ニューヨー句

1ニューヨーカーの1ニューヨーカーによる1ニューヨーカーのための1日1ニューヨー句

鞄より道具はみだす暑さかな

2007年06月30日 | Weblog
タイムワーナーの修理人がインターネットを直しに来る。先週とつぜん繋がらなくなり、日本語用パソコンで打った記事を、道子のポンチョから更新してもらっていたのだ。修理人は入って来るなり、玄関に仁王立ちとなり、「カット!カーット!」と叫んだ。まるで映画監督である。斜視の大男の黒人が大声を出すとけっこう怖い。チェロを弾いていた道子が思わず弾き止めて、眼鏡を鼻の上に押し上げながら、むっとして、「何ですか?」と聞き返す。「あのカットを、早くバスルームへ!」男は叫んで、しっしと手を振った。キャット・アレルギーなのだ。早速リンデンを風呂に閉じ込め、メイプルを二階へ行かせる。修理人は急いで窓を開け、新鮮な風を吸ってから点検に取り掛かる。息を止めていたのかもしれない。部品を数個取り替えると、たちまちネットはつながる。これでまた自分のパソコンでニューヨー句が更新できる。修理人は、そそくさと帰って行く。どうも気の毒なのでチップを五ドルも渡すと、初めて笑顔となった。夫に後で聞くと、それが南部人の発音だそうだ。私はてっきりイギリス生まれかと思った。

葉柳や恩師の旅の供をして

2007年06月29日 | Weblog
◇夫から聞いた話
パートナーの一人であるK女史が、夫の部屋に相談に来た。その分野ではアメリカ一という大会社の担当者の老婆と、今日初めて会ったそうだ。
「あのビッチが。医学博士で、ビジネスを知らないのよ。100人中10人なら10%、10人中5人なら50%でしょ? 5人は10人より少ないのにパーセントが多いのは矛盾してる、なんて言うのよ。馬鹿でしょ?」
「はあはあ」
「データの中から、一ヶ月以内の○○を除け、だなんて言うのよ。ほんとに馬鹿でしょ?」
「はあはあ」
「一年単位で除くか、あるいは除かないか、どちらかしかあり得ないでしょ?」
「はあはあ」
「除かないほうが真実に近いでしょ? ね、あなたがいつも言ってることですよ」
 ここで夫は初めてK女史に向かい合った。
「いや。でもK女史。たとえ間違いでもそれは除いたほうがいいですよ。先方のためにはならないが、たいした障害にもならない。そういう人は、えてして自分の意見が通るか通らないかが、仕事の成否より大事なものですから、ここはひとつ除いてみたらどうですか?」
数時間後に、K女史が勇んでやって来た。
「一ヶ月以内の○○を除いたデータを送ってやったら、婆さん機嫌がよくなって、契約が取れたわ」
アメリカでさえ、大きくなりすぎた会社は官僚的になるものらしい。

紫陽花にヒロシマのこと話しをり

2007年06月28日 | Weblog
いよいよ夏休みが始まる。今朝ミス・タチアナに、八月に教会で原爆の勉強会があるので来ないかと誘われ
る。どっちつかずの返事をして別れる。ミス・タチアナは、大江健三郎みたいなことを優雅な声で言う。

「武士の一分」をDVDで見る。一分の隙もない、退屈させない映画だ。最初のキムタクの食事シーンからして秀逸。飯を食いながら、お毒見役の仕事がつまらないとこぼす。盲目になってからの彼の美しさはどうだろう。(それにしても見れば見るほどキムタクはユンディ・リーに似ている。)
山田洋二監督の型と切れはまさに俳句的である。団扇。小鳥。桃井かをりの暑苦しさ。かよの醜さ。すべてが不易、普遍で心にしみる。「たそがれ清兵衛」ほどではないが、「鬼の爪」よりずっといい。惜しむらくは、キムタクの修行に真田ほどの殺気が欲しかった。三村のほうが相手に恨みがあるぶん純粋な殺気に欠けるという解釈もあるだろうが、しかし三村のほうが死ぬ確立は高いのだから当然死相は現れているべきだ。清兵衛は殺気に満ちて仕度をし、死相を浮かべながら淡々と役目に趣き、終わったときには死相が消えていた。すごい演技である。

