ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

黒猫の眉毛の白き秋灯下

2008年09月30日 | Weblog
紀伊国屋で「おつまみ横丁」という料理本を買う。早速モツァレラチーズの味噌漬け、生姜ご飯を試す。どちらもやみつきになる味。レシピの文章が短くて、ほとんどが一、二、三、の工程でできる。基本の「だし汁」みたいなのを作らされなくてすむのがよい。

宮部みゆきさんの「我らが隣人の犯罪」、井上荒野さんの「切羽へ」を読む。
一人称小説で「私」が方言を喋るとき、地の文も独白も標準語というのに違和感を感じる。時代小説でも、語り手は現代標準語なのに会話だけ江戸弁や侍言葉なのは気になる。

ドストエフスキー、トーマスマン、フォークナー、スタインベック、ヘミングウェイ、私の好きな作家はみな語り部。翻訳でなお声を感じるということはすごい。

筒井康隆、町田康のお二人は図抜けてよき声を持つ。倉橋由美子さんの声は生きているうちから幽霊の声。尾崎放哉には瑞々しき声あり。

今ミスターEから電話あり。木曜レッスンをキャンセル、急だけど明日レッスンしてもいいかい、とおっしゃる。キャンセルの理由がすごい。木曜はオバマのためのコンサートで演奏されるのだそうだ。

道子の新曲はコル・ニドレイというジューイッシュソング。
町子はフォーレのエレジー。

義父より夫に電話。お正月以来。金融事情を憂えて。 

霧晴れて観光バスの止まりたる

2008年09月29日 | Weblog

「朝寝坊、外国人弁論大会、その他」
芥川賞の候補作「婚礼、葬礼、その他」について、石原慎太郎が、「題名に『その他』とつける神経はいかなることか」と言っていた。しかし題名に興味を引かれて買う読者がいる以上、編集者がそれを狙った題名を好む以上、われわれ作家の卵も題名をおろそかには(正統派の題をつけて澄ましていることは)できないのである。「時の滲む朝」と「婚礼、葬礼、その他」と書店に並んでいたら、私なら「その他」を買う。「時の滲む朝」の古臭さ、月並さ、を批判しないのは逆差別だと思う。

今朝枕元に、カラヴァッジョの絵の中に入ってしまったような濃厚な肉とワインの香が漂ってきた。欧介が昨日のローストビーフの残りをシラズで煮ているのであった。食べるとライオンになったような気がしたそうである。嫌になって残りは捨ててしまったらしく、私は味を見なかった。
ピーナツバターと林檎のサンドイッチを食べながら、TVジャパンで外国人の日本語スピーチ大会を見る。どこかの村の町長さんに感心。しかし「村おこし」というのは難しいものだ。

カナダからの観光バスがチャイナFNの前に止まっていた。徹夜で走ってきて、ここからダコタやストロベリーフィールズを見に行って、チャイナFNで肉粥でもたべているのであろうか。

昼から二人のチェロ。ELA(英語)特訓。今日は欧介も道子も全問正解。毎日試験問題を一問ずつ解いていくことにする。Specialized HS Examは10/25.26。


塔の先灯りて霧の濃かりけり

2008年09月28日 | Weblog
町子のために欧介がローストビーフを焼く。ちらっと見えているのはピーナツバターとバナナ。道子がこのサンドイッチにはまっている。

