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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

さいたま市域と原市を結ぶ昔の道

2019年12月01日 | 日記
西尾市岩瀬文庫のウェブサイトから大正13年発行「日本交通分県地図 其九 埼玉県」を閲覧する。
大宮町、岩槻町、上尾町と表示された辺りを見る
図例には道路が3種類(国道・府県道・町村道)に区分されている。
この地図で府道というのは東京府道だと思う。

現在のさいたま市と原市町を結ぶ県道は3本(黄で示す)ある。
その内2本は大宮方面と原市を結ぶ道である。
中山道と原市町を結ぶ道を黄で示す
この道のルーツは弘化元年(1844)東都近郊全図この道(黄)にあると思う。
2017年08月14日ブログで私は明治18年頃の地図に中山道と原市町を結ぶ道を赤で示した。
この道は原市往還とか原市道と呼ばれた道だと思う。
日本交通分県地図のこの道(黄)と似ていると思う。

日本交通分県地図に描かれたもう1本の大宮方面と原市を結ぶ道を黄で示す
大宮町の高鼻で交差している道は岩槻新道だと思う。
2017年04月09日ブログで私は昭和4年頃の地図に原市新道と思われる道を赤で示した。
日本交通分県地図のこの道(黄)と似ていると思う。
先ほどの昭和4年頃の地図に原市往還とか原市道と呼ばれた道を描くとこのようになると思う。
日本交通分県地図のこの2本の道と似ているが、中間の三差路付近が異なっているように見える。

日本交通分県地図の原市町から南東方向に延びる道(黄)を見る。
南で突き当たった道は岩槻新道(緑で示す)だと思う。
昭和4年頃の地図に岩槻新道を緑で示す
日本交通分県地図に黄で示した道の近くに表示された地名を青丸で囲む。
昭和4年頃の地図にそれらの地名を青丸で囲む
日本交通分県地図に黄で示した道は昭和4年頃の地図に黄で示した道だと思う。

弘化元年東都近郊全図には日光御成道から分かれて原市まで延びる道(黄)が描かれている。
昭和4年頃の地図にその道を黄で示すとこのような道になるかも知れない。
東都近郊全図に見沼代用水東縁、見沼代用水西縁を青で示すとこのようになると思う。
昭和4年頃の地図にも同様にするとこのようになると思う。
東都近郊全図に赤丸で囲んだ地名に対応する地名を昭和4年頃の地図に赤丸で示す。

東都近郊全図に緑丸で示した場所は昭和4年頃の地図に緑丸で示した場所かも知れない。
そうであれば、そこは現在地図ここ(緑丸)だと思う。
2017年2月そこ(高台橋)で原市方面を見た。

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