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おぼえがき

50代の日記。子供のことや自分のこと。書くことで考えをまとめたい。

成人式

2021-01-12 15:18:41 | 日記

昨日は成人の日。自治体の式典はなし。同窓会も中止。そこで急遽、家族だけでホテルのレストランで個室をとって成人を祝うことにした。

我が家的にはかなり張り込んだ和食。振袖姿の吾子と素敵なホテルに車で向かい、家族も改まった服装で。個室でゆっくりとお祝いができて大満足だ。一品一品、美しい器に盛られ運ばれる和食を、庭園を眺めながらいただく、、、何と贅沢な時間か。急ごしらえではあったけれど、記憶に残る1日になったのではないかと自己満足かもしれないが、思う。

自分の成人式は朝も暗いうちからの着付け、母親の好みの着物は大人っぽすぎて若い女性らしい華やぎがないものなのに着物を身もしないでのヘアセットはもりもり華やかというチグハグな姿で、今写真を見ても、首から下と上が合っていない。着物は鈍色で喪服か!という地味なものだ。その反省から吾子には好きなものを選ばせた。サービスの良い呉服屋で、同じところで全て賄え大変助かった。

20年はあっという間。今、ニコニコご機嫌よく明るさの戻った吾子の存在が本当に愛おしい。数年間、なぜか私たち親子は悪者にされありもしない噂を流されその影響は受験にまで及び、ペットの相次ぐ死、夫の離職と一年に及ぶ無職の日々、呪われているのかと疑ってしまうような日が続いていた。私は吾子に、大人にしてもらった。というか、保護者の皆さんにか。自分の過ごしてきた世界とは違う考え方の人たち。素晴らしい人との出会いも、クソな人との出会いも、自分の生き方では出会えなかった人たち。たくさんのどちらかというと嫌な出来事で、いつまでも子供気分だった自分もいつしか責任を考える大人になっていったように思う。人の妬みや嫉みは怖い。正々堂々、頑張っていれば人は応援してくれるものと思い込んでいた自分は、愚かすぎた。マウンティング、裏からそれとなく噂を流して貶める、女の戦いなのか。男にもあるのかな。いや、子供が絡んでくると冷静でいられないのは女の場合だけかもしれない。そんなことがあったのでホテルにいたたくさんのお嬢さんの母親たちに知っている顔がいたら嫌だな、と顔を見ないようにしてしまった。マスクをしていたので知っている人であってもわからなかったであろうが。

ついついネガティブなことを書いてしまった。

良い時間を過ごすことができ、感謝の1日だった。

 

 


末は博士と書いたけど

2020-11-20 13:57:55 | 日記

昨日は吾子の未来を「末は博士か大臣か」と夢を見たと書いたが。

ある掲示板でポスドクの夫についての相談があり興味深く読んだ。そのレスポンスの中に、塾講などよりむしろ全く畑違いの肉体労働の方がまだ納得できるのではないかというものがあり、結構な経験を持つ夫がその経験を活かす転職に見切りをつけたのもそういうことだったのかもしれないとふと思った。ポスドクってなんだろうとふと調べてみて。名だたる有名大学を博士課程まで出て研究職についても中年になって放り出される、高学歴ニートのような有様とか、将来の保証は全くなく、散々。しかも低賃金らしい。そういえば自ら死を選んだ研究者のことをニュースやドキュメンタリーで見た記憶がある。吾子の大学受験の顛末をいまだに思い出しては嘆いていたが、某大に進学していたとしても必ずしも未来はバラ色ではないのか。運よく合格したクラスメイトたちも全員が華々しいしあわせを手に入れられるわけではないのかも。夫が某大卒研究者だという知り合い夫婦は妻もそれなりの国立大を出ているのに、仕事掛け持ちでいつも質素な身なりなのはそういうことだったのだろうか。母の大昔のママ友にもH大研究者の妻がいて、非常に金がないと言っていたっけ、、、、。世の中、知らないことばっかりだ。すごく狭い視野で、嘆いたり不満に思ったりして、自分は恥ずかしい人間なのかもしれないな。

とはいえ女子大や企業の一般職や水商売で稼ぎの良いの夫を捕まえて、自分は仕事をせずに夫の金で自分の夢をかなえたり教育ママになったりするようなのは自分の視野が狭かろうが広かろうがやはり好きになれないし尊敬できない。いきなりなんだ?自分の中ではつながっている話だ。