Jアードカフェの窓から見たLGハイスクール。ちょうど道をはさんで向かいにある。今は近くて遠いところだが、来年はあっちの窓からこっちを見ているかも、と思う。

ポールホール前のロビーの完成につき、65丁目側の玄関がオープンになり、66丁目のほうがクロ-ズになる。今までよりちょっと遠くなったが、新ロビーはかっこいい。きっとあのロビーの階段でコーラスかブラスか披露するであろう。PTAがラウンジでスナックも売っている。プリカレッジの住所録を一ドルで買う。6グレードから12グレードまで、294人中、6グレードは10人だけ。(ピアノ5、バイオリン2、チェロ2、フルート1)その中の一人は住所がリンカーンプラザと書いてある。6グレードで一人でJアードの寮で暮らしているのだ。眉毛のお兄ちゃんのSNは12グレードであった。来年もう卒業とは寂しい。ポールホールのリサイタルを絶対見に行こう。
今日チェロクラスをのぞいたら、町子はSNと同じプルに座って、笑顔で弾いていた。終わってから「楽しかった?」と聞くと、「前回は地獄のどん底。今回はそこから一歩這い上がっただけだよ」という。「デビューはどうだった?」と聞くと、「先生が忘れてしまっていたよ」と言う。それでちゃっかり弾かなかった町子も町子だが、先生も先生。EMF先生の唯一の欠点は、前回言ったことを次回まで覚えていられないこと。フィンガーを自分で書きこんでおいて、「この指はなかなかいい」と自画自賛する。九月のスケジュールノートのウィークリーの欄に九月の予定を書き込んで、次に九月のデイリーのページに十月の予定を書き込んでしまって、もうぐしゃぐしゃになっている。こっちからリマインドしなけりゃだめ。EMF先生がお元気で、あと三年はボケないでいてくれるよう皆様にお祈りする。

 オバマとマケインのテレビ対決を見るのを忘れた。ニュースで話だけ聞く。オバマはカメラ目線では政策を貶したりできるけど、面と向かってマケインをやっつけることができなかったらしい。オバマに対する漠然とした不安は、このエピソードに象徴されるような気がする。

リンデンの昨日の写真があまりにエロなので、「こんなの載せちゃっていいの」と欧介が喜ぶ。まあ猫は通常舐めるのが仕事だから、とは思う。それにしてもリンデンは太閤秀吉みたいな顔になっている。TEAはお茶々か。

欧介のドラゴン桜シリーズELA編がスタートする。模試を二冊同じ本を買い、道子と同じ試験問題にヨーイドンでチャレンジ。答え合わせしたら、一勝一敗一引き分けであった。二人三脚でがんばれ。


予防接種を受けに行く秋の雨

2008年09月27日 | Weblog
 「木曜チェロ」
雨になるかと怖れていたが、最後まで降らなかった。チェロ二台持って、傘さして6ブロック行くのは結構ハード。タクシーは近すぎて嫌がられる。(そういう時は黒人の運ちゃんに限る。彼等は楽器を持った人間が好きだ)
道子は最初EMF先生を好きではなかった。たぶん自分を不合格にした恨みがあったと思う。しかしボウハンドがよくなると、音もよくなる。自分をよくしてくれる人を好きにならずにはいられない。これで来年、道子もEMF組に入れたら最高だ。EMF先生はチェロも学生も大好きなかたであった。土曜六時のチェロクラスが生きがいといっても過言ではない。単にEMF先生を囲んでクラスの親睦かと思っていたら、そうでなかった。そこでミニコンサートが開かれることがわかった。感激している。さすがチェロマニア(EMF先生の夏の講座名)である。今度の土曜に、そのチェロクラスのみんなの前で、バッハの三番アラマンデを「弾いてみる?」と町子が誘われた。デビューである。すごくナーバスだが、エキサイトもしている。これで、あの眉毛のお兄ちゃん達の仲間に入れてもらえる。しかも、昨日のレッスンではビバルディも聞いてくださり、「そのうちデュオもクラスで弾かせてあげようね」と言ってくださった。道子もあそこで弾けるのだ。なんというチャンス。

「TEA里帰り」
猫病院へTEAを連れて行く。たまたまお母さん猫も手術で帰ってるらしいが、親子の対面はなし。へたに会わないほうがいい。だってTEAをキャリーに入れて家を出るとき、リンデンもメープルも寄ってきて、メープルなどは私の腕に手をかけて、何すんの? どこつれてくの? みたいに見るし、鳴くし、リンデンはうろうろするし、本当に大切な家族と別れるような騒ぎだったのだ。いまさら生みの親でもないし。母猫は、授乳の苦労が終わってせいせいするわ、すぐ次の発情が始まるわで、寂しがるどころじゃなかったらしい。院長先生はおられず、女性ドクターとHロミさんがTEAの成長ぶりにびっくりする。リンデンとメープルがTEAをすぐに受け入れた話を日本語ですると、Hロミさんが大声で病院中に、「彼らは大成功だって! もうすっかり仲間仲間」と報告しておられた。女性ドクターはTEAが注射器を怖がらず、匂いを嗅いだり、ころがしておもちゃにしたりするのを見て、「そうそう、この子最初からこうだった。すごい好奇心。私を覚えてる? あなたに最初に注射したのが私よ」と話しかけて、再会を喜んでおられた。どこもかも健康。順調な発育。注射の間、TEAはきょとんとしていた。


