今回は高松の栗林公園についてです。
歌行脚短信の高松に、「琴平より高松へ。栗林公園を徘徊するうちに象嶽公の銅像に逢着」と書いてあったので、私も栗林公園を訪ねた次第です。

栗林公園に着くと真っ直ぐに象嶽公の銅像を訪ねました。
ありましたが

なんか変です。像が新し過ぎます。台座の裏に回って碑文を読むと昭和25年に建立とありあす。
勇が訪ねたのは昭和11年ですのでこの像ではありません。
パンフレットを見ましたが、他に像嶽公(松平頼壽)の像がなかったので、北門の受付で尋ねました。
しかし、像はあれだけというのです。
ちょうどガイドさんが来られたのでガイドさんにも質問をしたのですが、答えは同じでした。
あまりにも私が残念そうにしていたら、ガイドさんはガイド専用の虎の巻を出して調べてくださいました。
すると次のことが分かりました。
昭和9年 全身を表した高さ2.8mの銅像があった。
昭和18年 金属供出のため取り除かれた。
昭和25年 現在の像が完成した。
これでつじつまが合いました。
ここに来る前に訪ねた法然寺の鐘、そしてここの銅像、ともに戦時中の金属供出のために無くなりました。
あらためまして新・像嶽公の像


なつかしき象嶽公の銅像に春日あたりてほのかなるかも (「短歌通信」)
象嶽公は松平頼壽の号ですが、勇と同じ伯爵でした。象嶽公を「なつかしき」と詠んでいるので、二人は宮中の饗宴等で会っていたのでしょう。華族が集まる宴会について勇は次のように書いています。
「新年宴会だとか、紀元節だとか、天長節だとか、さういう国家の大祭日には、いつも宮中で賜餐があって、私も従五位の位階服を着て参内した」(「明治大帝の思ひ出」)
さて、栗林公園は銅像を見るだけで次に向かう予定だったのですが、この栗林公園はとんでもない公園でした。
栗林公園は「りつりんこうえん」と読み、栗林など雑木をイメージしていたら松、松、松のとんでもなく素敵な日本庭園でした。
先ほど質問したガイドさんお勧めもあり、「南庭回遊コース(約60分)」を回ることにしました。
とにかく松、松、松と松が続きます。パンフレットにも「『栗林』というが約1400本の松がある」と書いてあります。
鶴亀松

ガメラの上に鶴を模した松が舞っています。
お手植え松

昭和天皇や皇族、英国のエドワード8世がお手植えされたという松が大きくなっていました。
屏風松と箱松

左側の背の高い方が屏風松、右側が箱松です。
大勢の外国人

松も多いが外国人の多さに驚きました。そのわけは後で分かりました。
松、松、松…。外国人、外国人、外国人…
どうして
和船

「お殿様気分で船遊び」(パンフレット)だそうで、船頭の解説付きで料金は620円と格安です。
偃月橋

飛来峰からの眺め

根上がりの松

徳川家斉(11代将軍)公から賜った盆栽の松が大きく成長したものだそうです。これを手入れする職人さんたちは命がけだったことでしょう。枯らそうものなら…
芙蓉峰からの眺め


ナント…ミシュランの三つ星!
「世界が認めた庭園美」

吉井勇のことだけはしっかり事前学習をしていましたが、この栗林公園が世界的に名の知れた公園とはつゆ知らず、外国人の多さに違和感を感じていたのです。何故ここに外国人が、と。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの三つ星は、「わざわざ旅行する価値がある」所だそうです。
ただ、吉井勇は約90年前にこの公園がすごく良い所だということを指摘していました。
「この庭園は岡山の後楽園よりも遙かに幽邃、環境も背後に山を負ひてよし」と、「歌行脚短信 高松」に書いていました。
さすが勇の感性です。
ちょっとのつもりが長居してしまいました。
この後、屋島へと向かいます。
急がねば日が暮れてしまいます。
―続く―