子供を見ていると、慣れない環境では、まずは自分を受け入れてくれそうなおとなにくっついている。大人が一緒にいることの安心感か、小さなきっかけで他の子と関わりができ始めると大人と子供の世界を行ったり来たりしながら、いずれ子供の社会へ旅立っていく。そうなったら、もう大人は用済みだ。役割は終わった。それで良いのだ。子供が安心して自分の世界を広げられるようにするのが役割だ。
春休み。吾子は高校時代に心を閉ざしてしまい学校に行けないことがあった。大学に入って自分なりの世界を広げようとはりきったけれどあまりうまくできず、気を散り直してさあ、新しい年から仕切り直しだと考えていたところにコロナでオンライ授業となってしまった。ほぼ大学にいけず、バイト以外は家にこもっていた。話し相手と言えば母親だけ。しかも母親は自分よりも頭は良くないので、だんだん会話の内容や話し方が高速回転の高校時代とは別人のように、アレガーとかそれガーとか、あまり頭の良くないおばさんの話し方になりつつある。本人もやばいと思っているようだ。趣味も自分のPCで完結できるものだし、スマホさえあれば中高時代の友人やフォロワーとつながれる。小さな世界にずうっといる。
この頃彼女はテレビドラマを見るようになった。登場人物の恋愛に、いいなあと呟いていた。!!!もしかしてようやく彼氏というか、自分以外の人間と関わりたいと思うようになったのかもしれない。ドラマでもなんでも良い、自分以外の人生を味わうための物語に触れるのは良いことだ。
大学時代も半分が終わってしまった。一体何か形になったろうか。行動する子は中高時代から外に積極的に出て実力を試したりしていた。とにかく勉強したくない、働きたくない(と言いつつバイトはしているし就職もするだろう)吾子はせっかくの学力も無駄にしそう。資格を取るでもなし、サークルを頑張るでもなし。生身の付き合いとか、自分以外の外の世界とか、とにかくもう、小さな世界から出て欲しいなと心から願う。読書でも、新聞を読んで世界に関心を持つでも良い、他の世界がどうなっているのか見に行って欲しいな。それだけの学力があれば難関資格でも取れるだろうに若い優秀な脳を無駄にしているように見えて、せつない。時間は有限だ。
もしかして私が安心して戻る場所を用意できていないのかな。だから旅立てないのだろうか、、、
お母さんがかわいそうだからずっとお母さんと一緒にいる!とかはナシね!何処かへ旅立ちたくなったらお母さんなんて捨てていってね!というと、そうしたくなったらそうするよ!私は自分のことしか考えてないから心配しないで!という。