White dolphin blew a bubble , the summer had begun

2007年06月27日 | Weblog
九月からセンタースクールへ上がる九名とその家族が一同に介し、顔合わせを兼ねて内輪の卒業式を祝う。四年で卒業する町子たちは、小学校の卒業式に参加できなかったのだ。ハドソンリバーの河原に面したボート・ベイジン・カフェに集まるはずが、当日になって変更になる。新しい店を調べようとしたら、生憎ネットがつながらない。またSH子さんに電話して教えてもらう。八十五丁目のブロードウェイとアムステルダムの間にあるDENSというピッツェリアで、二週間前に開店したばかりで、行きつけのパッツィーズの姉妹店であった。広々と清潔な店内に入ると、ミッドタウンのパッツィーズから七年来の顔なじみの(ローマ彫刻顔の)マネージャーが迎えてくれる。相変わらず顎が割れていて、キケロのようにかっこいい。
センタースクール・ディナーの世話役の一人は、ピノキオの背景を一緒に塗ったJILであり、もう一人は幼いころの親友がジャパニーズだったという(せっせっせーのよいよいよいや、オチャラカホイを今だに覚えて歌う)CLYN。二人ともいい人だ。お兄ちゃんがラグァディア・ハイスクールの演劇科に行っているJKBの親や、音楽史の博士号を持ちジュリアードに勤務しているPTRKの親と話す。そういう親としか話が弾まない。しかし嫌な感じの親子もいない。誰かのお姉さんだという(サラダばかり食べている)素晴らしい美人も来ていた。町子と道子は、ミュージカルに出演した少女二人と子供席に座り、携帯電話とたまごっちで遊ぶ。オリーブとブロッコリーのピザは美味しかったが、パッツィーズには及ばない味。デザートにデカフェインのコーヒーを注文する人が多い。私はいつものごとくエスプレッソを飲む。帰り道すでに「おなかすいた」と言いだし、この界隈では三番手のピザ屋にてピザを食べようと子供が言う。
(Haiku by Machiko)

薔薇の香にきつく結びしリボンかな

2007年06月26日 | Weblog
バレエの発表会も無事に終わる。コーダで客人が出遅れる場面もあったが、私としてはポロネーズの二回のピルエットのうち一回を爪先で立てたのが、(回りすぎて横を向いてしまったが)嬉しかった。悔いは無い。
それより、道子と町子のバッハがよく弾けたので、生涯忘れられないショーとなった。道子はつき指のため、町子はピノキオのため、そして二人ともチェロの発表会のため、バッハを練習したのは、ほんのこの四五日にすぎなかった。私がまたバッドアイデア(発表会の曲をバレエにも弾いちゃったらどう?)を出したが、夫は「いや、無伴奏がいいから」と聞かなかった。プレリュードは特に、集中力の高い演奏であった。止まらないように、弓を落とさないようにという心配が、最初の数音で吹っ飛んだ。客席も同じであったと思う。子供がどんな演奏をするのだろうと見ていたら、しだいにバッハの素晴らしさ、チェロの素晴らしさ(演奏の素晴らしさでなく)に引き込まれていったのではないだろうか。あの場にバッハ的小宇宙が生まれかけていた。それこそがミュージシャンの仕事なのだ。ようやくその入り口に道子が立った、という感慨は大きい。本人にも手ごたえがあったようだ。この数日間、夫と喧嘩しながら練習した箇所を、アドバイスを取り入れながら、完全に自分の曲として弾いていた。この機会を与えてくださったMM先生に心から感謝している。町子のほうは、ホトトギスほども欲しいままにアレマンドを歌った。無伴奏組曲中屈指の名曲を、なんとめでたく弾いたことか。あの町子のバッハによって2007年スクールイヤーのすべての行事が終わったことが祝福されたのである。

