”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

私がブログを始めたわけ(5)

2006-03-29 14:43:31 | 私がブログを始めたわけ

このテーマも5回目、今回で完結です。<下書きしていたデータが消えてしまい、アップが遅くなりました…>


(福岡から毎日のように見てます。)さんからの質問も残り一つとなりました。


専務は何のためにこのブログをはじめたのでしょうか?


何らかの目的があり、意気込んで始めた訳ではないのです。これだけ真剣に質問されるとも予測しませんでした。この問いかけのおかげで、5回に亘り考えてきましたが、自己分析のようで…でも、内観するいい機会だったと感じています。


なぜ、始めたのか…明確に分けてよいのかわかりませんが、五つの理由があるように思います。


1.感謝している状態は気持ちがいいから。


今ここに自分がいるのは、これまで出会ってきた方々のおかげです。しかし、日々の生活では、それに慣れてしまって、ことさら意識することはありません。その中でも、特に影響が大きい方に対しては、常日頃から意識し、感謝する気持ちを持続させなければならない、と感じています。今回、タイトル名が浮かんだ後、それらの方々をリストアップしてみて、その数に改めて驚きました。


幸福とは…なんて宗教じみて大きな話ですが、空腹時に食事をしたときの満足感、危険から危機一髪免れたときの安心感、愛情や友情に満たされたときの幸福感、人から賞賛を受けたときの高揚感、自分のビジョンを叶えたときの達成感など様々です。そして、いくら大きな幸せを感じたとしても、それらはひと時です。どれだけ嬉しくても、5分、10分もすればその状態に慣れてしまいます。幸福感とは泡のように消えてなくなってしまうものなのです。でも、満たされた気持ちを感じるまでには、耐え忍ぶ長く辛い時期が必ずあります。そうはいっても、わかってはいても、私は、毎日がシンドイ日々なのは耐えられません。


日々を穏やかに、リラックスして過ごすためには、どうすればよいのでしょうか?私は、感謝するという時間を日々つくることが早道だろうと感じています。人だけでなく、自然に対しても忘れることなく、「自分は生かされている」という実感が必要なのではないかと考えているのです。その仕掛け作りのために、このブログを始めたのだと思います。


2.友人とのコミュニケーション手段として魅力を感じたから。


庭譚の橋本善次郎君と最後に会ったのは8ヶ月前。でも、彼のブログを読んでいると、とても身近な存在として感じるのです。離れていても、悩みや喜びや…いろんな状況がリアルタイムに伝わってきます。大切なご縁の方々と、疎遠になることなく繋がりつづける…という可能性を秘めたツールだと感じています。


(始めてみてわかったことですが、ブログは一般の方にも広く開かれているのですね。これだけ、想像もつかない数のブログがあるので、私が会った人以外は見ないだろう、という前提で始めてしまった気がします。今後は、十分注意しなければなりません。)


3.自分の視点をより多角的に、深く考える機会を作りたかったから。


私がブログを始めたわけ(2)の冒頭にも触れましたが、慣れてしまって当たり前の自然観、原理・原則が身の回りに数多くあります。


「それこそが学ぶということだ。これまでもずっと知っていたことが、突然新しく見える。…ドリス・レッシング」(3月1日の今日の言葉で紹介しました。)


これまで知っていたことが突然新しく見える、という機会をできるだけ作っていきたいと思っています。「斜め34度からの視点」というカテゴリーをつくったのも、そうした意図によるものだと思います。今の自分の視点や価値観に対し、疑いを持つことが必要だとも感じています。


4.価値観を表現する場として魅力を感じたから。


このブログでコミュニケートしたいのは、遠く離れた友人だけではありません。身近な人とどれだけ価値観のキャッチボールをしているのでしょうか?


価値観をさらすのは、怖いことです。正しい・ソウデナイ、善・悪などだけでなく、好き嫌いが出てくるからです。感情の軋轢が表に出てくるのだと思います。建前という盾で身を守り、本音はそっと潜めている。このような本音と建前の使い分けが私は得意ではありません。身近な人はモチロン、これから出会う方にも、このブログを読んでもらい、本音で語り合えたら…と願っています。


でも、価値観を表現したい対象が、それだけでないことに気付かされました。どうも、成人する頃の私の子供達…という意識が働いているようです。悩み、苦しむ有態の姿を感じてもらえれば…とも思います。


5.X先生の宿題でもあったから。


3月8日のブログの中に出てくるX先生からの電話の中で、人の山を守る動きをしろ、という事とは別に、実はその時、もう一つの課題がありました。それは、「自分の考えていることを、インターネットで書き伝えなさい。仲間が集まるから。」というものでした。文章能力の稚拙な私が、どれだけ自分の考えを表現できるのか、今でも不安を感じブログを書いています。そういう不安感もネックになっていたのでしょうか、課題を行動に移すまでに、8年が経過してしまいました。様々な言い訳を繰り返し、延期してきたのです。


ではなぜ今始めたのか…それは結局、「なんとなく始める気になったから」なのではないかと思うのです。答えになっていないと言われればそれまでですが…


 


付け加えて、このブログを書く際、留意することを続けます。


a.自分の氏素性を明らかにして、このブログをアップロードすること。


書いたことに責任を持つためにも、匿名にすることを避けます。


b.ブログを書く時間は、深夜で一人のときは避けること。


日々を終え、疲労感を感じる深夜に、一人でパソコンに向かうとき、前向きで建設的な状態である自信がありません。、できるだけ日のあるうちに書くように心がけます。


c.今後、自分以外の実名を出す場合は、できるだけ事前確認をとること。


これは、このブログを始めた後、反省させられた事柄です。事後了承がどれだけ多かったことか…師を紹介するカテゴリーが増えないのは、この部分で躊躇しているのです。


 


 


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