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おぼえがき

50代の日記。子供のことや自分のこと。書くことで考えをまとめたい。

小さな世界から出て欲しい

2021-02-22 11:27:56 | 日記

子供を見ていると、慣れない環境では、まずは自分を受け入れてくれそうなおとなにくっついている。大人が一緒にいることの安心感か、小さなきっかけで他の子と関わりができ始めると大人と子供の世界を行ったり来たりしながら、いずれ子供の社会へ旅立っていく。そうなったら、もう大人は用済みだ。役割は終わった。それで良いのだ。子供が安心して自分の世界を広げられるようにするのが役割だ。

春休み。吾子は高校時代に心を閉ざしてしまい学校に行けないことがあった。大学に入って自分なりの世界を広げようとはりきったけれどあまりうまくできず、気を散り直してさあ、新しい年から仕切り直しだと考えていたところにコロナでオンライ授業となってしまった。ほぼ大学にいけず、バイト以外は家にこもっていた。話し相手と言えば母親だけ。しかも母親は自分よりも頭は良くないので、だんだん会話の内容や話し方が高速回転の高校時代とは別人のように、アレガーとかそれガーとか、あまり頭の良くないおばさんの話し方になりつつある。本人もやばいと思っているようだ。趣味も自分のPCで完結できるものだし、スマホさえあれば中高時代の友人やフォロワーとつながれる。小さな世界にずうっといる。

この頃彼女はテレビドラマを見るようになった。登場人物の恋愛に、いいなあと呟いていた。!!!もしかしてようやく彼氏というか、自分以外の人間と関わりたいと思うようになったのかもしれない。ドラマでもなんでも良い、自分以外の人生を味わうための物語に触れるのは良いことだ。

大学時代も半分が終わってしまった。一体何か形になったろうか。行動する子は中高時代から外に積極的に出て実力を試したりしていた。とにかく勉強したくない、働きたくない(と言いつつバイトはしているし就職もするだろう)吾子はせっかくの学力も無駄にしそう。資格を取るでもなし、サークルを頑張るでもなし。生身の付き合いとか、自分以外の外の世界とか、とにかくもう、小さな世界から出て欲しいなと心から願う。読書でも、新聞を読んで世界に関心を持つでも良い、他の世界がどうなっているのか見に行って欲しいな。それだけの学力があれば難関資格でも取れるだろうに若い優秀な脳を無駄にしているように見えて、せつない。時間は有限だ。

もしかして私が安心して戻る場所を用意できていないのかな。だから旅立てないのだろうか、、、

お母さんがかわいそうだからずっとお母さんと一緒にいる!とかはナシね!何処かへ旅立ちたくなったらお母さんなんて捨てていってね!というと、そうしたくなったらそうするよ!私は自分のことしか考えてないから心配しないで!という。


母と娘

2021-02-17 12:00:16 | 日記

萩尾望都の漫画「残酷な神が支配する」を何度も読み返してしまう。萩尾作品はたくさん読んでいるが、「残酷、、、」は途中でやめてしまっていた。主人公の境遇が痛々しく、義父の暴力が見るに耐えない。しかし、これでもかこれでもかと、主人公、そして自分自身とひたすら向き合う義理の兄の葛藤、心に傷を負う登場人物が自分の傷を癒していく物語に、なんらかの気づきが得られそうで、読み返してしまう。主人公は義父に虐待され、それを母親が知っていたことに気づく。元々精神が未熟な母親で、子供の前で自殺を図ったりして息子を不安にさせていた。最後は夫に向き合うと決心していたのでは?と匂わせてあって、救われた気持ちだ。

思えば、自分の母はけっこう気分屋で、思慮深い物言いができず、長女である私はいつもハラハラしていた。教えられていないことなのに、なんでできないんだ!と怒られたり、都合が悪いことがあると娘のせいにすることもあった。愛情たっぷりに育ててくれたとは思うが、自分の他人と違うセンスを人に見せつけたいのか、小さな頃はいつも変わった格好をさせられ、幼稚園では他の子はおにぎりや菓子パンという状況で一人だけ食べきれない豪華なお弁当を持たされ、赤と黒しかなかった時代のランドセルも違う色を買ってきた。だから周りの子からやっかみだの素直な疑問だのを投げつけられ、小さな頃は言い返すこともできずよく泣いていた。成人式の着物も若い娘が着るような華のある物ではなかった。進路も母が果たせなかった夢を背負わされた。しかも潰しの効かない進路。しかし、母のセンスが良いのだ、したがっているのが得策、と自分も思っていたのではないか。今の自分が、やることに自信が持てない、というか、わざわざアピールしたくない、この仕事を尊敬できない、のは、もしかして母からの無言の期待に答えようとしていたからなのだろうか‥‥

