マルゼンスキーの有名な二つのレースについて書いたが、実はこの2レースではなく、私が好きなレースは、マルゼンスキー生涯最後のレースとなる札幌で行われた短距離ステークスである。
トウショウボーイも出走を予定していたレースである。
深管骨瘤が出て回避と言われてはいるが、実際には、マルゼンスキーに恐れをなして、トウショウボーイがこのレースを回避したと言われているものである。
昭和52年7月24日のこのレースこそが、マルゼンスキーの凄さの証であると思っている。
ダートの1200mを1'10"1の日本レコードで駆け抜けたこのレースには色々な意味があった。
マルゼンスキー 短距離ステークス (マルゼンスキー引退レース)
ダートの1200mで、この日本レコード。
2着のヒシスピードにはまたもや大差(10馬身差)の圧勝だったのである。
競馬ファンなら分かると思うが、1200mのレースは3馬身も離したら圧勝と言えるほど距離の無いレース。さらにそれがダートなれば、言うまでも無いであろう・・・。
芝でのスピードは、誰もが認めるところ。
スプリンターではなかったのか・・・と言う疑問には産駆が答えを出してくれた。
不良馬場でもプレストウコウをブッちぎってみせた。
では、ダートは?
ただの早熟馬だったのでは?
と言う疑問を一気に解決してくれるのが、この短距離ステークスであると思う。
そうして、引退前最後のレースが日本レコード。
それも芝では無く、ダートでである。
負けなかったから強い。
そう言ってマルゼンスキーを日本史上最強馬と言う人もいるだろう・・・。
それはその通り。間違いなく、私もそう思う。
それでも、それに対する批判を出す人はいる。
でも、芝もダートも距離も馬場状態も展開も、何一つ関係無かったから強いのであって、だから無敗なのである。
史上最強馬・・・時計で語る人もいるかも知れない。時計だけで言えば、今のG1級の馬と比べれば、決して速い時計では無い。しかし、当時は馬場の整備はおろか、調教コースなどの施設も何も、今とはまるで環境が違ったため、このような話がまかり通るのである。だから、あえて時計論者に筆者は言う。当時、ウッドチップや坂路があったらどうだったのか?馬場の整備が今と同様だったらどうなのか?やはり時代に合わせて、マルゼンスキーは勝っていたに違いない・・・と。
つまり、例えどの時代に、どの距離でどの馬場で、どんなレース展開でも必ず勝っていると言えるであろう馬はマルゼンスキーなのだと言っておこう。
シンボリルドルフを、シンザンを、ディープインパクトを、サイレンススズカを史上最強馬と称えるのは良い。距離を短くすれば、タイキシャトルだ、サクラバクシンオーだと、それも良いだろう・・・
それでも、あえてもう一度言っておきたい。
芝もダートも1000mも、3600mも、雨でも晴れでも、どの土俵に立ってもきっと戦える、そして恐らく勝てるであろう馬は、マルゼンスキーを置いて他にいない、と私は思う。
さようなら、マルゼンスキー
たたえよう、おまえの強さを
語り継ごう、おまえの速さを
これは、昭和53(1978)年1月15日、引退式当日の横断幕に書かれていた文字である。今では伝説となったマルゼンスキー、確かにこの強さは語り継がれている。
(JRAの50周年記念サイトでは、横断幕に書かれていた言葉として「さようなら、マルゼンスキー。語り継ごう、おまえの強さを」となっていましたが、私の記憶では、上記が正しいと思ったので、上記のように記載をさせていただきました。)
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トウショウボーイも出走を予定していたレースである。
深管骨瘤が出て回避と言われてはいるが、実際には、マルゼンスキーに恐れをなして、トウショウボーイがこのレースを回避したと言われているものである。
昭和52年7月24日のこのレースこそが、マルゼンスキーの凄さの証であると思っている。
ダートの1200mを1'10"1の日本レコードで駆け抜けたこのレースには色々な意味があった。
マルゼンスキー 短距離ステークス (マルゼンスキー引退レース)
ダートの1200mで、この日本レコード。
2着のヒシスピードにはまたもや大差(10馬身差)の圧勝だったのである。
競馬ファンなら分かると思うが、1200mのレースは3馬身も離したら圧勝と言えるほど距離の無いレース。さらにそれがダートなれば、言うまでも無いであろう・・・。
芝でのスピードは、誰もが認めるところ。
スプリンターではなかったのか・・・と言う疑問には産駆が答えを出してくれた。
不良馬場でもプレストウコウをブッちぎってみせた。
では、ダートは?
