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きょうも まっしろな あさ

 バレエ、フォト、暮らし、旅、ときどき シゴト

母からのひと粒

2012年08月27日 | こどもの情景



最近、ひんぱんに通う実家。
実家に行くと
「ありがとう」より「忙しいのに、遠いのにごめんね」って言われるのがツライ。
とにかく母の年代は
ヒトに何かをしてもらうことが「とっても申し訳ないこと」みたい。
もっとずうずうしくなってよ、と思うけど
性格だから・・。



結婚したばかりのころ、父に「伊勢で買ってもらった」という黒真珠のリング。

こどものころ、この指輪をした母の手が好きでした。
グレーではなくて、すんだブルーの真珠と
控えめなデザインが、白い肌によく似合っていて。

「これはいつかワタシにちょうだいね」
と母にお願いしたのは高校生か大学生のとき?
「なんだか地味好みね~」と笑われていました。
たしかにピチピチした若い手にはまったく似合わず。 

きのう母にお願いしてゆずってもらいました。

「いろいろな記憶がなくなっちゃうまえに」と切ないひとこと付きでした。

いちおう父に「ゆずっていい?」と聞くなんて
なんという古風な女(笑)。

年齢を重ねた、今のワタシの手なら、似合うと思います。 



心を浄化してくれる、すんだブルー
この「ひと粒」は、小さいころからの母とワタシの時間を
思い出させてくれます。

この「ひと粒」は
着飾るためではなく、じぶんの心を見つめるもの。
いつまでも大切にするね。


 

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おせんべいの焼ける風景

2012年07月28日 | こどもの情景



隅田川のそば、江東区高橋
下町の小さな街「高橋(たかばし)」に
昭和の漫画家、田河水泡さんの「のらくろ」館があります。

この近くにワタシの母方の親戚がいて
「深川いろは煎餅」という、小さなおせんべいやさんを営んでいます。
名物は「のらくろせんべい」
手焼きなのでカタチはいびつ、なかなか愛らしい姿です。



小さいころ、妹が生まれるとき、この親戚の家で夏を過ごしました。
お店の奥はおせんべい工場。板張りで天井は高く
中はものすごい熱気。
大きな暖炉のような炉が2、3台あり
叔父さんは、火の前で毎日、汗だくになって働いていました。

あぐらを組んだ台のうえ、大きな網に煎餅を一枚一枚のせ、お醤油をぬり炉のなかへ
また裏返してお醤油をぬり、なかへ、
それを何度も繰り返して、やっと27枚ほどのおせんべいができあがります。
これが手焼きせん。

それを冷やして乾かし、選別してつめるのは叔母さんやお嫁さんの仕事。
工場には、おせんべいがはいった一斗缶がいつくも積まれ
店頭の丸いガラスケースへと運ばれていきます。

コドモは手伝わせてもらえないのですが
そのプロセスが楽しくて、首の後ろにあせもを作りながら
叔父さんの焼く姿を、あきずにじっと眺めていました。



ここ5年のあいだに、叔父さん(母の兄)、息子さんが他界し男手がへって
今は、福島から来たお嫁さんの都さん
ひとりでお店を切り盛りしています。
とても働き者の都さんと
叔母さんも高齢ながら昨年まで手焼きせんべいを焼いていました。



東京スカイツリーでにわかに注目されはじめた下町エリア
雑誌やブログでとりあげられるようになっています。
それでも作り手は高齢化し、今回おせんべいをお願いしたら

「手焼きは重労働で年々きびしくなってきました。
残り少ない義母の手焼きのおせんべい食べてね」
という手紙がはいっていました。

なにかワタシもしたい。
ひとまずは盛夏の贈りものや
次回のmarble* cafe用に、おせんべいを沢山注文して
ブログで紹介させていただきます。



最寄り駅は清澄白河と森下。
清澄庭園や現代美術館にいらっしゃったら
少し足を伸ばして、お立ち寄りいただけたら嬉しいです。
通信販売もおこなっています♪

深川いろは煎餅 → (営業時間・地図・クーポンなど)

 

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休暇#3 - プチン!

