競馬最強馬列伝

日本競馬史上最強馬どの馬か?
そんな究極の問題をなんとなく書いてみるブログです。

セントウルステークス

2009-09-13 | 競馬予想

単勝1本勝負  
16 アルティマトゥーレ




馬連6本勝負  
5 ローレルゲイロ
6 カノヤザクラ
7 サンダルフォン
16 アルティマトゥーレ

5-6  5-7  5-16
6-7  6-16  7-16




1.25-1-3
1.10-1-18

京王杯オータムハンデ

2009-09-13 | 競馬予想

単勝1本勝負  
14 マイネルスケルツィ




馬連6本勝負  
1 ケイアイライジン
3 ザレマ
5 エフティマイア
14 マイネルスケルツィ

1-3  1-5  1-14
3-5  3-14  5-14




1.25-1-3
1.10-1-18

マルゼンスキー8 ~さようなら、マルゼンスキー。語り継ごう、おまえの強さを~

2009-09-12 | 無敗馬列伝
マルゼンスキーの有名な二つのレースについて書いたが、実はこの2レースではなく、私が好きなレースは、マルゼンスキー生涯最後のレースとなる札幌で行われた短距離ステークスである。

トウショウボーイも出走を予定していたレースである。
深管骨瘤が出て回避と言われてはいるが、実際には、マルゼンスキーに恐れをなして、トウショウボーイがこのレースを回避したと言われているものである。

昭和52年7月24日のこのレースこそが、マルゼンスキーの凄さの証であると思っている。

ダートの1200mを1'10"1の日本レコードで駆け抜けたこのレースには色々な意味があった。

マルゼンスキー 短距離ステークス (マルゼンスキー引退レース)


ダートの1200mで、この日本レコード。
2着のヒシスピードにはまたもや大差(10馬身差)の圧勝だったのである。
競馬ファンなら分かると思うが、1200mのレースは3馬身も離したら圧勝と言えるほど距離の無いレース。さらにそれがダートなれば、言うまでも無いであろう・・・。

芝でのスピードは、誰もが認めるところ。
スプリンターではなかったのか・・・と言う疑問には産駆が答えを出してくれた。
不良馬場でもプレストウコウをブッちぎってみせた。
では、ダートは?
ただの早熟馬だったのでは?

と言う疑問を一気に解決してくれるのが、この短距離ステークスであると思う。

そうして、引退前最後のレースが日本レコード。
それも芝では無く、ダートでである。

負けなかったから強い。
そう言ってマルゼンスキーを日本史上最強馬と言う人もいるだろう・・・。
それはその通り。間違いなく、私もそう思う。
それでも、それに対する批判を出す人はいる。

でも、芝もダートも距離も馬場状態も展開も、何一つ関係無かったから強いのであって、だから無敗なのである。

史上最強馬・・・時計で語る人もいるかも知れない。時計だけで言えば、今のG1級の馬と比べれば、決して速い時計では無い。しかし、当時は馬場の整備はおろか、調教コースなどの施設も何も、今とはまるで環境が違ったため、このような話がまかり通るのである。だから、あえて時計論者に筆者は言う。当時、ウッドチップや坂路があったらどうだったのか?馬場の整備が今と同様だったらどうなのか?やはり時代に合わせて、マルゼンスキーは勝っていたに違いない・・・と。

つまり、例えどの時代に、どの距離でどの馬場で、どんなレース展開でも必ず勝っていると言えるであろう馬はマルゼンスキーなのだと言っておこう。

シンボリルドルフを、シンザンを、ディープインパクトを、サイレンススズカを史上最強馬と称えるのは良い。距離を短くすれば、タイキシャトルだ、サクラバクシンオーだと、それも良いだろう・・・

それでも、あえてもう一度言っておきたい。

芝もダートも1000mも、3600mも、雨でも晴れでも、どの土俵に立ってもきっと戦える、そして恐らく勝てるであろう馬は、マルゼンスキーを置いて他にいない、と私は思う。



さようなら、マルゼンスキー
たたえよう、おまえの強さを
語り継ごう、おまえの速さを




これは、昭和53(1978)年1月15日、引退式当日の横断幕に書かれていた文字である。今では伝説となったマルゼンスキー、確かにこの強さは語り継がれている。

(JRAの50周年記念サイトでは、横断幕に書かれていた言葉として「さようなら、マルゼンスキー。語り継ごう、おまえの強さを」となっていましたが、私の記憶では、上記が正しいと思ったので、上記のように記載をさせていただきました。)

年/月/日 競馬場 競走名 距離 騎手 重量 着順 人気/頭数 タイム 馬場 1着馬(2着馬) タイム差
1976/10/09 中山 新馬 芝1200 中野渡 52 1 1/8 1:11.0 (オリオンダーダ) -2.0
10/30 中山 いちょう特別 芝1200 中野渡 52 1 1/9 1:10.5 (シヤダイエツセイ) -1.5
11/21 東京 府中3歳S 芝1600 中野渡 54 1 1/5 1:37.9 (ヒシスピード) ハナ
12/12 中山 朝日杯3歳S 芝1600 中野渡 54 1 1/6 R1:34.4 (ヒシスピード) -2.2
1977/1/22 中京 オープン 芝1600 中野渡 57 1 1/5 1:36.4 (ジヨークイツクリー) -0.4
5/7 東京 オープン 芝1600 中野渡 57 1 1/8 1:36.3 (ロングイチー) -1.2
6/26 中山 日本短波賞 芝1800 中野渡 58 1 1/7 1:51.4 (プレストウコウ) -1.1
7/24 札幌 短距離S ダ1200 中野渡 54 1 1/5 R1:10.1 (ヒシスピード)-1.6