「合コン、ていうか」
欧介がフゾクのNY会へ行って来た。前回初めて参加して思いのほか楽しかったので、また行くことにしたのである。今回女性はいなかったが、ある先輩とまたまた意気投合、二次会まで行って十二時まわってから帰ってきた(らしい)。結局そのかたと欧介は、小・中・高・大・院まで全部同じ学校だとわかった。気が合うはずだ。EMBAまで同じとはびっくり。
”フゾクの卒業生は個性があります” By新島先生。


ぬつと手の出て菊鉢引き入るゝ

2008年09月26日 | Weblog

道子、LG高校チェロ科に願書を出す。スペシャライズドハイスクールテストの受験者リストにも記名。いよいよだ。

ブロンフマンのNYタイムズ評はよくなかったらしい。しかし、実際は斬新な演奏であった。書評ばかりあてにしていると、名演を聞き逃すことになる。自分の耳を鍛えよ。信じよ。

道子のマスのホームワークを手伝う。まず自分で二三問やらせて完全に理解したところで、残りの問題は私がやる。計算問題はテスト時間を短縮する効用があるので自分でやるに越したことはないが、理解さえしておれば何とかなるであろう。忙しい身なのでしかたない。しかし道子に教えてもらっても理解できず、「もういい、自分でやる」と役立たずみたいに言われてしまうこともある。昨夜は幸い計算機が使えたのだが、とにかく眠くて時間がかかる。頭がぼやけて、電卓を押し間違えてばかり、うんざりしているところへ、欧介が、「ぼくもう寝るけど、ヘルプいる?」と道子に聞いた。「いる!」と私。「いらない」と道子。これにまず腹が立つ。人にやらしといて、いらないってどういうこと? しかし道子と言い争うと長くなる。一晩がかりで議論、どこまでも平行線、ああいやこういう、結論はなし、それから朝まで宿題、それは避けたい。早く寝たい。というか布団の中で早く半七捕り物帳読みたい。しばしの間の後、「じゃ、おやすみ」と寝に行こうとする夫の背にもむかっ腹が立ち、「おやすみ」とも返さず、ぐんぐんに電卓を押していると、階段をまた下りてきた夫が、「やっぱ手伝ったろか?」と聞いてくれた。電卓も使わず、三分もかからず全問解いてくれた。ええ奴っちゃなあ。

今夜は合コンだから、と欧介は身なりを気にしていたが、結局普段着でジャケツもなしに行ったようだ。天気予報に気を取られ、私は聞き流していたが、せっかくいいネクタイをこのまえ買ったので、あれを出してあげたらよかった、と後で思う。それはまあいいのだが、最近尾崎放哉を読んでいるので、頭の中のつぶやきが放哉調になってしまうのが困る。うまくないのばかりが浮かんで止まらない。

午後からの雨気に病むネクタイも出さず 

 昼寝のメープルを起こしTEA澄ましてゐる

怒る顔を見てゐる

あきらめて寝るものに添ふ

 


