エドルネ日記

散策、写真、サイクリング、バードウォッチング、神社、地形、料理、手芸、etc

江戸川区サークル連合会交流展「古文書の会」~中川船番所にまつわる古文書と銅版画「星住山善養寺之景」

2010-12-03 | 江戸川区

おととい「江戸川区サークル連合会交流展」の『古文書の会』」の発表を見に行きました。
「中川関所夜間通船再許可に関する請書」の解読を中心に、江戸時代の中川番所の周辺の風景
舟運人々の暮らしがしのばれる展示内容でした。
上の版画は、展示されていたものです。
村人の窮状をうけ、寺が村と役所のあいだに入ったのには、驚きました。当時の村人と寺社の関わりも偲ばれ、興味深い話です。
中川番所にまつわる古文書の解説のほかに、「江戸名所図会」、「名所江戸百景」
古地図「嘉永図(1848年)紙屋徳八版」、そして現在の航空写真があり、非常にわかりやすかったです。


☆★☆せっかくなので、いただいた資料をもとに、郷土史と古文書のお勉強!★☆★

1、「乍恐以書付奉願上候おそれながらかきつけをもってねがいたてまつりそうろう
(野菜荷舟の中川御関所夜間通船の願書)
東葛西領の農民は、江戸(本所、京橋)に新鮮な野菜を届けるため、夜間に中川番所を通り夜明けをまって市場で売っていました。
鑑札をもっていれば夜間通船が古くからの慣習として認められていました。
ところが、ペリー来航により幕府の締め付けが厳しくなり、中川番所でも文久元年(1861年)2月すべての夜間通船が禁止になりました。
そこで困った東葛西領上之割・下之割の30ヶ村が、役所に夜間通船の許可願い出したのが、「乍恐以書付奉願上候」の
願書です。
この願書はすぐには聞き入れられず、小岩村の善養寺住職が役所に不便な窮状を訴えて、夜間通船のお願いを
したことが、明治37年に作られた善養寺の銅版画に記されています。(上の「星住山善養寺之景」)

2、「差上申一札之事さしあげもうすいっさつのこと」
(中川御関所夜間通船再許可に関する請書)
中川番所の夜間通船禁止の解除をうけ、村の名主一同が有り難く承知しましたという受け証文だそうです。
文久2年8月なので、禁止令が出てから1年半後ということになります。
・・・こういうの見ちゃうと、古文書よめたら楽しいだろうなって思うのだけれど、なかなか・・。^^;

中川船番所資料館内 2007年8月撮影
中川船番所跡 2007年8月撮影
上の2枚は、子どもの夏休みの自由研究に訪れた際に撮ったものです。(→中川船番所資料館2007/8/17

なんかほんとに変わってしまいましたよね。
川がただ流れる川になってしまった現在と舟運が人々の生活に深くかかわっていた昔では・・。

今回発表会に誘ってくれたSさん!ありがとうございました。
また何かあったら、お誘いください♪
それから、資料をくださり丁寧な解説をしてくれた方にも感謝!です。

参照引用:江戸川区古文書の会 2010年江戸川区サークル連合会交流展出品解説書





最新の画像もっと見る