原街道を西へ向かう。腹がへってきたので、五日市のスーパーで山菜おこわ弁当とお茶を買う。レジで従業員と客ががなんか騒いでいると思ったら、レジカウンターの真上、梁の上にツバメが数羽。営巣しているようだ。
「……外を飛んでいるときは大きく見えるのに、こうやって間近に見ると小さいのねえ」
 ほんとだ。
 レジのおばちゃんが言うように小さい。手の平にすっぽりおさまってしまいそうなくらいだ。シジュウカラと同じくらいの大きさか。でも間近に見る漆黒のツバメは美しい。今日は、なんか鳥が見られるかもしれないと双眼鏡をもってきたので、なんか幸先がいい。(結局、声だけ聞いて終わったのだが)

 どこかで弁当食べようと、適当な場所を探して走るが、いざ、ここという場所はなかなかない。弁当買って1時間以上も走ってから「上野原丹波線18号」の途中、西原の3、4キロ手前の鶴川の澄んだ流れを見下ろすカーブにバイクを停める。半分ほど花の残っている大きなサクラの木がなんともいい。

 それにしても――。その5分ほど前、トレーナーの中に飛びこんできたハチに刺された。なんか飛びこんだなと思ったら、チクチクチクッとハラにきた。その部分はTシャツの布が触れるだけで痛い! たぶん、ミツバチだろうが。バイクを停めてデバ腹を見ると、三カ所ほど、でかいカに刺されたように水ぶくれになっている。大ひとつ。小ふたつ。小のほうは痛痒い。アシナガ、クマバチでなくてよかった。もし、そんな強烈ハチがトレーナーとかバイザーを開けているメットの中に入ってきていたらと思うと、ぞっとする。脂肪腹を刺しくれたのでたすかった。被害最小。脂肪腹、バンザイといというところだ。

 これでハチが飛びこんできて腹を刺されるのは去年の北海道に続いて2度目。教訓。――山道を走るときは、(夏でも)襟元までジッパーをあげるべし。
 弁当食っているときに、近くでウグイスのさえずり。……が、緑が映えすぎて、いったいどこにいるのか確認できない。声がするばかり。双眼鏡を取り出す必要もなし。1時間ほど休憩。

 白沢原始村なんてあるから、なんだろうと思っていると、沢向こうに竪穴式住居みたいなものが何個かある。バンガローっぽい。地図にも「白沢原始村」とある。でもわざわざいくのは、やめ。横目でちらりと見るだけ。
 さすがに奥多摩。湖畔沿いの411号にはいると、途端にバイクに会う回数がやたら多くなる。やはり東京近辺で気軽に走るには、このあたりだと実感。湖畔の休憩所でトイレ休憩。いるいる。X4にカワサキのオン車(名前わからない)、オフ車、最低7、8台は停車しているが、横の道をバンバン走る抜けるバイクはもっと多い。冬眠から目覚めて、みんな走る走る。春だなあ。

 午後3時、帰途につく。この時間でも青梅方面からの対向バイクが多い。青梅街道を練馬までちんたら帰るはずだったが、結局、また青梅から圏央道を使って帰宅。ゼータクとラクチンを覚えてしまった43歳春だ。


1999年4月1日 遠州伊良湖・浜名湖ショートツーリング

2025年03月09日 | 1999年
4月1日(木)

 朝、2時半出発。環8を南下、20分後には東名用賀インター着。
 バイクのフロントの空気圧もばっちり調整したので気持ちよし。やっぱり、あのエアポンプはダメだった。タイヤのバルブに先端を差しこんだときに空気漏れがするまで押しこんでから、留め口を倒さないとだめなようで、そうしないと中のシリンダーを破損したりするらしい。ちなみに今までのポンプでそうやってみたが、いくら押しても空気の漏れる音はまったくしない。買ってきたばかりの1280円也の、手のひらサイズのポンプ(直接バルブにねじ込むタイプ)だと、時間はかかるがちゃんと2気圧まで空気圧があがる。今まであのポンプをバイクに収納していたのがばかばかしくなる。いざというときになんの役にもたたなかったわけだ。
 北海道でパンクしなくて、本当によかった。

 皮パンを履いていたけど、厚木を過ぎ、山間にさしかかってくると、そんなものは関係なく寒くなってくる。とにかく大型トラックばかりで、すっ飛んでくる砂利が、ライトの明かりに細かい雨のように流れてくるし、手がかじかむほどではないが、下半身がズンズン冷たくなってくる。

 足柄SAでたまらず休憩。走りはじめて100キロくらいなのでちょうどいい。四輪は結構駐車しているが、2輪は1台だけ。125か。後輪にU字ロックが掛けてあるので、長時間の休息しているのだろう。明け方の4時だというのに、ちゃんと食堂はやっている。よほどカレーかなにか食べようかと思ったが、眠くなるおそれがあるのでパス。食堂の奥に、ライダーらしき男が腕組みをして眠っている。普段着のままだ。かなり寒かったはずだ。ハイウェイ・カード(5万円)を買い、トイレを済まし、無料のお茶を1杯だけ飲んで4時過ぎには出発。吉田まで約90キロなので、あと1時間強。6時前後には御前崎に着く計算だ。