2012年04月30日 | こどもの情景



(きょうの日記は等身大。ちょっと激しいですよ)


朝5時にスッキリとめざめて
庭の手入れや床の水ぶきなどをする。
家をキレイにするってシゴトとちがう達成感があるなぁ(笑)

次々に咲くオールドローズ
おとなりさんにも分けました。





しかし、きょうは頭がいたーくなった
原因はひとつしかない、不良老人の父の言動。

目と心臓の心の病で、ずっと閉じこもりきりの母の夢は「泳ぐこと」
1.5年前までは毎日プールに通い800mぐらい泳いでいたのだもの。

きょうは母を区民プールに連れていく予定でした。
自宅を出るとき「今から出るよ」というメールに
父から「はーい、待ってます」
ところが実家に着くと、母が寝込んでいた
食欲も落ち、むくみも出て、弱っている
「プールの支度をしたのに、、わざわざ来てくれたのに
ごめんね」と弱々しい声。

なぜなぜなぜ?

何度も父とメールでやりとりしているではないか
母が変調をきたしたときは連絡するように話していたではないか

ワタシの心は???でいっぱいになってしまった。

心のなかで怒りがこみあげつつあったところへ、父のひとこと
「いいじゃない、どうせ来るんだから、様子は」
「ところでお昼、食べた?何食べにいく?」
(このあと、どうでもいい政治経済の話が続く・・)

プチン!(堪忍袋の緒が切れる)

あとはご想像どおりです。



逃げるように外出してしまった父。 
母の話をゆっくり聴きながら、足のマッサージ
すこし良くなってきたので、散歩に出かける。
新しいお薬のせいなのか、心臓病の再発か・・ワタシの頭はグルグル
明日は病院に電話しよう。

 * 

今、その父から電話があり
「ごめん、でもお父さんはいつも◯◯のこと考えている」
と言っている。いつも主語は自分だ。
(ワタシの怒りはまだおさまっていないよ(明日にはおさまる予定だったけど))

「お父さんはいつも自分のことしか考えていないよ
ついでに、ヒトをイライラさせる天才だ!」と言ったら
「うん、わかってる。でも、これからもよろしくね」と笑っているので
「さあ」と言って電話を置く。

ワタシの実家通いは、一事が万事こんな様子
「トホホ」な一日だったけど
母と、となりのあんみつやさんに行ったり
近所の散歩をできたこと
マッサージで少しむくみがとれて笑顔になったこと
それだけは嬉しかった。



さて・・・心を落ち着けて 5月の小さな決意

・母の心のケア
・バレエ再開
・日焼け注意
・みずみずしい心とカラダ 

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主(アルジ)

2012年04月15日 | こどもの情景



朝一番で父に電話

母の様子をひとしきり聞いたあと
最近のシゴトのことを弱音まじりに話したら、ひとこと
「ボクが死んだあとも、君たちが安心して暮らせるように考えてるからね」
と。

定収入のサラリーマンではなく
若いときから、ずっと奔放に生きている自由人
「ふつうのお父さん」でない父。

小学校の水泳部の練習を、平日応援に来るのがたまらなかった。
「なんでお父さん会社行かないの?」と周囲に言われるし(笑)。
おまけにダラダラ泳いでいると、プールサイドに降りて来て
ワタシをみんなの前で叩いて叱る
一同唖然。。。すご~く嫌だった。

けれど
そういえば家族が「食べるのに困る」ということはなかったし
留学もサポートしてくれ
今は、働く姉妹を応援してくれている。

テレビで「ワイルドだろう~?」のスギちゃんを見て、受けながら
ワイルド事件が耐えなかった父を思いだす(笑)。
超・不良老人ではあるけれど
やっぱり、いつも家族にとっての「主」なのだなーと思う。



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失敗はたいせつ

2011年12月16日 | こどもの情景


(珈琲缶、紅茶缶)


カテゴリーに「こどもの情景」を追加しました
失敗の多いこどもでした
そのせいなのか、小さいころのことを強烈に
おぼえていて(皆そうかと思ったらそうではなく)
物語のように、胸のなかにしまってあります。

