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おぼえがき

50代の日記。子供のことや自分のこと。書くことで考えをまとめたい。

雨の日は面倒で

2021-05-18 15:35:18 | 日記

仕事で新規に契約を結べた。嬉しい。新しい時代についていかねば。

関東はまるで梅雨のような天気。駅から遠い我が家は最寄り駅まで徒歩20分もある。普段は自転車、もしくはバス。大学はオンラインがお好みの吾子は、雨降りだとなおのこと面倒になる模様で。もうこの間のような事は繰り返すまいと黙って愚痴を聞いた。オンラインの方が、要点をまとめて早く授業が終わるし予習復習もしやすいようで、何より片道40分の登校時間、身支度が面倒でならないらしい。(コンタクトレンズも減るし)クラスもないしサークルに入りそこねて、ゼミがあるからまだ決まったいつものメンバーがいるからマシだけど、友人や先輩と楽しく遊んで要領よくこなす、という大学生活には無縁。自分自身も、授業をさぼって遊んで要領よくうまくやるというのは容認し難いというか、そんなんでいいのか?と思っているので、まあ良いのだが、、、。せめて誰か会いたい人がいてほしいな。

私自身が望む我が子像と亜子との間に乖離があるのだろう。多分自分は友達に囲まれ積極的に行動を起こすようなキラキラ大学生になってほしいのだろう。吾子は「隠キャ」を自認しているので、それを認めるべきだろう。

18歳19歳の時、大学受験から逃げ、入学した大学でも気に入らないことがあると切り、2年から巻き直しのつもりがコロナで登校不能になり。それもまた人生とは言え、一生の間に「ここを頑張ればあとが違う」「ここはタイムリミットがあるから後悔のないように」という時があるなら、大学受験と入学した後にとる行動は、当てはまると思う。就活だって上の大学から先に面接だというし、、、自分より成績が振るわなかった子たちが合格していたと知って後悔していたけど、あの時頑張れなかったのも、運でもある。ただ、18やそこらで人生を左右する決断をしなければいけないというのは(やり直しが難しい社会なのが問題なんだろうけど)酷なんじゃないか。

そのうち就活。そしてどちらでも良いが出産はタイムリミットがある。どうか、今を優先したいとか、自分と意見が合わないから切るとか、そういうのは今後はよく考えて動いてほしい。世の中を良くしたいのなら机上の空論ではダメで、自分も何らかの行動というリスクを取らないと。頭は良いはずなのに、自分の時間は使いたくない、行動したくないというのは、、、幼いのかな。とにかく、後悔しないでほしいと思う。


就活は?

2021-05-11 10:45:59 | 日記

まだ3年生だが、夏のインターンの応募など始まっている様子。某シンクタンクなど日給も出るそうで、今の飲食バイトに不満たらたらの亜子さん、応募してみてはいかが?と思う。ある就活サイトに登録した方がいい!と以前から言っているがなかなか就活に向き合いたくないようで、しかも上位大学の人しかエントリーできないと言ったもんだから拒絶反応を起こされ、サイトをみてもいないようだ。ここは仲間がそういう話を振ってくれれば、自分も!と思うところだろうが、あまり学内に友人もいないノンサーの吾子は、情報を得られていなさそう。高校の仲良しはみんな理系なので院進だろうし、、、。

コロナ禍である。ESではねられる事はないと思うが女子である事でこの男尊女卑の国では不利なのではないか、と以前から心配がある。うまく就職できてもマミートラックに引っかかったり、夫の転勤や育児で仕事を辞めてキャリアを断念して、高学歴なのにパートしかできない人になってしまったら、もったいない。その話をしたところ、吾子は「働きたくないでござる」が口癖だが(なので高収入の夫を捕まえせんぎょうしゅふもいいと思っている節あり)高学歴パート主婦にはなりたくないとも思ったようだ。兎にも角にも、逃げないで敵を知るところから始められたし。

仕事は裏切らない。子供も夫もいずれ離れていくし、相手に振り回される。でも仕事は自尊心と収入を与えてくれるのだ。夫に経済的に頼りきるなんて、絶対に全くもってありえない。自分の自慢が夫と子供だけとか、ありえない。自分はどこにあるのか?