窓拭のこれより上る秋の雲

2008年09月24日 | Weblog

我が家の今シーズン初のNYPは、ラフマニノフ・ピアノコンチェルト三番。むしろ今夜のほうがオープニングナイトにふさわしい演目に思える。道子もこれだけは文句言わずに一緒に出る。ブロンフマンはピアノもうまく人柄もよいので、NYでも絶大の人気。チケットをピックアップするラインがかつてないほど長い。ようやく窓口にたどりついたところで、昔の同僚MGさんと会っていた欧介がやってくる。いつもより後ろの席だが、取れただけでも幸運だ。最初の曲は現代曲。作曲者が挨拶に出たが拍手はまばら。二曲目、ブロンフマンが登場するとみな喜ぶ。「冒頭をどう弾くか、楽しみだね」と欧介。ホロヴィッツはこの冒頭を華麗に歌う。アクセントを利かせて歌う音の一つ一つに、はっとする。心をゆすぶられる。これが歌だ。生演奏でもないのに涙が滂沱。やっぱホロヴィッツはええなあ。
それはさておき、昨夜のブロンフマンはというと、冒頭から速い。スピード感でぐいぐい引っ張られる。このスピードにしてこの精緻、このなめらかさ。非常にモダンな演奏だ。しかも精緻。あ、もう言ったかこれは。最後の盛り上がりも尋常でない速さで、よくできたCGみたいな完璧な、ださいところの一つもない、頭のよい演奏。これがニューヨーカーのハートをつかむのだなあ。大拍手。総立ちである。
今UTBでブロンフマン(ゲルギエフ)を聞いてみたら遅かった。ホロヴィッツと同じ速さでやっても物足りない。しかし昨夜の速さなら、ホロヴィッツに勝るとも劣らない。全く新しいラフマニノフ三番である。速けりゃいいとは限らないが、この曲はこれくらい早く弾いたほうがむしろ心地よい。歌で泣かせる演奏でなく、メロディ(音)を完璧に聞かせて(泣く暇もなく)感動させる。ブロンフマンとマゼールのコンビでしか聞けない世紀の名演かもしれない。二人が健在のうちに聞けてよかった。

道子のハイスクールナイト、町子のバックトゥースクールナイト終わる。
町子のアドバイザリーのミズBは、ハリーポッターのトレローニ先生に似ている。全校トリップで山歩きしていたとき、もうすぐ山頂というところで便意を抑えきれなくなった町子を連れ、ふもとの便所まで下ってくれた先生である。「ミズBは地味だけどいい先生だよ。好きだよ」。しかも六年になって、アドバイザリーで発言力が増してハッピーだという。五年のときは何を言っても聞いてもらえなかったが、今年は七年生も八年生も対等に扱ってくれる。「ようやく仲間に入れたって気がする」と町子。

MGさんと夫がバーブールで食事したときのこと。(NYPに行く前で)時間がないのでメインとデザートだけにしましょう、とそういったらしい。そう言える間柄である。たまたま「親子」という話題になったとき、MGさんが、「どの家庭にも対立がありますよね。私と親との間にも対立があります」と言うので、どういった対立ですか? と聞いてみたら、「戦争のこととかね」とおっしゃる。好戦派のお父さんと平和派のMGさんの間には深い溝があるそうだ。最近ではお父さんが議論をふっかけてこられても、鬱陶しくて取り合わないという。「でもその対立って、卵の黄身と白身どっちが好きか程度の対立じゃないですか?」「そういやあそうですね」で笑って、話は終わったそうだ。この話のおかしさはちょっと説明不能だが、やっぱおかしい。

 

 


往来に鳩の死にゆく秋祭

2008年09月23日 | Weblog

今朝、出がけに、「もうクロックスの季節じゃないでしょ。スニーカーはきなさい」と、町子の足を見ると、浮浪者のように真っ黒で、爪も伸びほうだい。一日中つっかけばきで、学校の前の道を走り回って遊び、そのまま風呂に入らずに寝てしまうとこうなる。しかたないので爪を切ってやる。それで時間をくった。いつもは三人で出て、途中で別れ、欧介は会社、私は買物、町子は学校へ行くのだが、今朝は二人を先に行かせる。洗濯をしかけてから走って追いかける。追いつきそうになると、なぜか二人は往来に立ち止まり、私が走ってくるのを見物している。ふっと下を見ると鳩が座っている。危うく踏むところであった。ひゃっ、と飛びあがった私を見て、二人は満足げであった。買い物帰り、その鳩に近寄って見る。羽がかすかにそよいでいる。目を閉じて蹲り、今死んだばかりのように見える。足を潰されたか何かで飛べなくなり、動くこともできなくなり、死に至ったらしい。ストリートフェスティバルのとき、浮かれて残飯をあさってて、うっかり車にひかれたのかもしれないと思った。雨の中、鳩をつかんで涙をこぼしながら、静かに目を閉じたレプリカントを思いださせる姿である。

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I've watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those  moments will be lost in time  like  tears in rain".


