豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

Yくんとお好み焼き

2013-01-04 23:18:44 | 日記
今日はあれから姪っ子、結佳ちゃんとコンビニへ。

お菓子を買ってあげて、帰宅してからカルタをしました。

ケーキのおもちゃで少し遊びましたが、早々に退いてPCをします。


で、坂口恭平さんのツイートを読んでいました。

ツイッターにアクセスするとInternet Explorerのバージョンが古いのでモバイル表示になっていると書いてある。

気になるので更新できないか調べてみましたが、途中で飽きてやめる。

退屈なので何をしようか考えているとYくんから電話があり『天の庭』へ行く予定がなくなったので食事しに行かないかと誘われる。

もちろん了解です。


千鶴さんに一応メールで報告してからYくんの到着を待ちます。


坂口恭平さんのYouTubeでの動画を見る。

途中で停電した。

この頃、よく停電するが暖房をエアコンにしているからだろう。


1時間ほどしてからYくんがやってくる。

最初『ちゃん』というラーメン屋へ行こうとしたが閉まっていたので、ぐるぐる鈴鹿市内を徘徊して『ぐーちょきぱー』というお好み焼き店へ行く。

こちらは、お好み焼き定食唐揚げセット950円とかなり安いです。

あんまり気を遣わなくて良い雰囲気でお客さんも五月蠅くないし、こういうところは良い。

ただ、閉店間際だったのでゆっくりせずに、慌ただしく退店しました。


そのあと三省堂書店、宮脇書店を巡って帰宅しました。

Yくんは『ハトのおよめさん』というコミックを購入していた。

月刊アフターヌーンで連載されていた漫画のようですが、かなりおもしろいそうです。

気になる方は是非。

僕はフィリップKディックの小説を買おうか迷いましたが結局見送りました。


帰りにミニストップに寄ってホットコーヒーを購入する。

レジの女の子が預かり金を打ち間違えて気にしていたのが印象に残りました。

まあ一応、声かけたくはなる気持ちは分かります。

ありがとう。


移動中、食事中は様々な会話を交わします。

主にリトルピープルの時代に関してですね。

コミュニティが分化されているので、今までの会社や地域という居場所がネットや趣味の世界での繋がりに変わりつつあると思います。

大きな物語が成立しない現代では、個々の小さな物語が重要になっている。

それを表現していくことで他者とのコミュニケーションが取れるというわけです。

僕は、どうしても自己を催眠状態から解放するということに感心が映ってしまうので、何をやっても結局そこに行きつく。

これが僕の小さな物語である。


小さな物語は語られなければならない。

Yくんから、ツイッター、フェイスブック、ミクシィというそれぞれの形態に適した記事を書いていくのはどうかと勧められる。

例えば、各サイトで視点の違う物語を描く。

それが難しければ、ツイッターのように140文字で区切れるように記事を書くとか、フェイスブックのように感性的なものを書くなどが良いのではないか。

面白そうなので色んな媒体に書いていこう。


あとは結局、身体の話しに落ち着いていきました。

身体は本能、動作、性の各中枢に分割されています。

そして、その中心は脊髄にあると言われています。

本能は生まれたときにすでに持っていた能力ですね。

暑い寒いと感じるとか、耳が聞こえるとかそういう能力です。

動作は、生まれてから身につけた動きです。

歩くとか、物を持つとかです。

そして性は2つに分かつ機能です。

男性、女性、善と悪、生と死などに分かつ働きのようですが、イマイチ分かりません。

性と聞くとエロいことしか思い浮かばない(笑い)