鳩の尾の濡れてゐたりし夏至の夜

2007年06月24日 | Weblog
祖父母のNY滞在最後の夜は、祖父母と子供たちだけで「ヘアスプレイ」を見た。四人をニール・サイモン劇場へ送り、夫と二人で部屋にいったん戻ると、ロビーに引越しの荷が並んでいた。
先日、管理人のホゼーが、「お隣のCHPさんが引っ越して、2ベッドルームが空き部屋になるよ。興味ある? 見たい?」と声をかけてくれた。CHPさんの部屋はコロンバス・アヴェニューの北側に向かって大きな窓が開き、公園の森まで見渡せる。まさかお隣がセントラルパークヴューだなんて知らなかった。「お宅にはうってつけだよ。ほら、ここが姉の部屋で、こっちが妹の部屋。二階にもバスルームがあるんだよ」ホゼーは得意になって案内する。家具調度はそっけないほどで、絵は素晴らしい。私の好きな部類の部屋だ。早速夫に問い合わせてもらうと、家賃は今の部屋の二倍であった。何の不思議も無い。
土曜の朝早く、ミルバーンホテルの前で祖父母のリモを見送り、帰ってチェロを弾く。二人ともついにバッハを自分のものにした。なんとか明日の本番に間に合いそうだ。四時半に全員集合というEメールを頂いたのを忘れていて焦る。夫のEメールには入っていなかったのであろう。夫はそういうことは忘れない。着替えて駆けつけると、東京のかたがたもいっしょに円座となり自己紹介をしていた。その後コーダをやり、一度通す。私はびびって、また床でピルエットをしてしまう。リハの後またAYちゃん一家と、79丁目アムステルダムの地中海料理へ。ツナサラダがおいしい。夫はダックが気に入る。AYちゃんのママはレッドスナッパーの蚕豆ソース添えを食べる。蚕豆は夏の季語である。

六月の波の緑に女神立つ

2007年06月22日 | Weblog
校庭へ行くと小さな子供たちが「ピノキオ!」「ピノキオだ!」と口々に、うれしげに町子を指さす。ALYLのお母さんが私の肩をつかみ、「ブロードウェイに子役で売り出そう。わたしマネージャーやるから」と言う。半分くらいマジな顔で。
ピノキオの一回目と二回目の間に、夫の両親は初めて夫のオフィスを訪ねた。やや霞んでいたが、夫の部屋の窓からは小指くらいの自由の女神が見えた。壁には、いつかのお誕生日に町子が描いてあげた「道楽者のなりゆき」の絵が飾られてある。「コロンビアの卒業証書はなぜ飾らないの?」と義母が聞く。棚の上で埃をかぶっていた卒業証書の額縁を夫が下ろして義父に見せる。額縁を抱いた二人の写真を撮ってあげる。「いったい何時になったら日本に帰るの?」という質問が、いつ出るかと冷や冷やしながら、コリアンタウンのWJOにて冷麺を食す。
今朝は、町子のエンドオブザイヤパーティーに三人で出席する。両親は「をぐら山春秋」というおかきの大缶を持っくる。あっという間になくなる。この素敵な缶をわたしがキープしてもいい? と先生が聞きにくる。祖母は、やはり日本から来ていらしたEKちゃんのおばあちゃまと話す。祖父は、町子の書いた「パリ」という詩が気に入る。私の持参した寿司ボールを握って、「これおいしいよ」と祖母のところへも子供たちが言いにきたそうだ。
午後から、道子のチェロのオーディション・ビデオを作成する。受かれば奨学金が出て、ボストンでのサマーフェスティバルにただで参加できるのだ。ほんらいのオーディションは終わっているのだが、エマーソンカルテットのデイヴィッドさんが今からでも受けられるよう特別に計らってくれたのだ。初めて我がアパートを訪れた祖父母は、ソファに座って二人のチェロを聞く。リンデンが孫息子のように祖父の膝に乗る。途中で猫がたんすから飛び下りて画面を横ぎりはしたが、録画は一発で決まった。というか発表会も含めて今までで最高の出来であった。お祝いにアシアッテへ繰り出し、夏のプリフィックスメニューにナパワインで乾杯する。勿論祖父母の奢りだが、我が家の二週間分の生活費が一晩で消えたのであった。