夢を見せてもらった

2020-11-19 15:59:36 | 日記

所用で昔住んでいた多摩地区を通ってきた。車窓から眺めただけだが懐かしさより辛い気持ちになりどんよりした。子供ができるまで多摩地区を転々と引っ越してきた。若く、辛いことや思い通りにならないことがあっても希望を抱けた時代。あの頃、こんな未来になるとは思わなかったのは自分が視野が狭く世間を知らなかったからだ。

夫は面白い人で一緒に何かをするのが楽しかった。でも今は一生許せない恨みを抱いている。

30代が一番幸せだったのかな。仕事もうまく行っていた。子供も問題なく可能性は未知数、賢く元気だった。ナイナイづくしだったけれどもっと頑張れば、手に入る、もっと良い未来が待っている、と思えた。

40代。リーマンショックの煽りを受け夫の減俸、自分の仕事が減ってきたこと、それまでの家賃を出すのが苦しくなってきたこと。それでも中学受験をさせられるだけの余裕があった。

吾子には人並みのことをしてやりたかった。勉強ができたので中受をした。全勝でいわゆる2月の覇者となった。入学した中学は楽しく、自分も少し改まった店でのランチ会が楽しく、家も買って、さあこれからローンを返していこう、という時に夫が退職届を会社に出した。受け取ってもらえずそのあと数年働いた。2度目に出し受理されたのは吾子が不登校から立ち直り大学受験に臨もうとする高校3年の始め。そのあと彼は1年間失業手当を受け取り遊んで暮らしたのだ。そして信じらない就職をした。未経験のきつい仕事についた。お給料はとんでもなく低かった。

我が家は今自分が仕事を掛け持ちし、貯金を崩して暮らしている。どうもこれまでの夫の話をつなぎ合わせると社長に2年目には給料を上げてやるからと口約束をしたのではないかと思う。2年目はほんの少ししか上がっていない。これでは相変わらず暮らせない。借金を背負って開業したわけではないのがまだマシ。向いていない仕事をやめて経験を生かしてほしいと何度も言ったが石の上にも3年(3年経ったら幾つなんだ?)とか抜かしてこのコロナ禍の失業時代に入った。もうこのまま行くしかないのだろう。夫は私の稼ぎと私の実家からの援助をあてにして低賃金でも大丈夫だと踏んだらしい。理解不能。家族への裏切り。一生許せない。もし介護になったら反論できない夫をいじめネチネチ言ってしまうだろう。

吾子の大学受験はお陰で身が入らず親が失業中という不安にも苛まれ、バリバリ勉強する同級生の中にいるのが辛く不安定。ようやく受験勉強を始めたのはセンター試験3週間前。第一志望の国立の過去問を始めたのはセンター終了後。成績開示ではあと30点だった。浪人せず大人しく受かった次第に通っている。高い学費だ。

国の給付型奨学金と授業料減免を申し込んだ。収入だけならいただける計算だったがはねられた。貯蓄額だろう。吾子が私大であっても理系の院まで行けるよう貯めておいたのが裏目に出たのだろう。

吾子は父親に対しての不満や不安を私に言わなかった。でも思うところはあったと昨日わかった。生活レベルを落としているのに吾子は愚痴らず、こぼさなかった。父親が追い詰められておかしな選択した気持ちが少しわかるから、と。君も追い詰められて馬鹿なことをしたからか。だからわかるのか。2016年まで希望に満ちた未来で吾子は将来どんなに活躍するだろうと夢を見た。夢を見せてもらった。今やっと立ち直ったあの子は馬鹿な父親を見たお陰でどうやら社会福祉に目を向けているようだ。末は博士か大臣か裁判官か検事か官僚か。夢を見てしまった母が愚かだった。


ようやくキャンパスへ

2020-10-27 09:19:11 | 日記

ようやく今週、今年度初めて、大学のキャンパスで授業を受けるそうだ。

長かった。とはいえ、本人はオンライン授業を特に辛いということはなく、成績は良くはないが前期は乗り切り、後期も目的を持った授業選択をして、ゼミもちゃんと入っている。(ノンゼミの人もいる)

大学のキャンパスに入れない、前期は仕方ないが後期もオンライン授業であること、施設が使えないのに学費が満額とられること、学生や新入生の保護者の怒りと悲しみはただ事ではなかった。最近にしてようやく世間(マスコミや政府)にも認知されているようだが、キャンパスに行ける学生も増えてきて恨みの声は小さくなっているように感じる。