まあ私は頼れない夫を持ってしまっただけかもしれない。


良くない対応をしてしまった

2021-05-11 09:58:32 | 日記

吾子は愚痴と文句が多い。コロナの対応が政府経済医師会大学とバラバラでいつまで経っても治る気配がないのがイライラと愚痴の燃料になっているらしい。正義感強めで批判精神旺盛のため以前から批判的な言動が多いのだが母親である私だけが唯一の聞き手らしく、ギャンギャンやられるときつい。吾子の通う大学は意地でも?対面授業を続けるようで東京都が国立の美術館や博物館が明日からの再会に強く文句を言ったというニュースになぜ大学は対面??と朝食時からヒートアップ。どうせ対面がいいとか言っている学生は、授業を受けたいと口で言っているだけで友達に会いたいだけじゃん、と。

(てことは、吾子は友達に会いたくないのか会いたい友達もいないのか)と内心「あーまた始まったのか」と不安がむくむく。高2から友達関係でつまづき4月はいいのだが5月6月と「行きたくない」が始まるというパターン。昨年はオンラインだったのでそういうことがなく成績も良くなり一安心だったのだ。今年はゼミや授業で仲良い子もできてきたような話だったのでほっとしていた。ところがそのうち一人が授業を受ける権利のようなものを失ってしまった。ノンサーになってしまった吾子は授業で友人を作るしかない。多分大学に行っても、一人で授業を受け一人で帰ってくるんだろう。

などと頭の中で不安が広がりはじめは黙って聞いていたのだが「じゃあ大学辞めれば?」と口走ってしまった。最低な大人気ない対応で、すぐ撤回したが、口から出た言葉は戻らない。

自分はこういうブチギレ的な反応をしてしまうことが未だにあり、もちろん良くないのだが、なぜそういう言い方をしてしまうのかが知りたいと思う。理由がわかれば、もうそのような不毛な言い返しをしないと思うから。

「ネガティブな発言をしつこくされると受け止めきれない」「我が子には幸せで楽しく過ごしてもらいたい」「大学へ対する愚痴が続くと吾子が不幸せだという判断をしてしまって不安になる」「また鬱状態になるのではないかと怖くなる」「大学に行けなくなったら就職もできず引きこもりになるのではないか」「という不安を受け止められず見捨てるような言い方をしてシャットアウトしようとしている」

ということなのか。でも最後が飛躍しているよな。

「じゃあやめれば?」「じゃあ帰れば?」「じゃあ死ねば?」そういう言い方をして相手に翻意させようとするのは良くあることだが(流石に死ねば?はない)「なんで〇〇したの!」と同じくらい不毛な反応だ。なのにまた言ってしまった。

ここ数年私自身が抱えきれないようないろいろなことが続き、吾子はその半分くらいが自分が理由だということもわかっていて、元気を取り戻した現在は母に心配をかけまいとして「今日は3限が休講だから4限から行くよ」「何時に帰ってくるから」とちゃんと告げてくれるのだ。「文句言っていても大学の勉強は楽しいよ」とも。だけど、もしかしたら、私にとっては「友人に囲まれた楽しいキャンパスライフを送っている姿」が1番の安心材料なのかもしれない。そういうのが得意じゃない子には余計なお世話だが。でも、吾子は本当は友達と楽しく過ごしたいのだ。それを知っているから、今の状況が満足ではなかろうと勝手に判断してしまっているのかもしれないと思う。

結局、私自身が未熟で、受け止められなくて、バタンとドアを閉めるような反応をしてしまうということか。いきなり閉められたら相手は困惑するだろうし、信頼も揺らいでしまうだろう。今度は冷静に、自分の気持ちを伝えなければ。

