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”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

懐かしいと感じる里山の風景を考える。

2009-05-03 14:09:48 | 「山の文化」のルーツを探る
「ISIS編集学校」に入門するまでの26日間を二度草稿したのですが巧くいきません。 一度目は「保存」を、二度目は「公開」のアイコンをクリックしたものの、 二度ともエラーとなり、データは消滅してしまいました。凹みます・・・ これは、アップするな、とのメッセージかもしれませんねぇ・・・(笑) というわけで、また改めてこの話題は書くことにして、お題を変えて気を取り直していきます。^^ . . . 本文を読む

山の神様と東京ディズニーランド

2008-05-09 18:50:38 | 「山の文化」のルーツを探る
前回は、木の神様の話をご紹介しました。続編といってはなんですが今回は・・・ 熊本県の球磨地方でお伺いした山の神様のお話を少ししたいと思います。由緒正しい木の神様とは趣が異なり、八百万神のような印象の神様です。 3年半ほど前の冬の日の夜、球磨川の源流にある水上村の民宿で、球磨地方に住むIさん・Sさんと一緒に囲炉裏を囲んでいたときのことです。顔が赤らんできたころでしょうか、Iさんから真顔で「お前、山神様がおると信じる気あるか?」と尋ねられました。 . . . 本文を読む

分棟型民家から縄文と弥生を想う

2007-01-13 17:27:07 | 「山の文化」のルーツを探る
今回の宮崎行きでどうしても訪れたかったのは、宮崎県立総合博物館構内にある民家園。くしくも昨年の12月22,23日と宮崎に安藤先生が調査に見えられ、お誘いを受けたのだが都合をつけられず残念な思いをしていた。宮崎入りした翌日、妻と子供たちは「こどものくに」で遊んでもらい、一人冒頭説明したチルチン別冊を握り締め、宮崎県内から移築された四棟の民家を目指した。 . . . 本文を読む

めざせ、山のカウンターカルチャー

2006-11-20 14:06:07 | 「山の文化」のルーツを探る
それにしても、奥さんとのやり取りをしながら想う。古代に思いを馳せ、空想の世界に浸る感覚は、まるで思春期の頃に戻ったようだと。 この仕事を始めて10年。建築に係わる仕事を通して、このようなテーマがライフワークになるとは、思春期の頃は勿論のこと、10年前でさえ想像だにしなかった。 誤解があるのかもしれないが、私は、山間に暮らす善良で朴訥な人間ではない。そうなりたくても、捻くれた自我が邪魔をする。 若かりし(?笑)頃は、今とは似ても似つかない、異なったベクトルで生活をしていたように思うのだ。 . . . 本文を読む

倉と社から人と神を想う

2006-11-18 10:28:54 | 「山の文化」のルーツを探る
奥さんとのやり取りは、神話から植樹史へ、植樹史から建築史へ、そして伊勢神宮へと辿り着いた。 今改めて、メール中にでてくる高床倉は、この国の様々な建物の原型だと感じている。 社殿の多くが、高床倉の切妻屋根なのだが、それは、神の社(かみのやしろ)に限らず、吉野ヶ里にも良く見られるディティールである。吉野ヶ里を訪れる度に実感する。神の社の原型は倉なのだと。 . . . 本文を読む

神話と歴史と現実のフラクタル構造

2006-11-17 10:01:51 | 「山の文化」のルーツを探る
昨日アップした奥さんへの返事を送付した翌々日、早速メールが届ってきた。 神話としての解釈と歴史的な解釈が交錯し、徐々に深みにはまっていく。 山と木と建物は本当に一繋がりである。山川海がフラクタルな一繋がりであるのと似ている。 神話と歴史と現実もまたフラクタル構造だと言えるのかもしれない。 . . . 本文を読む

神話と現実の刃境

2006-11-16 13:34:50 | 「山の文化」のルーツを探る
お恥ずかしながら、地元の歴史に対し、これまであまり関心を持っていなかったと反省している。 幸運にも今回、吉野地方への旅がきっかけとなり、山の文化、木の文化、地元の歴史と一繋がりで探る絶好の機会に恵まることになった。 昨日アップした奥さんからのメールに対する返事を、今日はアップしたいと思います。 . . . 本文を読む

神話に感じる山の文化

2006-11-15 11:00:21 | 「山の文化」のルーツを探る
奈良・吉野を訪れて、早二週間が過ぎた。当初の目的は、吉野林業、ヘリコプター集材、製材事情などを見たいというものだった。 ところが、吉野地方と、私が住む福岡県朝倉地方旧杷木町は、7世紀後半から8世紀にかけ、大変縁が深いということに気付いた。 旧杷木町には、九州で唯一遷都されたという「橘の広庭の行宮」(たちばなのひろにわのみや)があったと聞いていた。 甘柿の日本随一の出荷を誇る、旧杷木町内志波(しわ)台地にその跡が眠っているとは、広く知られる。 橘広庭宮は、白村江の戦いの際、斉明天皇が造営され、その際、中大兄皇子、大海人皇子ほか文武百官を連れて来たという。 その歴史に興味はあったが、なかなか、調べる機会がないままに今日に至っていた。 白村江の戦いより時代は下り、壬申の乱前、大海人皇子が隠棲し身を隠したところが吉野地方だと知る。 そんな歴史に触れ、興味が沸いた今回の旅の三日目に、和歌山県の伊太祁曽(いたきそ)神社の禰宜であられる奥重貴氏と出会う。 伊太祁曽神社の主祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)。木の神様の総本山でもある。 それからというもの、ブログのアップそっちのけで、重たい文字数のメール交換ばかりしている。 「山の文化のルーツを探る」を書いていた時期、偶然でもあるまい。数回に分けて、そのやり取りをアップしたいと思う。 . . . 本文を読む