ただの早熟馬だったのでは?
と言う疑問を一気に解決してくれるのが、この短距離ステークスであると思う。
そうして、引退前最後のレースが日本レコード。
それも芝では無く、ダートでである。
負けなかったから強い。
そう言ってマルゼンスキーを日本史上最強馬と言う人もいるだろう・・・。
それはその通り。間違いなく、私もそう思う。
それでも、それに対する批判を出す人はいる。
でも、芝もダートも距離も馬場状態も展開も、何一つ関係無かったから強いのであって、だから無敗なのである。
史上最強馬・・・時計で語る人もいるかも知れない。時計だけで言えば、今のG1級の馬と比べれば、決して速い時計では無い。しかし、当時は馬場の整備はおろか、調教コースなどの施設も何も、今とはまるで環境が違ったため、このような話がまかり通るのである。だから、あえて時計論者に筆者は言う。当時、ウッドチップや坂路があったらどうだったのか?馬場の整備が今と同様だったらどうなのか?やはり時代に合わせて、マルゼンスキーは勝っていたに違いない・・・と。
つまり、例えどの時代に、どの距離でどの馬場で、どんなレース展開でも必ず勝っていると言えるであろう馬はマルゼンスキーなのだと言っておこう。
シンボリルドルフを、シンザンを、ディープインパクトを、サイレンススズカを史上最強馬と称えるのは良い。距離を短くすれば、タイキシャトルだ、サクラバクシンオーだと、それも良いだろう・・・
それでも、あえてもう一度言っておきたい。
芝もダートも1000mも、3600mも、雨でも晴れでも、どの土俵に立ってもきっと戦える、そして恐らく勝てるであろう馬は、マルゼンスキーを置いて他にいない、と私は思う。
さようなら、マルゼンスキー
たたえよう、おまえの強さを
語り継ごう、おまえの速さを
これは、昭和53(1978)年1月15日、引退式当日の横断幕に書かれていた文字である。今では伝説となったマルゼンスキー、確かにこの強さは語り継がれている。
(JRAの50周年記念サイトでは、横断幕に書かれていた言葉として「さようなら、マルゼンスキー。語り継ごう、おまえの強さを」となっていましたが、私の記憶では、上記が正しいと思ったので、上記のように記載をさせていただきました。)
年/月/日 | 競馬場 | 競走名 | 距離 | 騎手 | 重量 | 着順 | 人気/頭数 | タイム | 馬場 | 1着馬(2着馬) | タイム差 |
1976/10/09 | 中山 | 新馬 | 芝1200 | 中野渡 | 52 | 1 | 1/8 | 1:11.0 | 良 | (オリオンダーダ) | -2.0 |
10/30 | 中山 | いちょう特別 | 芝1200 | 中野渡 | 52 | 1 | 1/9 | 1:10.5 | 良 | (シヤダイエツセイ) | -1.5 |
11/21 | 東京 | 府中3歳S | 芝1600 | 中野渡 | 54 | 1 | 1/5 | 1:37.9 | 重 | (ヒシスピード) | ハナ |
12/12 | 中山 | 朝日杯3歳S | 芝1600 | 中野渡 | 54 | 1 | 1/6 | R1:34.4 | 良 | (ヒシスピード) | -2.2 |
1977/1/22 | 中京 | オープン | 芝1600 | 中野渡 | 57 | 1 | 1/5 | 1:36.4 | 良 | (ジヨークイツクリー) | -0.4 |
5/7 | 東京 | オープン | 芝1600 | 中野渡 | 57 | 1 | 1/8 | 1:36.3 | 良 | (ロングイチー) | -1.2 |
6/26 | 中山 | 日本短波賞 | 芝1800 | 中野渡 | 58 | 1 | 1/7 | 1:51.4 | 不 | (プレストウコウ) | -1.1 |
7/24 | 札幌 | 短距離S | ダ1200 | 中野渡 | 54 | 1 | 1/5 | R1:10.1 | 良 | (ヒシスピード) | -1.6 |
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