咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

埼玉りそな銀行与野支店の足跡

2019年08月17日 | 日記
2018年09月22日ブログで私は与野本町通りにあった埼玉銀行与野支店について触れた。
そこでは埼玉銀行与野支店は昭和18年7月から昭和31年3月まで本町通りにあったと書いた。
昭和31年3月時点、与野町には本町通りに埼玉銀行与野支店があり、与野駅の近くに与野東支店があった。
昭和31年4月1日与野東支店と与野支店とが吸収・合併し、与野東支店の店舗が与野支店と改称し、これ以降埼玉銀行与野支店は与野駅の近くになった。
与野駅の近くとは現在の埼玉りそな銀行与野支店の場所(さいたま市中央区大字下落合1039)である。


現在の埼玉りそな銀行与野支店の建物はおそらく平成17年(2005)に建て替えられたと思う。
建て替え前のあさひ銀行時代の写真。この店舗は平成7年発行与野市教育委員会市史編さん室編『与野の歴史散歩』によれば昭和47年に新築されたものである。埼玉銀行与野支店として建てられたのだと思う。
昭和49年度の空中写真。
現在の空中写真。

あさひ銀行時代の与野支店副支店長の談話によれば「武州銀行与野支店与野駅前出張所として昭和18年6月14日開設された」という。そして「同年7月1日埼玉銀行と合併、与野駅前出張所」になったという。
「武州銀行時代は大宮寄りの与野駅前にあった」というのだが、「大宮寄りの与野駅前」とはどこなのか分からない。武州銀行時代は昭和18年6月14日から6月30日までの2週間程になる。
「武州銀行時代は大宮寄りの与野駅前にあった」ということは埼玉銀行時代になって店舗の場所は変更されたのではないかと思う。
あさひ銀行時代の与野支店副支店長談話は「昭和20年7月2日与野東支店に昇格」「昭和29年10月18日、現在地に店舗新築」「昭和31年4月1日与野東支店を与野支店と改称」と語っている。

「大宮寄りの与野駅前」にあった武州銀行与野駅前出張所は埼玉銀行与野駅前出張所になった時、店舗場所を変更したと思われるのであるが、変更場所はどこだったのだろうか。現在地に店舗を新築したのは昭和29年10月18日とあった。

平成14年発行の『与野商工会議所創立50周年記念誌』に与野商工会議所の沿革が書かれているのだが、昭和29年の出来事を述べる中に「事務所も与野町大字下落合785から更に駅よりの旧埼玉銀行与野東支店に移転」という記述がある。そして与野商工会議所の出来事の昭和29年10月には「事務所を下落合1044へ移転」と書かれている。

埼玉銀行与野東支店を現在地(さいたま市中央区大字下落合1039)に新築したのは昭和29年10月18日で、与野商工会議所が旧埼玉銀行与野東支店に移転したのは昭和29年10月である。おそらく入れ違いになったのだと思う。
埼玉銀行与野東支店は現在地(下落合1039)に移転する前、下落合1044にあったのだと思う。
「大宮寄りの与野駅前」から移転した場所はここかも知れない。そうだとすれば埼玉銀行与野駅前出張所はここに開設されたということになると思う。

『与野の歴史散歩』には駅前通りの商店街を西へ進み、埼玉銀行与野支店の先左側に与野商工会議所の木造二階建ての会館がある(昭和58年11月15日号)と書かれている。
昭和55年与野商工会議所発行『与野商工名鑑』所載の写真。昭和29年当時の建物のままだとすれば、この建物が埼玉銀行与野東支店だったということになると思う。
与野商工会議所があったと思われるあたりを2019年4月のストリートビューで見る。

埼玉りそな銀行与野支店の足跡を武州銀行時代から辿ってみる。
昭和18年(1943)6月14日 武州銀行与野駅前出張所開設(大宮寄りの与野駅前)
昭和18年(1943)7月1日 埼玉銀行と合併し、埼玉銀行与野駅前出張所開設(下落合1044?)
昭和20年(1945)7月2日 埼玉銀行与野東支店に変わる
昭和29年(1954)10月18日 埼玉銀行与野東支店を現在地(中央区大字下落合1039)に新築移転
昭和31年(1956)4月1日 与野本町通りの与野支店と合併し、与野東支店を埼玉銀行与野支店に改称
昭和47年(1972) 埼玉銀行与野支店建替
平成3年(1991)4月1日 協和埼玉銀行与野支店になる
平成4年(1992)9月21日 あさひ銀行与野支店になる
平成15年(2003)3月 埼玉りそな銀行与野支店になる
平成17年(2005) 埼玉りそな銀行与野支店建替

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浦和駅の北にあった踏切 | トップ | 大宮ハタプラザ跡が空地だっ... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (セミオート)
2019-08-18 22:42:18
与野はあまり行かなかった所ですが、昭和49年と現在の空中写真を見比べると、ずいぶん大きく変わったことが分かります。
昔は小さな民家が駅前にも集まっていて、きっと車での通行が大変だったのでしょう。
写真で見る限り、後進国からそれ以外の国に変化したのが分かります。
これで電柱が撤去されたらようやく先進国の景観になるのですが、それにはあと100年かかりそうです。
返信する
駅前の道 (咲いた万歩)
2019-08-19 07:44:33
おはようございます。
昔の埼玉りそな銀行さんの前の道は狭く、西から東への一方通行でした。与野駅西口駅前から与野市役所にバスで行く時は、駅から一直線の道は走行できず、南のたつみ通りまで大回りするルートでした。
帰りは一直線で、はやかったです。
返信する

コメントを投稿