今回で「私がブログを始めたわけ」も4回目です。
自分のことを分析するというのは、怖いものがありますが、
なぜ始めたのか、ようやく分かってきた気がします。
今日も(福岡から毎日のように見てます。)さんの質問に答える形をとります。
私は、人生を本能で逆算しています。決して長生きするとは仮定していません。山で命はっていましたから。足が震えるぐらいの死が目の前にあると、生きたいという本能が目覚めます。その時、どれほど理の価値があるでしょうか?
命に関わる瞬間に理を考えるこなど不可能です。
だからといって、理が無価値というのが理解できません。
いつも、このブログのような、小理屈を考えて行動することが理だと誤解しているのではないでしょうか?
あくまで、理とは、自然の法則そのもので、そこから逃れることはできないものです。
ここで言いたいのは、中長期に渡る一貫した行動をする、つまり計画を立てるとき、理の事を考えてないと、自然や世の中からしっぺ返しを食らうのではないか、ということです。
本題からずれますが、(福岡から毎日のように見てます。)さんのこの意見の中には、
日ごろ忘れている、大切なことに気付かされます。
平成3年の台風19号は、九州北部の山林にに大きな被害をもたらしました。
山は、風倒木で墓場のようになりました。その復旧の際、多くの事故が発生し
貴重な命が奪われ、けが人も多数でたと聞いています。
山仕事は、危険に見舞われる大変な仕事です。そのことを、私たち製材業者は、
日頃意識せず、木のことばかり、良い悪いなどと言って評価し、購入しているだけのような気がします。もっと、襟を正さねばと思いました。
今、何の後ろ盾もなく一人で、福岡の地に立っています。子どものころに戻ったような気がします。
羨ましい気がします。
「苦労は若いうちにしたほうがいい。一生分の苦労の量はみんな同じだから。」
と励ましてくれる方、意外とご年配の女性に多いです。
また、「塞翁が馬、悪いことがあっても絶望するな、きっといいこともあるから。」
と励ましてくれる方も多いです。
これらは、年の功、年配の方からよく聞かされる理の法則だと思います。
最近、これこそが、陰陽説なのではないかと感じているのです。
昼と夜、日向と陰、男と女、正(+)と負(-)など。
つまり、いいことも悪いことも常に相反して無常に存在する、ということです。
それなのに、無いことばかりを嘆いている自分がいます。
多くの方から恵まれていると言われる身なのですが・・・
三輪明宏の「ああ正負の法則」という本は、ピンとこなかった陰陽説の理解に手助けしてくれたと感じています。
理ではなく原始的な本能で前に進みたいと思っています。
原始的な本能と理は矛盾する事柄にはならないと考えます。
理に合わない本能による行動の場合は、自然や世間からしっぺ返しを食らうのです。犯罪の多くはその類だと思います。
本能の行動が理に適っているときは、幸福な気持ちをもたらしてくれるのではないでしょうか。
例えば、新鮮な食材を、美味しく食べる、スポーツで汗を流す、美しい音楽を聴く、なども、本能と理に適った身近な行為だと思います。
次回は、なぜ私がブログを始めたのか、まとめてみます。
自分のことを分析するというのは、怖いものがありますが、
なぜ始めたのか、ようやく分かってきた気がします。
今日も(福岡から毎日のように見てます。)さんの質問に答える形をとります。
私は、人生を本能で逆算しています。決して長生きするとは仮定していません。山で命はっていましたから。足が震えるぐらいの死が目の前にあると、生きたいという本能が目覚めます。その時、どれほど理の価値があるでしょうか?
命に関わる瞬間に理を考えるこなど不可能です。
だからといって、理が無価値というのが理解できません。
いつも、このブログのような、小理屈を考えて行動することが理だと誤解しているのではないでしょうか?