回顧録や自慢話ではなく、単純に
心が折れたり、ときめいた、出来事を
ときどき自分のために
書いてみようかなと思いました。




あれは小学校のころ
夏休みの宿題を
8月31日にすべてやったことがあります
グズで怠け者だったんですね

朝から、エプロンをつくり絵日記を40日分書き
読書感想文、そして写生
ものすごい集中力でやりとげました。

全部終わって夜7時「ごはんよ」という母の言葉に
居間に行って、喉の乾きに
りんごジュースをひと口飲んだそのとき
頭がクラクラして気を失って倒れ、そのまま救急車で病院へ

点滴などで意識をとりもどし
「どうした?」と話しかけるドクターに
「宿題をきょう一日でやったの」と答え
プッと笑われてしまった

下町の狭い路地に救急車が来て、大騒ぎ
母はのちのち「理由をきかれとても恥ずかしかった」そう
「宿題をやりすぎて救急車に乗ったこども」事件



そのときを境に、計画をたてるようになりました
テストのときも宿題も、カレンダーを手書きで準備
◯曜日に◯◯をする、と書く
最後の最後で焦らないように、という恐怖心から

そうしているうち
ノオトを開いて準備や予定を書きだすことや、計画することが
だんだん好きになりました
あるときは試験勉強の予定表をキレイにつくったところで
安心してしまったり(勉強やらず)
大人になってもそんなかんじで
PCに打ち込むのではなくて、紙に手書きです

小学生のときの大失敗が
今の自分のとっても大切な部分を作っているのはおもしろい

ものごとの結果よりも
ときには過程が楽しく、また大切であったりします



12月や1月は、一年をふりかえったり
来る一年の計画をたてるとき
時間をとって、ゆったりと考えたいと思います

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母のことば

2011年04月07日 | こどもの情景

(ひとりごと)

小学校時代は、カラダが小さくドン臭く
目立たないよう息をひそめて(笑)
学校生活を送っていたワタシ。

小学4年生のとき、花の手入れがしたくて飼育栽培部にはいった新学期
なぜか周囲の悪だくみで、金魚の世話をやることになってしまい
ヌルヌルした金魚がつかめなくて
放課後、数名の男子に囲まれて
ひどくいじめられました。


それは今、思い出しても怖い光景で
先生のいない教室で、みんなの前で数名に羽交いじめにされて
無理やり金魚をつかまされたのだけど
抵抗してブレザーのボタンはふっとび
水槽の水で全身びしょびしょ。涙と汗、声はガラガラ。
つまり、とんでもない格好で家に帰っていきました。
助けて!と言っても、笑ってみている人たち
小さく繊細な心には、絶望してあまりある事件でした。
あ~、こどもって残酷ですね。

母は、ワタシを見て一瞬驚いたけど、
ワタシがつらつらと学校でおこったことを泣きながら話して
てっきり同情して学校に怒鳴り込んでくれると思っていたら、
深呼吸をして、静かに、

「あのね、大人になるまでに、これから
もっともっと辛いことがあるよ。
それにね、誰でもひとつは弱いところ、苦手なことがある。
今のあなたは、たまたま、それが金魚なだけ。
そんなことで学校に行くのをやめてはだめ」
と言いました。

そして、
「人はそれぞれ、弱いところを与えられているよ。
お母さんにも、先生にも、弱いところがあるの。
それは人の弱さをわかってあげるためだよ。
だから、これから人の弱さに出会ったら、
『なんでこの人、こんなことができないの?』といじめたりせずに
助けてあげることが大事。
なんでもできちゃうと、人が辛いのがわからない。
辛いことから学ばなければね」
と(いうようなことを)言いました。

その言葉が心に響き、
なんだか勇気づけられたワタシは
翌日、何事もなかったように、元気に学校に行くことができました。

その後も、カラダが小さいことで
イジメられたこともあったけど、
そのたびに、母の言葉を思い出していました。



時は流れました。
最近、母はいろいろ弱いところがでてきて、
カラダも心も弱っています。
きのうも、電話口で涙声だったっけな。
母の弱音をうんうん、と聴きながら、
小学生の自分を、思い出していました。

母の涙声を聴くのは、すこし辛い。
でも、今後はワタシの番なのですよね。

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