ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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司書教諭の役割と養成のあり方を問う!(学校図書館自主講座2月のご案内)

2018年02月18日 | 知のアフォーダンス

  

 重ねてのご案内で恐縮ですが、2月25日に神戸で「司書教諭の役割と養成を考える」というテーマで公開の学校図書館自主講座をおこないます。

 学校図書館自主講座では、発足当初より「探究的な学びと学校図書館の活用」をテーマにして勉強会を重ねてきました。学校図書館を活用した探究的な学びを教科や「総合的な学習の時間」のカリキュラムにどのように位置付けて、どのような指導を行うか。学校図書館の整備はいうまでもなく、学校司書など専門職の配置もふくめた学校の教育体制をどのように確立していくか。教職員間の連携や同僚性の構築と協働、教師の力量を高めるための研修や授業研究の在り方といった課題もあります。
 今回は、司書教諭の役割に着目し、「主体的・対話的で深い学び」という視点から学校図書館を活用する探究学習を提案し、推進していくにあたっての課題や、大学等における司書教諭養成のあり方についても考えます。
 子どもたちが「感動、達成感、生きた学び」といった実感をともなって人間的に成長していく「本物の学び」(authentic learning)を促すために学校図書館がどのようにかかわるのか。現職の先生方をはじめ、管理職、教育行政に関わる方、研究職の皆さんなど、何らかの形で学校図書館に関わっておられる皆さんを交えて話し合いたいと思います。お誘いあわせの上、ご参加いただければ幸いです。

日時:2月25日(日)13:30-16:30

場所兵庫県民会館7階 会議室「ぼたん」

   JR元町駅から北(山側)へ徒歩7分

内容:探究学習の実践と司書教諭の養成に関わってこられたお二人の発表を聞いて、司書教諭の役割と養成について話し合います。

・「教科における探究学習の取り組みー兼任司書教諭の役割―」梶木尚美(大阪教育大学附属池田高等学校教諭)

・「今後の司書教諭養成は何を目指すのか」平井むつみ(滋賀文教短期大学教授)

参加費:500円(会場費+資料費)

申込方法: 件名を「2月公開自主講座申込」として、氏名、所属、連絡先を明記の上、下記にメールで申し込んでください。

   holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

 

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学校図書館自主講座のお知らせ 2月と3月の予定

2018年01月26日 | 知のアフォーダンス

  

 昨年末に引き続いて、以下の通り2月と3月と引き続いて学校図書館自主講座を開きます。関心をおもちの方はどなたでも、事前にお申し込みの上、ご参加ください。(以下の情報は、関心をおもちの個人やグループに自由に転送、転載してくださって結構です)

2月の自主講座「司書教諭の役割と養成を考える」

日時:2月25日(日)13:30-16:30

場所:兵庫県民会館7階 会議室「ぼたん」 JR元町駅から北(山側)へ徒歩7分

http://hyogo-arts.or.jp/arts/kenminmap.htm

内容:探究学習の実践と司書教諭の養成に関わってこられたお二人の発表を聞いて、司書教諭の役割と養成について話し合います。

「教科における探究学習の取り組みー兼任司書教諭の役割―」梶木尚美(大阪教育大学附属池田高等学校教諭)

今後の司書教諭養成は何を目指すのか」平井むつみ(滋賀文教短期大学教授)

3月の自主講座「ジョン・デューイをどう読み、どう活かすか」(ジョン・デューイ読書会報告)

日時:3月18日(日)13:20―16:30

場所:神戸市勤労会館4階 会議室409 JR三ノ宮駅から東へ徒歩5分

https://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html#h2435

内容:学校図書館に関わるメンバーが2015年から京都の町屋に集まってジョン・デューイの著作を読み合っている読書会の報告をします。これまでに読んできた『学校と社会』『経験と教育』『思考の方法』『民主主義と教育』、さらに昨年翻訳刊行されたばかりの『デューイ・スクール―シカゴ大学実験学校:1896年~1903年』などをめぐって、それぞれのメンバーがジョン・デューイをどう読んだかを語り、現代のわが国の教育課題にどのような示唆を得ることができるかを話し合います。読書会は、ひきつづき4月以降も『民主主義と教育』の下巻と『経験としての芸術』を読み進める予定です。