欧米の研究では偏差値の高い大学の学生はオンライン学習が効果的だが、そうではない学生では使いこなせず、かえって理解度が下がるという。それはオンライン授業が始まった頃から、我が子が熱心に勉強している様子、子供の同級生やその辺りのランクの高校の子たち、未だ付き合いのある保護者からも文句が聞こえてこなかったことから感じられていた。実際、自分もオンラインの会議をしてみたところ一対一だと緊張してなんだかよくわからなくなるが、複数の場合は実際に集まった時よりも議題がすっと頭に入り考えも纏まりやすかったことで、オンラインは体には負担だが非常に効率的で、むしろ、イイ、と思った。自分が気を使う性格だということもあるかもしれない。うちの子は通学時間や身支度にかかる時間が無駄だしオンラインの方が良いという。自分は、均質だった中高から全国から様々な子が集まる多様性の中での学びを大切にして欲しかったので、オンライン授業がずっと続くことが勿体なかった。しかし我が子本人は、質が高く、zoomもあるし、好きな時間に授業を受けることもできる今の状況がいい感じらしいのでもう何うも思うまい。

こんなコロナ禍の中でも、勉強している人はしているし、していない人は遊んでいるか文句を言っているだけかで身になることは何もしていないと聞く。社会人でもだ。ただでさえ格差社会になってきているのに、ますます差がついてしまうだろうな。

下宿生や帰省もままならない地方の新入生にとっては、過酷な一年となった。しかし、もう半年以上経っているし、そうそうコロナ状況は変わらないと思われる。意識を変えて、順応していく、今の状況で辛さを減らして少しでも進むしかないと思う。コロナさえなければ登校できるはずだからコロナを軽く見る、という理解に苦しむ保護者も見かけたが、そんな親の子じゃあオンライン授業も無理だろうな、と厳しい見方をしてしまったこともある。


広い世界を見て欲しいのに

2020-09-09 16:48:08 | 日記

仕事、副業というかバイト、吾子の弁当、家事、実家の老母、知り合いの経歴を隠されていた件、それで思い出す辛かった娘の受験。失敗。オフ会、思春期に好きだった映画の再上映の申し込みなどなど頭ごちゃごちゃの中、台所で手を切ってしまった。なかなか出血止まらず、動揺してしまった。

真っ赤な血が止まらない。血は赤い!止まらなくて怖くなり形成外科を探すが水曜休みのところばかり。吾子にバイト先に電話をしてもらい休ませてもらうことになった。バイト先は良い職場で皆さん良い方だ。バイトにも賞与まで出してくれた。人手が足らないのでもっと働いて欲しいと言われているが自分のキャパではバイトをしていると本業がおろそかになるので本当は辞めたい。頭が回らない。研究と営業のための時間がなくなる。ずっと自分の好きなことばかりしてこられたんだなあ、ここ数年の自分を取り巻く環境を思うと、呑気だったなずっと。いつかどうにか、ある程度うまくいくと何にでも思えていた。幼かった。

止まらない血、動揺して、なぜか涙が出た。子供のようだ。30分程度で止まった。

 

大学の授業登録が始まっている。吾子が落とした必修を秋学期に再登録しなければならない。担当教授が嫌いだという。また始まったよ、、、。第一志望のゼミの面接で個人のことを色々聞かれたのに落とされた教授だからだという。なんでそんなに偏屈なんだ?大学ってなんのために行くのかとまで言う。ああ、落ち着いてきたと思っていたけれど、まだまだなんだ。ちょっと嫌なことがあると相手を批判して背を向けるのはまだ治っていないのか。ただの愚痴で、黙って聞いてやればそれで良いのかもしれない。本気にとってどれだけ心配したことだろう。けれど、吾子よ、母は君の愚痴と思っていてもすごく追い詰められるんだよ。かといって親に心配かけないよう本心を隠して良い子ちゃんで暴発してしまうのはもっと辛い。だから私が我慢して、ニコニコ聞いてやるしかないのだね。ずっとサンドバッグは辛いよ。なぜ他人に心を開かないの。表面的な付き合いはできるのに自分の中に入ってこられたくないんだよな。それならそれで、遊ぶ友達だけでも作れば良いのに。浅い付き合いで良いから、いくつかのグループに属すれば良いんじゃないのかな。人と付き合いたくなからって母親にくっついているのは、もう卒業したらどうだろうか。母も解放されたい。

大学が嫌なら専門学校に行けばよかったじゃないか。との言葉をぐっと飲み込む。学費がいくらかかっていると思っているの。コロナでオンデマンドばかりだし、休学するか?就職難が目に見えているのも怖い。

気がかりばかりで時間に追われていて、心に余裕がない毎日だ。吾子が小さい時は希望ばかりで楽しかったな。