エドルネ日記

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ある日の「四股(よつまた)」~ダイヤモンド富士ポイントを昔の地図で見てみた!

2014-12-07 | 地図・地形


小松川橋と富士山と東京スカイツリー(11/4ダイヤモンド富士撮影ポイントより北に数メートル)
※みにくいのですが富士山は写真の左側、小松川橋にかかって映っています。


先日のブログ「小松川橋とダイヤモンド富士」の続きです。
撮影場所の周辺をいくつか地図をみてみました。


<iframe src="http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.7022258087181&lng=139.85858889489748&zoom=16&dataset=tokyo50&age=0&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&altitudeOpacity=4" width="650" height="550"></iframe>
→フレームを外して地図を見る
「今昔マップ on the web」使用


この今昔マップ on the webは、左側に表示されている地図の上で
カーソルを動かすと右側の地図が左側の地図と同じ座標ポイントを
示すという便利なもので、迅速測図の「四股」と書かれている地点に
カーソルを合わせ、右の現在の地図をみると・・


〇11/4 ダイヤモンド富士撮影ポイント
<iframe src="http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.51.41.857N35.41.53.992&W=0" width="650" height="550"></iframe>
→撮影場所の地図


な、なんと!
今昔マップ2で見る迅速測図の「四股」とダイヤ撮影場所が重なるではありませんか!!
(厳密にいえば、撮影ポイントは四股のあったポイントよりやや南にずれる)


この「四股」ですが・・・


カシミール3D使用

現在の地図に迅速測図を重ねてみました。
赤いラインが元佐倉道
青いラインが行徳道
◎は交差ポイント(ポイントメモ)
です。

そう、ここは荒川・中川の開削工事で消滅した「四股」交差点!
元佐倉道と行徳道(※)が交差するかつて交通の要衝地でした。
この地点から道は分岐し、江戸・浅草・行徳・市川へと伸びていました。


※行徳道ができた年代は不明ですが、古くは行徳塩
の輸送路とも考えられ、江戸時代から元佐倉道と
並んで重要な道路であったといいます。
引用:江戸川区郷土資料室「えどがわ発見!解説シート3-10行徳道」


私が作成したメモ地図(以下を重ねたもの
・古代東海道と立石様と江戸川区の周知の遺跡
・道と道標と渡し
・葛西筋御場絵図などの一部

ダイヤを撮影後、東京スカイツリーをいれるために
河川敷を数メートル北からの写真が上の写真ですが
今昔の地図をみると、この撮影ポイントのほんの数歩
北西に歩いたポイントが四股交差点となっていたことがわかります。



引用:江戸川区郷土資料室「えどがわ発見!解説シート3-1江戸時代の道」

元佐倉道と行徳道の斜め交差っぷりが面白いですね。
このたすき掛けの結び目が、川で分断・消滅して
そのあとを、縦横に車道や電車がひかれ、人や物の流れが変わり
街並みも変化しました。
こうした概略図を今の地図にのせてみると、まちの骨格の変化が
浮かび上がってくるようで興味ぶかいです。






2014年11月4日、見事なダイヤモンド富士ゲットしたポイントが
かつての交通の要衝「四股」交差点であったとは!
区内ダイヤモンド富士のシーズンには散々地図を見てる割に
古地図の情報が頭からすっぽり抜けてましたね。
おかげで後から嬉しいサプライズです♪


ある日の四股、
旅人がダイヤモンド富士の光景に遭遇し、富士山に吸い込まれる夕陽の最後30秒のドラマにびっくり!
そして感動する、そんな物語がきっと昔この場所であったでしょう。

・・想像の翼は広がります。(^-^)



荒川左岸、新小松川橋たもとより撮影 ~新小松川橋と東京スカイツリー

この日は、富士山にお日様が沈んだ後も素晴らしい空模様でした。
船堀橋から小松川橋まで中堤サイクリングの写真はこちら

参照引用資料:えどがわ発見!解説シート

関連ブログ:
小松川橋とダイヤモンド富士(2014/12/05)
企画展「元佐倉道と千葉街道」地図と写真でたどる街道のおいたち(2014/11/25)




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