身にしみて猫にそつぽを向かれけり

2008年09月23日 | Weblog
通知は9/19、発表は10/15、という確からしい情報が出て、文学界新人賞フェスティバルin2ちゃんも収束を迎えつつある。確からしい情報はなんとなく確からしく見えるから不思議だ。有無を言わせぬ威圧感がある。実は、日本のみなが騒いでいても、こちらには時差もあるし、通知が遅れる可能性もあるかも、と内心祈るような気持ちがあったのだが、19日ではねえ。これは終わったと判断するしかない。これにて最終候補に残る見込みなしと決定。あとは一次通過したかどうかだけ。悲しいなあ。この悲しみをひきずって、今夜はハイスクールナイト(受験説明会)へ赴かねばならぬ。

空しくて死にたくなるが、死なずにいられるのは次回作のアイデアが三つあるから。一つはすでにいいところまで書き進んでいる。もう一つは書きかけ。もう一つはアイデアだけ、というかタイトルのアイデアだけ。皿回しになった気分で、あっちを回したり、こっちを立て直したり、そっちを揺すってみたり、ともかく本になるまでは、あるいは死ぬまでは、あきらめずにどしどし書こう。




身にしむや道の向かうに友のかほ

2008年09月22日 | Weblog

手のひらより大きくなったTEA。三週間前はまだてのひらに乗っていた。

今日の午前(日本の今夜)中に電話がなければ今期(また)受賞を逃したことが確定する。心身ともに重く、もの悲しい。買い物して戻ると、留守電は0件。電話を待っていない奴なんて、とアウトになり次の人にコールされた? などと楽観的なのか悲観的なのかわからん方向へ考えが走り、鶏肉野菜を冷蔵庫へしまう暇も惜しんで、2ちゃんの文学界新人賞板を見る。と、励まされる。世界中から同じ希望、同じ落胆、同じ無念が、こうしていとも簡単に集う。百年前にはSFの話だったと思うが、2ちゃんってつくづくすごい発明だと思う。板の住人はさすがに文章がうまい。無駄がなくて骨太で、こんな人たちが骨身を削って書いた作品なのだ。そらレベルが高いのだ。でも私の応募作も相当よかったんだがなあ。今読み返しても赤面もしない、腰も砕けない、間違いも二つしかない。と、これもみな同じ気持ちであろう。日本時間の、今十一時に刻々と近づいている。あと一時間余、掃除しながら待ち、電話がなけりゃ、十月号の掲載を待つ。また次回に向けて書き続ける。ランナーみたいに毎日こつこつと書き続ける。いつか私が候補に残ったら、2ちゃんの作家たちにぜひとも報告したいと思う。

駅前で、犬君を連れたランナーのYMさんにばったり会う。いつ見ても彼女は溌剌としている。負け犬確定の時の迫っている私は、思わず毛だらけのでかい犬君に触れて気を貰う。動物には癒しの力が確かにある。へいぜいは猫のほうがいいが、雪山で遭難とか、地下鉄に閉じ込められたとか、真に気の弱っているときは、犬の方が助けになる。猫にすがっても知らんふりされる。そこがまた猫の魅力なのだが。YMさんと、信号二つ分変わる間に立ち話する。学校のこと、賃貸アパートのこと。2ベッドルームは、この近辺ではもう4500だそう。小さい間取りでも4200だって。どこまでも厳しい世の中である。

TEAがついに二階初登頂。いい気になり、最上段のぐるりの細い通路をひょこひょこ歩いて、リンデンを挑発。そこでじゃれあうと、見ていられない。階段の際で滑ったり、崖っぷちで首だけ出してふんばったりしている。これ以上心配事が増えると堪らないので、見ないことにする。猫なのだから、落ちないだろうよ。落ちても平気だろうよ。とはいえ、アパート猫が窓から鳥に飛びついて墜落死する事故は多いという。吉行理恵さんのエッセイのなかの猫は、ベランダから煙突に飛び込んで、曲がり角に引っかかり、理恵さんのスェーターを垂らしたのにしがみついて上がってきたそうだ。
今朝見ると、TEAは町子のカーテンの中で寝ていた。欧介が抱いて下ろしたが、その後また上がり、今度は自力で降りてきた。

