諸行無常。何もかも変わってゆく、そんなことをしみじみ感じている。コロナで世界が変わり、マスクなしで生活できなくなった。1年続いて諦めムードだ。むしろマスクを外した顔の老け具合を見るとマスク美人になっているかも。
先日吾子を連れて実家へ。ついでに1年ぶりの温泉旅行。窓からは1面の海。良いおもてなし。豪華で広い部屋。日のあたる海を眺めて過ごした時間、強く印象に残った。こんな贅沢は、もう自力では無理で母が買っていた旅行券を使えたからなのだけど。実家に帰るとタクシーでデパートに行ってご飯を食べ服を買い、ということをさせてくれる。母は財産のある家に嫁いだのだが元々締まり屋で、贅沢はせずに子供たちにはそれなりの財産を残そうとしてくれる。とはいえその基準も、地方とはいえ今の私から見ると相当なリッチさ。年に数回の夫婦での海外旅行、名のある作家の家具を買い足して揃えたり。今も洋服は全て百貨店だ。全く躊躇なく、通院も買い物もタクシーを使う。父は順当に出世し、若い頃は苦労したが晩年はお金にも困らなかった(健康は失い早く天国に行った)。
そんな家庭で育ち、東京に進学させてもらった自分は、まさか50代で夫が低収入になるとは思わなかった。だんだん出世していくものという昭和の考えでここまで来てしまい、現実をなかなか受け入れることができなかった。この頃はようやく現実を受け入れ、人並みに暮らせるように自分も収入をあげようと努力している。なのに、実家から帰ってきたり、吾子の学校時代の保護者とランチをした後、余裕があった時期に好きだったバレエをテレビで(舞台には行けない)見た後など、はたと、今の自分はもうそういう世界は無縁のもので、今は、張子の虎というか、上っ面だけいい奥様ヅラしているが、その実態は、、、と気がついて、すごく落ち込んでしまう。
母は専業主婦で芸術家でもあり、作品を売ることもあった。ギャラリー代や道具、消耗品は家計から。お気楽なものだ。本人はものづくりに誇りを持っていたが、所詮それで食うわけではない。まあ、芸術を本気でやると家庭破壊の可能性濃厚になることに本人も気がついて子供たちのために趣味程度で留めてくれたのかもしれないけれど。外交的な父の悪口を散々聞かされて育った自分は父と正反対の男を夫にしてしまった。実は父の悪口はただの惚気であったと最近わかり、愕然とした。自分が愚かだったというだけなのだが、出世とは無縁、むしろ貧乏が好きな、口ばかりご立派なコミュ障と特に好きでもないのに結婚してしまったのは、母の呪いにかかっていたからではないか。
ブログなどで自分の豪勢な(しかも趣味の悪い)生活をひけらかしている専業主婦を見ると鼻白んでしまう。自分で稼ぐのではなく夫の収入だからだ。しかもその夫のことを毛嫌いしているとか、復讐のつもりでお金を使っているのだろうか?夫がATMになるだけマシではないか。我が家は私と実家がATMだ。
吾子の世代を見ていると、自分は昭和の人間で平成に生まれ令和を生きる彼女に、下手なアドバイスはできないなと思う。平成のインターネットと令和のコロナでこれは、もう、全く違う世界を彼女たちは生きていくことになるのでは。新しい世界に順応できるだけの体力と知力があれば、きっと生きていける。私はお荷物にならないようにしたい。