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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

江戸時代の関東川々絵図をみる (3)

2020年05月29日 | 日記
本題ブログ(2)で私は本題ブログ(1)で触れた川の名前を記入した
本題ブログ(2)では荒川と元荒川に挟まれたさいたま市を流れる川についてみた。
本題ブログ(1)で触れた川に追加する
川の名前を記入する

本題ブログ(1)で江戸川河川事務所ホームページから川の流れの比較図を見た。
現在の流路図に利根川、江戸川、荒川、元荒川、中川を青で示した。
現在の流路図には大宮・浦和の東で元荒川・中川の西を流れる川で綾瀬川(薄青)が描かれている。
江戸時代の関東川々絵図に薄青で示した川が綾瀬川だと思う。
現在の流路図の綾瀬川最下流は荒川に合流するが、関東川々絵図も荒川に合流している。

綾瀬川と見沼代用水が交差するところを黄丸で示す。
その辺りを昭和4年頃の地図で見る。
綾瀬川と見沼代用水の流路はこのようになっていると思う。
現在の地図(ヤフー)ではこのようになると思う。
グーグルマップ航空写真3Dで見る。
綾瀬川と見沼代用水、東縁、西縁はこのようだと思う。
赤丸の水門を2012年4月上流から見た。瓦葺伏越水門

左岸から瓦葺伏越水門を見て反対側(上流)を見た
A地点から瓦葺伏越水門を見たB方面見た
B地点からA方面を見た。反対側(下流)を見た。

昭和4年頃の地図では綾瀬川が見沼代用水の下をくぐっているように見える。
上尾市Webサイトから(観光・文化)(歴史)(あげお写真館)を開くと瓦葺の掛樋について解説がされている。
“ 綾瀬川の上に架けられた橋の上を用水が流れる川の立体交差の掛樋は、享保13(1728)年の完成から昭和35年まで使われていました ” とある。

昭和22年の空中写真を見る。綾瀬川の上を見沼代用水の橋(掛樋)が架かっている。
昭和36年の空中写真を見る。昭和35年まで使われていた橋(掛樋)がまだ撤去されずに残っている。
あげお写真館のこの写真は昭和30年代前半に赤矢印方向に撮ったのだと思う。
昭和50年の空中写真を見る。

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