あくまで、理とは、自然の法則そのもので、そこから逃れることはできないものです。
ここで言いたいのは、中長期に渡る一貫した行動をする、つまり計画を立てるとき、理の事を考えてないと、自然や世の中からしっぺ返しを食らうのではないか、ということです。
本題からずれますが、(福岡から毎日のように見てます。)さんのこの意見の中には、
日ごろ忘れている、大切なことに気付かされます。
平成3年の台風19号は、九州北部の山林にに大きな被害をもたらしました。
山は、風倒木で墓場のようになりました。その復旧の際、多くの事故が発生し
貴重な命が奪われ、けが人も多数でたと聞いています。
山仕事は、危険に見舞われる大変な仕事です。そのことを、私たち製材業者は、
日頃意識せず、木のことばかり、良い悪いなどと言って評価し、購入しているだけのような気がします。もっと、襟を正さねばと思いました。
今、何の後ろ盾もなく一人で、福岡の地に立っています。子どものころに戻ったような気がします。
羨ましい気がします。
「苦労は若いうちにしたほうがいい。一生分の苦労の量はみんな同じだから。」
と励ましてくれる方、意外とご年配の女性に多いです。
また、「塞翁が馬、悪いことがあっても絶望するな、きっといいこともあるから。」
と励ましてくれる方も多いです。
これらは、年の功、年配の方からよく聞かされる理の法則だと思います。
最近、これこそが、陰陽説なのではないかと感じているのです。
昼と夜、日向と陰、男と女、正(+)と負(-)など。
つまり、いいことも悪いことも常に相反して無常に存在する、ということです。
それなのに、無いことばかりを嘆いている自分がいます。
多くの方から恵まれていると言われる身なのですが・・・
三輪明宏の「ああ正負の法則」という本は、ピンとこなかった陰陽説の理解に手助けしてくれたと感じています。
理ではなく原始的な本能で前に進みたいと思っています。
原始的な本能と理は矛盾する事柄にはならないと考えます。
理に合わない本能による行動の場合は、自然や世間からしっぺ返しを食らうのです。犯罪の多くはその類だと思います。
本能の行動が理に適っているときは、幸福な気持ちをもたらしてくれるのではないでしょうか。
例えば、新鮮な食材を、美味しく食べる、スポーツで汗を流す、美しい音楽を聴く、なども、本能と理に適った身近な行為だと思います。
次回は、なぜ私がブログを始めたのか、まとめてみます。
本当にブログは難しいですね。とても参考になりました。
これからも、自分の考えを本音で書いていこうと思います。
小理屈野郎と言われても続けます。。。
屈託のないご意見ヨロシクお願いします!
ブログってのは、不特定多数、知らない人に発信する日記なので、難しい部分がたくさんあると思います。
使い方を間違えると、士気がさがってしまいます。
文章で伝えられることに、限界があることも事実です。
「福岡から毎日のように見ています」さんのように、真剣に見てくださっている方もいるでしょうし、逆に、書いてある事に反論して、ストレスを発散しようとしてくる方もおられます。
ここでブログをやっている以上、こちらの身上はわれていますが、相手は名乗らず意見をぶつけてきます。
それが、フェアーかそうでないかは考え方の違いですが、私はそういうのが苦手です。討論は、フェアーな状態で行われるべきものだと思います。
「名を名乗れ!」って言いたくなりますが、それが無理なのが「ブログ」です。
文章で意見を交換するのはとても難しく、労力がいります。
>「福岡から毎日のように見ています」さんの、ブログをやっている以上、質問に答える義務があります。
というコメントがありましたが、義務はないと思います。
答えたければ答えればいいし、答えなくなければ答えなくていいんじゃないかな。。。
人間味のある言い方ですが、義務があります。とか、このブログを読んで人生が変わる人もいるとか、正しい事をいっているような文章ですが、そんな事書くくらいなら、実名出したらどうですか?
真剣ならば、なおさらだと思います。
あなたが何をやっている方なのか、お幾つなのかによっても、説明の仕方も変わってくると思いますが・・・
それに、人生を変えるのはこの文章じゃない。。。
あなた自身じゃないでしょうか?
文章に擦り付けるのは良くないと思いますが。。。
それと、「議論は答えがないからする」といっても、相手人物の背景や、経緯によっても、受け取り方がかわってきます。
返答も仕方も変わってきます。
相手人物の背景や、経緯が見えないのがブログです。
顔を見て、向き合って議論するのとは内容も変わってくると思います。
私は、このブログは杉ちゃんらしくて好きです。
一緒にがんばろうね!!!
ブームだ、ブームだ~~~!!!