咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

西区飯田新田にあった渡船場

2019年07月15日 | 日記
2019年04月25日ブログで私は大正5年発行地図に荒川に架かる開平橋を赤丸で、上江橋を黄丸で示した。
そして開平橋のところを明治14年(1881)の迅速測図で見た。
橋はなく「平方渡」があった。

ウィキペディア荒川(関東)には渡船場についてこのように解説され、過去に存在した渡船場が上流から列記されている。
平方の渡しから下流の渡船場はこのようである。
上から6番目に「馬宮の渡し」、7番目に「船戸の渡し」がある。
2019年06月12日ブログで馬宮の渡しについて触れた際、昭和4年頃地図のここ(赤丸)は「船戸の渡し」だと思うと書いた。
ウィキペディアには「船戸の渡し」について、「昼間の渡し」や「飯田の渡し」とも称する、と記述されている。

2011年4月、私は徳川家康縁の地「昼間ノ渡シ場」を訪れた。

昼間の渡しと徳川家康伝説案内板
昼間ノ渡シ記念堂案内板
昼間ノ渡シ場風景画
階段を下りてびん沼川(旧荒川)対岸を見た。
下りてきた階段を見た。
ヤフー地図ここ(赤丸)が階段だと思う。

昭和4年頃地図の船戸の渡し(赤丸)付近を明治14年の迅速測図で見る。
迅速測図に船戸の渡しの位置を赤丸で示すとこのあたりだと思う。
先ほどの案内板によれば明治末に県道が新設されて船戸の渡しに移動した。
県道が出来る前までは赤で示した道が昼間の渡しで荒川を渡った。

平成20年発行編者埼玉県立文書館『古地図を楽しむ』所載の明治30年代作成の埼玉県管内荒川平面図昼間の渡しあたりを見る。
赤で示した道は迅速測図の道だと思う。
赤丸のところに現在階段があるのだと思う。
飯田新田渡舩場と表示されている。

昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』には飯田新田にあった渡船・河岸場についてこのように解説されている。
さいたま市図書館サイトの図書館の刊行物からさいたま来ぶらり通信を開いて第27号をみると、昼間の渡しについてこのように案内されている。
さいたま市サイトの市政情報(記者への情報提供)(平成30年10月24日記者発表)徳川家康にまつわる伝説を再現する「昼間ノ渡シ火まつり」が実施されますをみる
JAさいたまさんのサイトから「昼間ノ渡シ火まつり」の写真を見る

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