それらの機能が総合して身体機能と呼ばれます。

問題は人間の進化という観点から身体を見た場合、どの能力が必要かということです。

ここで問題とされているのは『性の変容』です。

ちょっと怪しいお話しになって参りました。

ここから自分が考えていることを書きますが、単なる狂人と思われる可能性が大です。

ともかく書いてみます。


で、性エネルギーというものは男性は精子という形で結実するわけですが、これを通常の消費ではなく進化に使うというのが古来からの伝統的教えに含まれています。

禁欲したり、過剰に排出したりするのは、これを新しい身体を形成するために使う必要があるからですね。


性が変容するのはどういう時かと言えば、深まった感受性と統合された時です。

愛が生まれるのは、この時で、物理的、物質的に生まれるのです。

生まれると言うより、新たに形成されたこの『感受性+性エネルギー』の摩擦統合体が、元々あった人間の本性を顕わにする。


この目的を達するために様々な修業体系があるわけです。

性エネルギー自体は正常な人であれば、問題なく機能していることは言うまでもありません。

問題は感受性のほうです。

花を見て、記憶からアクセスしたりしていると感受性が働かない。

また内面で他人のことや自分のことばっかり考えていても働かない。

感情的に怒ったりしていても働かない。

つまり何らかの対象に注意を奪われていると純粋な感性というものが生まれないのです。


で、あることから『いまここ』という禅的発想になります。


しかし、これらの過程が、すべて物質的に起こっているという発想がスピリチュアルと呼ばれている分野で極端に無視されています。

世界は物質で構成されているので、密度の低い波動へと人体が進化する過程も完全に物理的であるのです。

『いまここ』に留意するのは気づきを形成する為です、そして、その気づきは身体機能、もっというと感覚機能(神経機能)へと落とされなくてはいけないのです。

それらが同時に行われて初めて感受性が復活します。

超クリアーに世界を捉えられるわけですが、それはただの副産物であります。


超クリアになった感受性は、身体の無駄なエネルギーを省いて活性化された性エネルギーと交配されます。

その交配が実行される場所がハート(胸)です。

そして、この胸に魂が宿っていて、この魂が十分な物質を得ることで成長を遂げていくわけです。

一旦、身体に落とされた気づきが感受性と性を媒体とした食べ物を胸へと運ぶ為に再度上昇しなければいけません。

この時に『平和』とか『平穏』などという状態が胸の奥で感じられるでしょう。

それは懐かしい感覚だと思います。

昔から知っていたような『感覚』です。

この『感覚』は物質を与えられ続けることで成長していきます。

しかし膨大な食料が与えられ続けなくてはいけません。

土に蒔いた花の種が少しずつ芽をだして、茎が伸びて、葉っぱができて、更に季節が来て花が咲くように。


なので、長期間にわたってずっとこの高次の食料(愛)が魂に与え続けられないと人間は成長できずに死んでしまうと言われるのです。

身体は生きているのに魂は死んでいる人はたくさんいると言われています。


と、まあ書いてみましたが、もっと普通に説明できないか色々試してみようと思います。

ツイッターもやるかなあ……。



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丹生大師へ

2013-01-04 14:37:31 | 日記
昨日はあれから『麒麟の翼』というドラマを見ました。

それで、人間の思いが強調されるとある程度感動するんだなと思います。

美輪明宏の歌でも、そうですが真剣さが伝わると感動します。

本気らしさと言ってもいいかもしれませんね。

僕はだらっとすることが多いので直していかないといけません。


千鶴さんが途中で起きてきてお風呂へ入ります。

多気のお風呂は何か気持ちいいので考えてみましたが、お湯の温度が高いからじゃないかと思います。

ゆったり入ってから髪を乾かしている。

落ち着いてからドラマを見ている僕の横で携帯電話ゲームをやっています。

ほんと好きだなあ。

ドラマを見終わってから就寝しました。


今朝は10時に起きます。

起きていくと皆さんリビングでテレビを見ています。

お母さんが朝食に雑煮を作ってくれたのでいただきました。

全員で、近所にある丹生大師さんとお墓にお参りするために準備をしてお出かけです。

車で5分ほど走ったところにお墓があります。

線香を立ててお祈りをします。

すぐ近くに丹生大師というお寺があり、そちらへ向かいます。

駐車場には『ふれあい館』という地元の野菜を販売しているお店があります。

千鶴さんが食事がしたいというので、そちらへ寄りました。

館長さんが千鶴さんの同級生のお母さんらしく、楽しそうに話して、僕も紹介されました。

気さくな方でとても気分が良くなります。

「サラダボウルで食事してって」と声をかけていただきました。

こちらは毎日、シェフが交代する制度でランチ1種類が楽しめるようです。

5品~6品くらい付いています。

地元の素人の方や以前にレストランをされていた方などが入れ替わり作ってくれています。

本日は出汁巻き卵、ブリなどでしたが美味しかった!

さっぱりした味付けで、普通のレストランでも大丈夫だろうと思います。


綺麗さっぱりいただいてからお参りです。

雪がかなり降ってきました。


丹生大師は弘法大師空海を本尊とする由緒のあるお寺だ。

Wikipediaで情報を調べてみると短い紹介があったので引用します。

神宮寺(じんぐうじ)は、三重県多気郡多気町にある真言宗山階派の寺院。

山号は丹生山。

丹生山神宮寺成就院と号する。

通称丹生大師。丹生神社の神宮寺である。

高野山が女人禁制だったのに対し、女性も参詣ができたので「女人高野」とも呼ばれる。

通称の丹生大師とは空海(弘法大師)のことである。

伝承によれば、この寺は宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願により勤操によって開創されたという。

勤操大徳は空海の兄弟子とされている僧である。

伝説によると弘仁元年(810年)唐から帰国した空海は、諸国を巡拝し真言密教を広める聖地を丹生にすると決めた。

ところが唐の国から投げた三鈷(さんこ)が高野山で発見されたため、高野山が真言宗の拠点となったという。

空海が三鈷を力強く投げすぎたため、最初丹生に飛来したが跳ね返って高野山に届いたと伝えられている。

(Wikipedia『神宮寺(三重県多気町)』より引用)


『シャンバラな日々』のブログ記事でも紹介されています。

こちらの記事の最下段に弘法大師像の写真が掲載されていますが、千鶴さんの祖父の千代市さんが寄進したものです。


お寺の仁王像を見て、中へ入ります。

池には氷が薄く張り、鯉が寒さで動いていないのを見ました。

閻魔大王が祀られているのでお参りをします。

お母さんが息子の百日咳がこちらで治ったと言っていました。

あと、木札に名前を書いて祈願するものがあったのでやる。

その後、順番にお参りしていきました。

四国八十八箇所の仏像がすべて置かれているとお父さんが言っています。


お父さんは、知人の方が見えたようで挨拶を交わしていました。

『ふれあい館』の会長さんだと聞きました。


弘法大師が池に顔を写した場所というのが祀られていて、お父さんに聞いて一緒にお参りをする。


その後、帰宅すると近所の方が犬の散歩をしていて新年の挨拶をしていました。

僕も紹介していただきます。

なんか人との壁が薄い感じがします。

地域の人たちが仲が良いし、会話もすぐに始まります。

お父さんの人徳もあるのかもしれません。

そういえば、先日も福島から遊びに来てくれた方もいると言っていました。


その後、しばらくお茶をいただきながらお話しをします。

13時半くらいに、僕は明日用事があるので帰宅する。

色々なものをいただいてから千鶴さんとしばしのお別れであります。

美味しい食事や気持ちいいお風呂をありがとうございます!

かなりリフレッシュしました。


僕はどこにも寄らずに家へ帰り、千鶴さんに無事着いたことを電話で報告する。

マックスバリューへ買い物に行っているようだ。

間違いなく彼女の趣味のひとつに買い物が入っていると確信する。


その後でブログを更新しています。



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