☆ 参加費は、いずれも500円(会場費を分担)です。

☆ 参加申込は、参加を希望される日と、氏名、所属、連絡先を明記の上、下記にメールで申し込んでください。holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

デューイ・スクール―シカゴ大学実験学校:1896年~1903年
 
あいり出版

 

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明けましておめでとうございます!

2018年01月02日 | マミム・メモ

  

    

 年の暮れには、あわただしくバタバタとしていたのに、大晦日から一夜明けると、なぜか落ち着き、威儀を正して新しい年を迎える。清々しく、まるで昨日までの自分がリセットされたようだ。截然と区切ることで気持ちを新たにする仕掛けが年越しの習わしなのだろう。初日の出、初詣、初…なんだっていいのだが、人それぞれのやり方で、昨年中にため込んできた要らぬものを捨てて、新しい自分を生きるきっかけになれば、こんなめでたいことはない。

 だが、近年は若い頃のように期待感や高揚感といったものをだんだん感じなくなっている。歳のせいだろうが、正月気分の世間には馴染まないし、年賀状も若い人はあまり書いてこなくて、圧倒的に小中高校時代の同級生や恩師からのものばかりだから、次世代につながる夢や希望に心を動かされることはめったにない。この歳になれば、高齢者の生き方を考え、終活につとめるべきなのかもしれないが、老人の枠に閉じこもりたくはない。

 だからといって、希望に満ちた若い人たちについていけるわけではないが、彼らの姿を見失わないようにしたい。だから、これからも多様な人たちが交わって学びあう場を創りつづけることにしよう。ジョン・デューイの読書会や学校図書館自主講座はもちろん、みんなの気が合えばジャムセッションや絵本サロン、その他のシンポジウムなども再開できればいい。今月から朗読の勉強会もはじめることになった。久しぶりに竹内敏晴さんのレッスンなどを思い出しながら朗読の技術を磨き、表現や場の共有について体験的に学ぶ機会になるだろう。

といっても、何もかも一気にというのではなくて、風の吹くまま気の向くまま、気分が乗ればどこまでも、不定期につづけられるところまで…というのが、ぼくのスタイルだ。学ぶことは生きることであり、生きることは学ぶことにほかならない。参加する者ひとりひとりが学び合う喜びや探究する喜びを体感できる場、愉快な気が交流する交歓の場をつくっていきたい。

 ということで、これまでご一緒してくださった皆さん、そして、これから仲間に加わってくださる方々も、本年も、どうぞよろしくお願いします。

  

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久しぶりに「学校図書館自主講座」を開きます。

2017年11月02日 | 知のアフォーダンス

 

久しぶりに「学校図書館自主講座」を開く。昨年の4月17日(日)以来、一年八か月ぶり、奇しくも日にちも曜日も同じ12月17日(日)。これからの活動の在り方を示唆する、ひとつのマイルストーンとなる予感もする。今回は、慶應義塾普通部の司書教諭、庭井史絵さんをお招きして、現職の専任司書教諭として勤務しながら博士課程で学び、学位を取得されたご自身の経験をふりかえっていただき、ご研究の一端も披露していただく。後半は、庭井さんのお話しをふまえて、学校図書館専門職が研究を行うことや、情報リテラシー教育を担うことについて、その意義と困難などについても語り合いたい。関心のある方は、ぜひ、ご参加ください。

学校図書館自主講座in神戸

日時:12月17日(日)13:30-16:30

場所兵庫県私学会館 303号室(JR元町駅東口から徒歩2分)

内容

1.報告“司書教諭としての立ち位置を確認するための「研究」-博士課程の7年間をふりかえって-”(仮題)……庭井史絵(慶應義塾普通部)