今、もう、50代で、できることでやっていくしかない。わかっているのに、自分から動きたくない気持ちがあるのは、一体何なのか。一人で家事をしている時、自分はなぜそう考えるのだろう、と自問自答している。今の生きづらさの理由が、「残酷な神が支配する」で見えてきそうだ。一人であてもなく列車に乗っていたら、もっと考えが進みそうだ。考えることより他に何もできない時間が欲しい。


変わっていく世界を生きる

2021-02-15 16:35:02 | 日記

諸行無常。何もかも変わってゆく、そんなことをしみじみ感じている。コロナで世界が変わり、マスクなしで生活できなくなった。1年続いて諦めムードだ。むしろマスクを外した顔の老け具合を見るとマスク美人になっているかも。

先日吾子を連れて実家へ。ついでに1年ぶりの温泉旅行。窓からは1面の海。良いおもてなし。豪華で広い部屋。日のあたる海を眺めて過ごした時間、強く印象に残った。こんな贅沢は、もう自力では無理で母が買っていた旅行券を使えたからなのだけど。実家に帰るとタクシーでデパートに行ってご飯を食べ服を買い、ということをさせてくれる。母は財産のある家に嫁いだのだが元々締まり屋で、贅沢はせずに子供たちにはそれなりの財産を残そうとしてくれる。とはいえその基準も、地方とはいえ今の私から見ると相当なリッチさ。年に数回の夫婦での海外旅行、名のある作家の家具を買い足して揃えたり。今も洋服は全て百貨店だ。全く躊躇なく、通院も買い物もタクシーを使う。父は順当に出世し、若い頃は苦労したが晩年はお金にも困らなかった(健康は失い早く天国に行った)。

そんな家庭で育ち、東京に進学させてもらった自分は、まさか50代で夫が低収入になるとは思わなかった。だんだん出世していくものという昭和の考えでここまで来てしまい、現実をなかなか受け入れることができなかった。この頃はようやく現実を受け入れ、人並みに暮らせるように自分も収入をあげようと努力している。なのに、実家から帰ってきたり、吾子の学校時代の保護者とランチをした後、余裕があった時期に好きだったバレエをテレビで(舞台には行けない)見た後など、はたと、今の自分はもうそういう世界は無縁のもので、今は、張子の虎というか、上っ面だけいい奥様ヅラしているが、その実態は、、、と気がついて、すごく落ち込んでしまう。

母は専業主婦で芸術家でもあり、作品を売ることもあった。ギャラリー代や道具、消耗品は家計から。お気楽なものだ。本人はものづくりに誇りを持っていたが、所詮それで食うわけではない。まあ、芸術を本気でやると家庭破壊の可能性濃厚になることに本人も気がついて子供たちのために趣味程度で留めてくれたのかもしれないけれど。外交的な父の悪口を散々聞かされて育った自分は父と正反対の男を夫にしてしまった。実は父の悪口はただの惚気であったと最近わかり、愕然とした。自分が愚かだったというだけなのだが、出世とは無縁、むしろ貧乏が好きな、口ばかりご立派なコミュ障と特に好きでもないのに結婚してしまったのは、母の呪いにかかっていたからではないか。

ブログなどで自分の豪勢な(しかも趣味の悪い)生活をひけらかしている専業主婦を見ると鼻白んでしまう。自分で稼ぐのではなく夫の収入だからだ。しかもその夫のことを毛嫌いしているとか、復讐のつもりでお金を使っているのだろうか?夫がATMになるだけマシではないか。我が家は私と実家がATMだ。

吾子の世代を見ていると、自分は昭和の人間で平成に生まれ令和を生きる彼女に、下手なアドバイスはできないなと思う。平成のインターネットと令和のコロナでこれは、もう、全く違う世界を彼女たちは生きていくことになるのでは。新しい世界に順応できるだけの体力と知力があれば、きっと生きていける。私はお荷物にならないようにしたい。