TEAの鼻の穴。片方は赤く、片方は黒い。

洗濯コインを両替して戻ると、留守電の上にリンデンが両手をついている。留守電は0件。もしや、編集部から電話があり、リンデンがボタンを押してそれをイレース。三秒ほど押したら簡単にイレースできるのだ。もしや午前中に一回電話、リンデンがイレース。また今電話、それをイレース、かけてもかけても反応がないので私は候補から外された・・・。なんてなあ。なぜそういう疑惑が起きるかというと、留守電の声(何月何日ゼロ件です)がいつのまにかスパニッシュに切り替えられていたんで、てっきり道子か欧介がやったと思っていたら、誰もやっていなかった。リンデンしかやれるものはいない。メープルやTEAの体重ではボタンが押せない。


秋祭終はりかけたる時佳かり

2008年09月22日 | Weblog

「受験」
JNさんがオーディションについて教えに来てくださる。エレベーターから降りてこられたのが、笑顔の素敵なお嬢さんで、輝きというか才能を感じた。話してみると日本語はうまいし、しとやかで、優しくて、華やか。簡単に世辞を言ってるわけではない。二つ持っている人はいても、三拍子そろうのは稀だ。私の本がいつか売れたら、いつか映画になったら、女優として出てもらいたいと思うような女の子である。ハートがあるし、個性もある。
さっそく、オーディションチケットの貰い方、オーディションスケジュールの見方、オーディションの心得と内容などを、こまごまと教えていただく。試験当日の待ち時間が長いので、楽な服装で、スナックなどを持参する。エッセイは持参するのではなく、その場で書く。エッセイはこのような内容で、曲目はこういうものがふさわしい。高校のHPにのっていない大事なことをアドバイスしていただく。チェロ以外の、音楽テストの程度もわかる。特訓の必要はなさそうだ。「そんなに難しくないから、大丈夫」「いつでも電話してきていいよ」「オーディション当日は私も手伝いでいるかもしれないから、がんばって」と励ましてくださったのが、道子の安心になった。私も安心できた。きてもらって助かった。最後にもう一度お礼を申し上げると、「同じ日本人ですから」とおっしゃった。何のコンプレックスもなくて、母上を尊敬しているから、こんな言葉がすらりと言えるのだと思う。こんなお嬢さんに会えてよかった。

「受験その2」
町子の親友のMKLが教科書をなくしたから、そのページをコピーして送ってと電話してくるが、FXはなし、スキャンできないので送れない。じゃ取りに来るというので、急いで町子の宿題を済ます。お母さんと二人で取りに来たので、ついでに受験情報をもらう。MKLのお兄ちゃんはLG、BKN、STVの三つとも受かったという。「STVは三つの中で一番勉強が難しい」。勉強面でさらに挑戦したいから彼はSTVを選んだけど、LGもいい学校だわよ、と母上。またSTVへの通学は、23トレイン一本で、意外と楽だそうだ。今思ったのだが、MKLのお兄ちゃんも前回面白い芝居をしていたし、JNさんも個性が光ってるし、やはりCTスクール生は素晴らしい。ランクなどAでもDでも関係ない。卒業生を見て、ああいかにもCTスクール生だ、とわかるってことはすごいことなんじゃないの。 他の中学でそういうことはないんじゃないかな。

「お祭り」
コロンバス通りにてストリートフェスティバル。途中でやけにブーブーいうので、下を見たら、マケイン支持のグループが旗を振ってパレードしている。フェスティバルの端まで行って折り返してくると、今度は「オバマ、オバマ」と叫ばれ、野次られている。
MKLのお母さんが居たとき、パレード見た? と聞くと、見た見たという。そこで、不自然に、ぷつっと会話がとぎれる。どっちが好きなのか聞くことも憚られるし、滅多なことは言えないのであった。