しかしながら私は、30歳も年上とはいえ、達観しているわけではないのです。ネガティブなことばかり聞かされるのは辛いのです。本当は吾子にそれをわかってほしい。でも、ネガティブなことが言えるのも、おそらく私しかいないのだ。だから、ガス抜きをさせてやらねばと思うのだけど、、、、

そんなことがあって、今日は大学を休んでしまうのも覚悟したがちゃんと出かけてくれてほっとした。


今を生きよう!心の持ちようを変えよう

2021-04-19 11:48:46 | 日記

自分のブログを読み返すとネガティブな話が多くて、まあ、読んでいて楽しいかというとそうでもない。誰にも言えない呟きを穴に向かって小声で漏らしているようなものだ。誰かが、もしかしたら、聞いているかもしれないけどまあそれも悪くない、程度の。ブログを始めた時はまだまだ吾子が不安定で不安もあったので何処かに吐き出したかった。忙しくて考える暇がなくて、ちょっと書くことで頭の整理もしたかったので。

「変えられない過去への不満」「まだこない未来への不安」に囚われると、「今」が疎かになってしまいうまくいかないのだそうだ。今、この時に集中するべきだとか。非常に納得。笑顔を作ることで前頭前野の血流が良くなり、扁桃体の生み出すネガティブ思考を抑えるとか。確かにやってみると、自分の過去ブログが読むに耐えない。愚痴ばかりだ。

ゴルフの松山英樹氏のドキュメンタリーを見たが、彼は自分を鼓舞するのだとか。スポーツ選手のメンタルトレーニングはとても勉強になる。私の母がスポーツが大嫌いで(父がスポーツマンで外出が多かったからか)、テレビでも野球などのスポーツばかり取り上げると常日頃不満ぶうぶうだった。もちろん運動習慣などなく、私自身もできなかったし好きじゃなかった。大人になってヨガとかダンスとかやってみると、気持ちが良いのがわかり、筋肉をつけていくと動きやすいし疲れにくくなった。そして最近のアスリートのメンタルコントロールの凄さに痛く感心しているので、何十年もスポーツ嫌いでもったいないことをしたなと思う。母は体を動かさないので今はノロノロ歩きになってしまった。

さて、コロナで楽しいこともないかというと、我が家的にはそうでもない。海外も外食も旅行も行けなくなったけれど、私はしたくてもできなくなってしまったので、置いていかれる感じがなく、焦らなくて済むのがよかった。人に会うこともめっきり減ったのでよそ行きも買わなくて良いし。経済的には助かったかも。読書をして、撮りためたビデオ、映画を見る。ご飯を作る。

一つ寂しいのは、2年間の子供たちとの時間がなくなったこと。うんざりすることもたくさんあってけれどエネルギーに満ち溢れた子供たちに元気をもらっていたんだな。宝物の2年間だったな、と終わって見て思う。


みてみてみて!

2021-04-19 11:40:48 | 日記

noteというクリエイター向けの投稿サイトを見てみた。たくさんの人たちの「見て見て」アピールに、押されてしまった。自分も若い頃はそうだったな。でも人に見てもらう手段なんてほとんどなくて相当のことをしないと難しいことだった。今は時代が違う。誰にでも起こりうる個人の体験や、あんまり上手とも言えない絵や漫画でもああして人に見てもらう手段がある。そのことは悪いことじゃないけれど、例えば編集とかキュレーターとかデザイナーとか、プロがチョイスしたものを見るのと何のふるいにもかけられていないものを大量に見るのと、全く違うのだ。疲れる。辟易としてしまうのだ。若くないから?それだけじゃないような。私は呟きたいのでこのブログで今はいいや。万人がユーチューバーとか、どうしてそんなに表現したいんだろう。私は現代に向いていないのかも。そんなこと言ってちゃいけないんだけど。