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朝日チャレンジカップ

2009-09-12 | 競馬予想

単勝1本勝負  
14 マストビートゥルー




馬連6本勝負  
6 キャプテントゥーレ
9 ベッラレイア
14 マストビートゥルー
16 サンライズベガ

6-9  6-14  6-16
9-14  9-16  14-16




1.25-1-2
1.10-1-12

紫苑ステークス

2009-09-12 | 競馬予想

単勝1本勝負  
4 リコリス




馬連6本勝負  
4 リコリス
7 デリキットピース
9 ヴィーヴァヴォドカ
10 ハウオリ

4-7  4-9  4-10
7-9  7-10  9-10




1.25-1-2
1.10-1-12

小倉2歳ステークス

2009-09-06 | 競馬予想

単勝1本勝負  
11 サリエル




馬連6本勝負  
2 オレンジティアラ
3 メイショウヘミング
11 サリエル
13 ジュエルオブナイル

2-3  2-11  2-13
3-11  3-13  11-13




1.25-1-1
1.10-1-6

マルゼンスキー7 ~有りえない!?日本短波賞~

2009-09-06 | 無敗馬列伝
4歳(旧表記)になってからのマルゼンスキーに敵は全くいなかった。
と言うより、マルゼンスキーが出走すると言うだけで、他の馬が回避してしまうのだから、敵どころか一緒に走る仲間もいなかった感じである。

実際、4歳初戦となった中京芝1,600mオープン特別戦でも持ったままの楽勝。
マルゼンスキーの脚の骨に罅が入ってしまい、しばし休養。
そして復帰初戦の東京の芝1,600mのオープン特別では、マルゼンスキーのあまりの次元の違う強さを恐れた陣営が次々と回避を表明し、レースが不成立となりかけた。本郷師が「タイムオーバーには絶対しないから出走してくれ」と頼み込みレースは無事成立。事無きを得た。レースはと言うと、マルゼンスキーが目一杯抑えられながら7馬身差の大楽勝。彼の敵は自分自身の脚元とその桁違いの強さだった。


そんな中でも、有名なレースは日本短波賞である。
このレース、遊びながら勝ったといわれているレースで、他馬を明らかに子供扱いしたレースなのである。
直線他の馬と並ぶと直線だけのヨーイドン!!をしかけたのである。それで7馬身差の圧勝。
それも、その時の2着は後の菊花賞馬(それもレコード勝ちした菊花賞馬)となったプレストウコウ。
ちなみにプレストウコウは、この時すでにNHK杯に勝っており、菊花賞前にはセントライト記念、京都新聞杯と勝ちその上で菊花賞レコード勝ちの3連勝をした馬。
これって有りえないレース・・・としか言えません。
こんな馬、長く競馬をやってきましたけどマルゼンスキーの他に見たことありません。

とりあえず。そのレースをちょっとご覧下さい。

1977年 マルゼンスキー - 日本短波賞


実はこの日は不良馬場。
中野渡騎手はその日のレース前、3角のハロン棒で止まって馬場状態の確認をしたらしいのですが、頭のいいマルゼンスキーはそこまで走ればいい、つまりそこがゴールだと勘違いして止まったと言うのが本当の話らしい。それは映像でも分かります。中野渡騎手、4角で必死で追ってます(笑)。

一度エンジンを止めた馬が、あわてて7馬身ちぎってしまう・・・


やっぱり、有りえない馬ですな。

※筆者が思うには、勝ちすぎてまたレースが成立しないようなことがあると困るので、4角で止まって待ったのではないかと思っている…。


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マルゼンスキー6 ~朝日杯3歳ステークス~

2009-09-05 | 無敗馬列伝
朝日杯3歳ステークスは陣営の強い思いが乗ったレースであった。
前走でマルゼンスキーに悪いことをしたと持っている陣営、そうして、苦い思いをさせられそうになった相手ヒシスピードとの再戦。

とにかく、マルゼンスキー陣営にとっては負けられない一戦だったのである。

この一戦だけは、脚の故障を危惧しつつも、出来うる範囲で本気で仕上げたのである。

とはいえ、それでも9分程度の仕上げであったと言われているが・・・

これがその朝日杯3歳ステークス
Maruzensky-Asahihai



2着ヒシスピードにおよそ13馬身差の大差勝ち。
前走でマルゼンスキーを敗れるかもしれない・・・と夢を見たヒシスピードの鞍上、小島太騎手はマルゼンスキーを次のように言った。

「バケモノだ・・・」

ちなみに持ったままで1'34"4という驚異的な日本レコード。3歳(現2歳)馬としては、以降14年も破られることのないレコードを樹立したのである。ちなみに一部の専門家は、ここで


「本気で追っていたらあと2秒はタイムが縮まっていたであろう」


と言っている。

近代競馬において、それも主要な距離のレコードが14年も破られないと言うのは異常としか言いようがない。それも、負け惜しみと違い、レコードで勝ったにも関わらず、専門化に「本気で追っていたら・・・」と言わせる馬など他に見たことも聞いた事もない。

(でも本気で追っていたら、サイレンススズカのようになっていただろうなぁ・・・と筆者は思う。テキもヤネもその辺をしっかり分かっていて、今こうしてマルゼンスキーについて語れることは本当に良かった・・・。)


更に言うと、マルゼンスキーが凄いのは逃馬であり、自分でペースを作って自分でレコードを出しているところなのである。ペースも他の馬も展開も何もかも関係なく、ただ誰もついてくることができないだけ・・・それで勝ってしまう・・・というのが凄いのである。


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