ひとつひとつがきまじめな汗のかほ

2007年06月21日 | Weblog
来た!見た!回った!
カルーセルが大好きな町子にとって、「あなたが最初に好きな馬を選んでいいのよ、ピノキオ」というミスCの言葉は何よりのご褒美であった。舞台中央に置かれたカルーセルの紅白の天蓋。笑っている顔の黒ぶちの白い馬。リボンを巻いた棒を持ってぐるぐる回りながら手を振る町子。ピノキオの公演がすべて終了した瞬間だ。夕方の部は出演者の父兄に祖父母に親戚一同に友人も集まって朝以上の盛り上がりだ。狐役のMYAの父親を皮切りに一斉に客席が総立ちとなる。口髭を描いた黒子たちからカーテンコールが始まる。縦笛合奏団の赤いスカーフ。イタリアンの花模様のスカート。ダンシングパペットがポーズすると、父親たちの歓声と指笛の嵐が起きる。「The best show ever!」と声がかかる。最後まで、町子は小さなお人形であった。気丈な狐が最後に泣いた。最後の最後まで、猫はふざけていた。このキャスティングの妙に、客席は感動したのだ。ミスCの快心の笑みを見たように思った。この同じミュージカルをどんな名優が演じようが、名のある人々が衣装や装置を担当しようがこれほどの舞台はできないだろう。ランランのようなピアニストの人生と、小学校において毎年ミュージカルを教える人生と、どちらが幸福かと問われたら、私はもう答えられなくなった。

青梅や十三年の過ぎ去りぬ

2007年06月20日 | Weblog
東京から昨夜到着した祖父母と、SH子さん、MM先生も来てくださって、みなでオーディトリアムの一番後ろに立ってピノキオを見る。午前の部は全校生徒が座って見るので大人は立ち見。町子がピノキオの鼻をつけて、赤いベルベットのズボンをはいて、白い手袋をして、青いリボンを胸に登場すると笑い声が起こる。子供たちはみんな、どんなピノキオが現れるか興味津々だったのである。これがけっこうピノキオに見えるから不思議だ。最初の歌「トゥモロウ」ですでに祖母はティッシュを出している。狐と猫の五年生コンビは最高の出来。ママも落ちついて歌い、パパは最後まで照れていたがよくやった。ピノキオは、これはもう町子にしか出せないとぼけた味だと感心した。「堂々として立派でした」と、後でMM先生がEメールをくださる。遊園地に遠足に行っていた道子も帰ってきて、これから夕方の部に出かける。夜はイアンのいるサンブーカにて祖父母と打ち上げ予定。今日はわれわれの十三周年のアニバーサリーでもある。


少しずつ鯰を食べて終ひけり

2007年06月18日 | Weblog
(写真はマコーミックの本日のロブスター)

☆郷田
郷田が渡辺にも(なんとか杯で)逆転勝ちした。郷田強し。

☆羽生の解説
羽生には、対局中の二人より早く先が見えてしまって、「ああ!これは……」と言って、しばらく絶句する場面があるそうだ。指し手より先に解説者が素晴らしい手を言ってしまっては、それは困るだろう。

☆ピノキオ本番まであと二日。金曜の夕方、町子の忘れ物を取りに学校へ行くと、オーディトリアムでミスCが、アフタースクールの子供たちを使って残りの細かい作業をしていた。立ち寄って、棒にリボンを巻くのを手伝う。「こんな小さなことだけど、やるとやらないじゃぜんぜん見栄えが違う。そういうのを見つけるとものすごく得した気分!」ミスCはそう言って、ほれぼれと棒を見る。ミスCのことを月並な音楽教師だと誤解していた。おたくの域に入るほど子供ミュージカルが好きなのだ。

☆ドレス・リハーサル
NY市センターのスタジオにてリハーサル。みなで髪に白いリボンをつけあう。宝塚の団員になったような気分。東京のかたがたがまだみえないので緊張はしなかったが、ピルエットはびびって床で回ってしまった。去年のビデオを見ると、自分が思う半分しか踊っていないのだ。もっと大きく踊らねば去年の二の舞になる。小さなAYちゃんが一番大きく踊っている。
帰りにAYちゃん一家とシーフード・レストランへ。ティラピアのナッツまぶし揚げにフルーツサルサソースがけを食べる。これが甘辛くて爽やか。AYちゃんはキャットフィッシュを食べていた。AYちゃんちではキャットフィッシュを買って料理するそうだ。キャットフィッシュは鯰。梅雨の季語だ。