ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

嫋嫋と骨となりてもさよりかな

2009年04月05日 | Weblog
「GARI」
また二人で行く。田酒のカラフェだけにして、鮨を十ばかり食べて帰る。私はお腹一杯、一つ分食べすぎたくらいだが、板さんは、「物足りないくらいで止めといたほうがまたすぐ来たくなりますからね」と言う。お腹一杯でもまたすぐ来たくなる。なかなか飽きない。日本酒と鮨以上に美味しいものがこの世にあるとは思えない。ようやくその心境に至る。欧介はNYに来た頃からそう言っていた。去年まで私はフレンチのサラダとスープが一番美味しいと思っていた。食を書いた作家で一人あげるなら岡本かのこ。「鮨」の冒頭の町の描写に脱帽。「食魔」のアンディーブ・サラダ。口惜しいけれど、おいしいわよ、という名台詞。この二作を読んでない人は人生の楽しみを二つミスしている。青空文庫で両方とも読める。昨夜は、鮨のほかに海老の頭揚げに、蕗の薹味噌胡瓜を添えた皿、さよりの骨も頂いた。

「Vivaldi Concerto in Gminor For Two Cellos and Piano」
土曜PC。ミスターEのマスタークラスに道子デビュー。新アリスタリーホール上の四階の部屋。町子と二人でヴィヴァルディを弾くチャンスをもらった。ミスターEの秘蔵っ子ピアニストのMニーが、「三楽章は難しいわね」と言って、楽譜の上に素早く手を走らせる。町子は自分の得意な三楽章を弾きたがり、道子も自分の得意な一楽章を弾きたいと言い、結局一楽章になる。早いテンポ。一回弾いて、ミスターEの駄目だしを受けてまた弾く。最後にみなが拍手。ブラボー。道子に感想を聞くと、あまりに生徒がふざけてだらだら喋っているので、こんなところで弾くのは嫌だと最初は思ったが、道子たちが弾き始めると、全員顔が変わってシリアスになった。ぼくも小さい頃に弾いたなあ、と男子生徒に言われて悔しかった、ということである。私がロビーで待っているとき、NYフィルのチェロのWU君が入って来て、ピアニストのMニーが帰るところにすれ違って、二人が立ち止まって談笑するのを見た。その後ろを、娘さんを迎えに来たNYPのバイオリニストHYHさんが通って行った。

朝市の風に吹かるる菫かな

2009年04月05日 | Weblog

「神様」
故郷の母から、お茶のことで電話。うきうきしながら悲しい声を母が出す。あれをして、これをして、とプランを話しながら、「最後の日は空港へ送りに行くから」と、すでに喉を詰まらせている。道子は日本旅行のことを考えると「おなかがくすぐられる」感じになるという。町子も今朝、「あと五日」と片手を出して見せて、その手を振ってPCへ登校した。私は朝市でマフィンを買う。欧介は今日も休日出勤。木曜に日本に一緒に帰れるかどうか見通しがまだ立たない。今猿嘆徒は好景気や大不況という波の激しい時期にお呼びがかかる。景気がよくも悪くもないときは暇になる。今欧介はめちゃ忙しい。みなで帰って一緒に温泉や釣りをしたいので、早く仕事が済むよう神仏に祈る。それで思い出したが、おととい、神様の夢を見た。私はクリスチャンでもないし、子供の頃はまじに地獄を恐れて嘘をつくたびにべろを抜かれることを心配していたが、今は仏教徒でもないし、何の信心もしていないのだが、困ったとき神仏を頼む癖がついている。拝むのは大慈大悲観音菩薩様と決めている。女身仏に春剥落のつづきをり 細身綾子、の伎芸天みたいな観音さまで顔は真実先生みたいなきれいな仏をイメージしている。神のほうは車椅子に乗った黒人である。それはフォークナーやスタインベックの小説からきた黒人のイメージで顔は指揮者のデプリースト。先日の夢の中で、神はコロンバスアヴェニューを郵便局のほうへ向かって電動車椅子で疾走していた。それは欧介が実際に見た光景が元になっている。以前に欧介はリンカーンセンターの近所で電動車椅子の白髪の老人が全速力で走って来るのを見たそうだ。段差のところで車椅子は斜めに傾いて倒れそうになった。しかし、車椅子はマウンテンバイクみたいにがむしゃらに体勢を立て直し、何事もなかったように走り過ぎた。はっとして顔を見たらパールマンだったそうだ。だから夢の神様は車椅子の眼鏡をかけた白人にチェンジしていた。神は車椅子に内蔵された光の出るオルガンを弾いてご満悦であったが、走るほうに気を取られて、演奏はたいしたことなかった。

「池面マクロエコノミスト」
エイプリルフールのときに書いた学者はマンキューだった。キューマンじゃなかった。インディ・ジョーンズのハリソン・フォードにちょっと似てる。