 まあ、だいたいそのとおりに進み、御前崎の波の打ちつける突堤で一休み。近所のじいちゃんらしき人も散歩をしている。以外に波が強い。10キロほどで、風紋が見事だという砂丘があるらしいので、そこにいくことにする。国道のインターらしきところを下りると、その横にはねむの木学園らしい建物がある。風紋のある砂丘の駐車場にも「ねむの木」と壁に描かれた木造の2階建て(?)建物があるが、今は使われていないらしく廃屋のようになっている。

 案内板に沿って、風紋のある砂丘まで歩いていくが、小山の砂山を越えると、なんの変哲もない砂浜があるだけ。しかも風紋のある様子はない。砂浜の幅にしても20メートルくらいのものか。これを砂丘とは言わないだろう。ということは今越えてきたのが砂丘ということになる。だがそこは柵に囲まれ、区画されたようになり延々と続いている。ここに風紋ができるのだろうか。なんか解せない。

 砂浜にいた老人がこっちに歩いてきたので、訪ねてみると、その人もこのごろこっちに越してきたらしくよくわからないという。そういえば、砂浜にたまに模様のようなものができているが、それが風紋だろうと言うことだ。なんとなく納得したようなしないような……。駐車場までその老人から、話を聞くと、どうやら近くに原発をつくるときに、そこの砂をこのあたりに運んできたらしい。砂の色が若干違うところがあったが、それがそうらしい。駐車場まで一緒に歩いていくと、練馬のナンバーを見て、自分は数年前に豊島区からここにリタイアしてきたんだという。ねむの木学園のことなど、ちょっと話を聞く。今は朽ちかけているあの建物で、以前は土産物などを売っていたという。

 そのあとは、遠州大砂丘をひたすら西へ西へ。だが、ほとんど海は見えない。しかも通勤ラッシュの時間にぶつかり浜松に近づくにつれて、渋滞に巻きこまれる。途中で車の左折事故。浜名バイパスを下りたあたりから、渋滞は解消されて走りやすくなり、伊良湖岬をのぞむ「日出の石門」あたりからの眺めはかなりすばらしい。バイクを停めてしばし見入る。

 伊良湖のフェリー乗り場は道の駅も併設になっているので、しばし休息。朝の9時半。人影は少ない。ただ春休みなので、数人の子供が走り回ってちょっとうるさい。長椅子でしばし横になるが、30分ほどたっても眠りは訪れず、あきらめて出発しようと、もう1度建物を見回すと、3階に食堂の案内板。メシ食うことにする。ここらあたり特産のヤマイモの定食とかあるが、せっかく海の近くにきたので魚ものが食べたい。ということで、潮騒御膳(1500円也)を注文。客はだれもいなかったが、魚フライは揚げたてでサクサク、意外といける。

 元気がでてきたので、出発。どこを走ろうかと地図を見ると浜名湖周辺もいいかなと決めかけたが、メール将棋をやっている大学生の住んでいる小坂井という町もそんなに遠くじゃない。三河大橋から豊川橋、小坂井バイパスを抜けて豊川で姫街道に右折。姫街道といえば、旅番組で由来を言っていた。東海道を避けるために、こっちを利用した姫さんがいたという話だったか。山越えになる旧道をいくと、ガードレールに延々と落書きのスプレー。ようやるなあと妙に感心しつつ、三ヶ日町に抜ける。ここから、浜名湖をぐるりと回ることもできるが、さすがに疲れてきた。そのままインターに向かい帰路につく。2時前には東名に乗る。

 SR250らしい半キャップのバイクが、100キロ以上のスピードで、追い越し車線をすっ飛ばしていく。おーい。そんな恰好で危ないよと思っていると、数10キロほどいった路肩で、パトカーに停められている。

 風強く、トンネル手前でトラックを追い抜いたとたんに、疾風。タンクバッグが煽られ、すっと横にずれる。あわてて無理な前傾姿勢になり右肘で押さえる。トンネルの中はずっとその状態。あぶねえ。5時過ぎには練馬着。結局、この日は700キロ以上走る。疲れたが、気持ちいい。



1999年3月27日 オイル交換

2025年03月08日 | 1999年
3月27日(土)

 午前9時半ころより、オイル交換。
 バイクカバーを開けると、約1ヶ月半の砂埃がびっしりシート、タンクに付着している。ペットボトルに詰めてきた水道水でさっと洗う。フラッシングオイルを注ぎ、約20分間暖機運転。試しにフラッシュオイルを注ぐ前にオイルの粘度を調べてみたが、5000キロ近く走っているわりにはそれほど劣化していないように見える。

 今回からちょっと安いオイル(1リッター980円・一応SG級)を入れるので、オイルフィルターも交換。タイヤの空気圧(スナップ・オンのブルーポイントを東急ハンズで4000円弱で購入)を調べてみると、リアはOK。だが、フロントが1・5気圧くらいしかない。いつもバイクに収納しているメイドインチャイナの980円のエアポンプは踏んでも踏んでも汗が吹き出るばかりで、ちっとも圧があがらない。どうもバイクのタイヤに性能が追いつかないようだ。雨が降り始めてきたので、明日、携帯型エアポンプを買いにいくことにする。
 ただいまの走行距離約、3万7千キロ弱。