昨日のブログは岩槻駅東口からこのように歩いて児童センター入口交差点で終った。
今日は昨日の続きを綴ります。
児童センター入口交差点を右折し、すぐの三差路を左折する。
Y字路を左折すると、左手に西光寺さんが見える。
西光寺さんを通過し、三差路を左折する。振り返る。
突き当たりの交差点を左に寄って直進する。右を見る。
直進して振り返る。
交差点で左を見る。
私は右折し、三差路を左折して振り返る。
右手の駐車場の場所を2015年8月ストリートビューで見る。
北に進み、丸山記念総合病院バス停前で振り返る。
三差路を右折し、岩槻グリーン薬局さんの前で振り返る。
丸山病院さんの入口を通過しながら右を見る。
丁字路に突き当たって右を見る。振り返る。左折する。
右にカーブして振り返る。
十字路で右を見る。左折する。
道路右側が狭まって振り返る。
新町通りに出て左を見る。
右折して振り返る。
右の更地を通過して右折する。
新成寺さんの駐車場に入ると井戸のようなところがある。「奉納 石燈籠寄付者一同」と刻まれているようである。井戸ではなく石燈籠の台座だったのかも知れない。
反対側から見る。
後方には丸山記念総合病院さんが見える。
新成寺さんの本堂を見る。
神亀酒造さんの酒樽。
もとの道(新町通り)にもどって左を見る。振り返る。
北に向かい、左手駐車場越しに東横INNさんを見る。
信号交差点を直進して振り返る。
ここで右を見る。
浮城食堂さんを通過し、ここで振り返る。
丁字路で右を見る。振り返る。左折する。
ここ(三差路)を右折する。2014年2月ストリートビュー。
青いトタン塀から黒い板塀になって振り返る。
2016年9月ストリートビュー。
左手の岩槻図書館・岩槻本町公民館は大規模改修(建築)工事をしている。
通過して振り返る。
右手の裏小路標柱の右側面の解説を見る。
岩槻藩遷喬館案内板を見て、復原された遷喬館を見る。
児童センター入口交差点からこのように歩いてきた。
2011年の秋、私は埼玉県指定史跡岩槻藩遷喬館を見学した。
切妻造りの門を入ると左手に館員の詰所があって、正面は玄関である。
土間で靴を脱ぎ、式台に上がる。
パンフレットに間取り図がある。
右上の玄関、式台と入って四畳は取次の間になる。
四畳の下の六畳は座敷・教師控室である。
庭を見た。きれいに手入れされていた。
間取り図に六畳から左下に向かって矢印がある。それはパンフレット掲載のこの写真を撮った向きである。
赤矢印の向きで撮るとこのようである。
この写真は奥から撮った。
十五畳と九畳が教場で、長六畳は納戸である。勉強机は普段納戸にあって、授業の時だけ教場に運び出していたそうである。
館員の話しではこの柱の欠損は刀傷だと言われているという。文武両道の教育をしていたから刀の痕が残っているのではないかというのである。
奥から庭を見た。
今日は昨日の続きを綴ります。
児童センター入口交差点を右折し、すぐの三差路を左折する。
Y字路を左折すると、左手に西光寺さんが見える。
西光寺さんを通過し、三差路を左折する。振り返る。
突き当たりの交差点を左に寄って直進する。右を見る。
直進して振り返る。
交差点で左を見る。
私は右折し、三差路を左折して振り返る。
右手の駐車場の場所を2015年8月ストリートビューで見る。
北に進み、丸山記念総合病院バス停前で振り返る。
三差路を右折し、岩槻グリーン薬局さんの前で振り返る。
丸山病院さんの入口を通過しながら右を見る。
丁字路に突き当たって右を見る。振り返る。左折する。
右にカーブして振り返る。
十字路で右を見る。左折する。
道路右側が狭まって振り返る。
新町通りに出て左を見る。
右折して振り返る。
右の更地を通過して右折する。
新成寺さんの駐車場に入ると井戸のようなところがある。「奉納 石燈籠寄付者一同」と刻まれているようである。井戸ではなく石燈籠の台座だったのかも知れない。
反対側から見る。
後方には丸山記念総合病院さんが見える。
新成寺さんの本堂を見る。
神亀酒造さんの酒樽。
もとの道(新町通り)にもどって左を見る。振り返る。
北に向かい、左手駐車場越しに東横INNさんを見る。
信号交差点を直進して振り返る。
ここで右を見る。
浮城食堂さんを通過し、ここで振り返る。
丁字路で右を見る。振り返る。左折する。
ここ(三差路)を右折する。2014年2月ストリートビュー。
青いトタン塀から黒い板塀になって振り返る。
2016年9月ストリートビュー。
左手の岩槻図書館・岩槻本町公民館は大規模改修(建築)工事をしている。
通過して振り返る。
右手の裏小路標柱の右側面の解説を見る。
岩槻藩遷喬館案内板を見て、復原された遷喬館を見る。
児童センター入口交差点からこのように歩いてきた。
2011年の秋、私は埼玉県指定史跡岩槻藩遷喬館を見学した。
切妻造りの門を入ると左手に館員の詰所があって、正面は玄関である。
土間で靴を脱ぎ、式台に上がる。
パンフレットに間取り図がある。
右上の玄関、式台と入って四畳は取次の間になる。
四畳の下の六畳は座敷・教師控室である。
庭を見た。きれいに手入れされていた。
間取り図に六畳から左下に向かって矢印がある。それはパンフレット掲載のこの写真を撮った向きである。
赤矢印の向きで撮るとこのようである。
この写真は奥から撮った。
十五畳と九畳が教場で、長六畳は納戸である。勉強机は普段納戸にあって、授業の時だけ教場に運び出していたそうである。
館員の話しではこの柱の欠損は刀傷だと言われているという。文武両道の教育をしていたから刀の痕が残っているのではないかというのである。
奥から庭を見た。