2.意見交換(庭井さんのお話を受けて、参加者同士が語り合います)

会費:2,000円(会場費、お茶とお菓子など必要経費の実費)

申込:参加を希望される方は、氏名(ふりがな)、所属、連絡先(電話・メールアドレスなど)を記入の上、メールで事前にお申し込みください。

holisticslinfo#gmail.com(#を@になおして送信してください)

「学校図書館自主講座」は、なんらかの形で学校図書館に関わる人たちによる不定期の勉強会である。組織やきまりもなく、面白いテーマや報告者がみつかったときに、その都度、身近なメディアを通して関心をもってくれそうな人に参加を呼びかけてきた。1995年ごろから、さまざまな形でつづけてきた勉強会を、仲間内だけでなく広く呼びかけるようになったのは、たしか、2002年8月に行われた「学校図書館ジャムセッション」からのことではないだろうか。2010年からは「学校図書館自主講座」という名称でつづけているが、それと並行して、この数年間は8名ほどの有志でジョン・デューイの著作を読み合っている。この読書会を通じて参加者それぞれがなにを学び、なにを考えたか、そんなことについても、近いうちに自主講座を開いて、広く共有することも考えている。ご期待ください。

 

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息の共有(「源氏物語と枳殻邸大茶会」で思ったこと)

2017年10月09日 | マミム・メモ

  

 「源氏物語と枳殻邸大茶会」に行ってきました。「古典の日」制定五周年記念のイベントで、私は源氏物語が聞きたくて8月1日の受付開始と同時に申し込んでいたのですが、2・3日ほどで満席になってしまったそうです。
 「桐壺」「空蝉」「夕顔」「葵」の巻をアレンジし、「甦る千年の恋」と題して、原文と現代語訳を織り交ぜて朗読してくださったのは、「古典の日」朗読コンテストの歴代受賞者6名からなる朗読グループ「古都」の皆さんでした。香を焚きしめた京都渉成園・枳殻邸(きこくてい)の広間に雅な言葉が響き、ゆったりと聴衆を包み込んで展開する光源氏と女性たちの美しくも哀しい物語に、私は瞬く間に魅了されてしまいました。その秘密は、どうやら朗読者たちの深く安定した息遣いにあるようです。多彩かつ微細な声の表情の変化が、みごとにコントロールされていて、それに同期するように、聴いている自分の息もからだも整ってくる。演者が圧倒的な演技で聴衆を巻き込んだのではない。朗読者の呼吸と、それを受け止めようとするさまざまな聞き手の呼吸とが、たがいにせめぎ合いながら融け合っていくダイナミックなプロセス、そこに時間をともにできた喜びがともなう。そんな「芸術的」経験を意識したのは、ずいぶん久しぶりのように思います。
 第二部では、夕顔の巻を千年前の発音で読んでくださいました。最初のうちは、独特の発声法と聴きなれない音韻に戸惑い、現実離れしたAIの音声のようにも聞こえましたが、こまやかな情感をともなって広がる独特な声のひびきが、しだいに意味をもったことばとして聴きとれるようになってきて、ドラマチックでありました。
 その場に居合わせた他者と息を共有できてこそ、私たちは真に時間を共有したと言えるのでしょう。表現を微細にコントロールしてくれる深く安定した息、その息を整えてくれるのは、その場の状況の変化に柔軟に
対応できるからだであり、それを見守り適切に方向づけてくれるあたまである。さまざまな気づきを通して学ぶことが多く、自らの課題と出会って、心もとない我が朗読修行のためにも励みになったひとときでした。
 ちなみに、会場となった渉成園枳殻邸は、徳川家光が東本願寺に寄進されたものですが、その昔、光源氏のモデルと言われる河原左大臣・源融(みなもとのとおる)が暮らしていたところから、「源氏物語」ゆかりの屋敷とされています。
 「古都」の朗読会、次回は、来年の3月、芦屋で谷崎潤一郎の作品を中心に朗読する。11月から申込受付が始まります。

 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)