麻乃はいつも 風のように走った

引退した競走馬を引き取りました。


脚を壊した麻乃は
もう二度と走れません

はる君のSTORY

2021-02-12 12:43:00 | 馬達
 
 



生きていれば今日は
「はるかぜ」の12歳の誕生日なので
皆さんに元競走馬「はるかぜ」の生涯を
知って頂きたくはる君の事を書きますね。
(全てはるママのご了承を受けております。)
 
はる君は2009年2月12日
競走馬の産地北海道の日高で産まれました。
 
父: ジャングルポケット
母: ビワハルカゼ(母父サンデーサイレンス)
 
と言ういわゆる良血馬と言われる生まれで
将来を期待され競走馬になる訓練をしました。
そしていよいよデヴュー!
 


馬名は「トップアトラス
デヴュー戦 11番人気 競争中止
2戦目   12番人気 15着
3戦目   14番人気 13着
4戦目   14番人気 13着
 
成績が振るわなかった、はる君は
早々と見切りをつけられ
地方競馬にも降りず闇競馬へ。
闇競馬と言われるのは
個人が趣味で行う非公式の競馬の事です。
そこで辛い思いをしたのがトラウマとなり、
はる君は噛む、蹴る、暴れると言う
三重苦のお馬になってしまいました。
 
その後運良く乗馬クラブに行けたものの
何せその様な三重苦ですから
危なくてお客さんを乗せられません。
使えなければ出される。
これが「経済動物」と言われる馬の運命です。
そのはる君をはるママが引き取った訳です。
 
ですが。。馬は家では飼えないんですよー。
自分で牧場を開くか、何処かに預けるしか
馬を飼う方法は無いです。
そこではるママは乗馬クラブに
はる君を預けるんですが、何処の乗馬クラブでも
「この馬は噛むし、蹴るし、暴れて危ないから
手放してもっといい馬にした方がいい。」
言われました。
でもはるママはどんなに皆んなにそう言われても
決してはる君を手放なそうとはせず、
噛んだり、蹴ったりされながらもはる君と一緒に
預かってくれる牧場を探し求めて次に行きます。
 
そんな時、ちょうど母の介護の為
あーちゃんを連れて鹿児島に来ていた
私と出会い友達になりました。
 

はる君とあーちゃんのご対面





2人で激走!!
 
この頃はまさかこんなに早く
あーちゃんやはる君とお別れするとは
夢にも思わず、、。
ましてその後にウチらがお空組の為に
ヴァイオリンを始める事になるとは。(笑)
 
この頃、はるママははる君を養う為に
本業以外にもバイトをプラスして働いていました。
お昼はいつも菓子パン一個で済ませていたのを
私も同じ様な状況だったので笑い合いました。
 
はるママも私も馬を飼ってると人に分かると
「わぁ!馬主さんなんだ!お金持ちなんだね。」
って良く言われますが、それ、もの凄い誤解です!
財産と言えるモノが何一つ無い
ウチらがお金持ちであろうはずがなく
(逆にお金持ちはいらん馬を引き取ったりしません。




 
だから馬を飼うなんて誰でも出来ますよ。
現にお金が無いウチらが出来てるんですから。


馬に限らずどんな動物でもそうですが、
生き物と言うのは生きてるだけで
お金が掛かります。
誤解を恐れずに言えば
馬って言うのは簡単に死んでしまいます。
午前中何でもなかったのに
午後急に具合が悪くなって亡くなった。
なんて例を私は幾つも見て来ました。
馬は長患いはしません。出来ないんです。
老齢で病気になればむしろワンニャンの方が
お金の面で言えば掛かる気もします。
 
要は馬を飼うのに必要なモノは
覚悟だけです。
この子の為に腹をくくれるかそれだけです。
 
でもそれって馬に限らず
ワンでもニャンでもうさぎ、鳥、亀、魚でも
皆さんそう言う気持ちじゃないでしょうか?
同じですよね!
 
ちゅー訳でいよいよはるママのデヴュー作。
「はる君に捧げるキラキラ星」です。
 
(私のヴァイオリンデヴューより遥かに上手です♪)