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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

国道463号起点あたりの明治の道

2016年07月23日 | 日記
2016年07月08日ブログで私は国道463号起点を歩いた。
ウィキペディア国道463号には通称「越谷街道」は神明町交差点~さいたま市浦和区仲町交差点とある。国道になる前の県道浦和越谷線も起点はここだったのではないかと思う。

国道463号起点を現在の地図に赤丸で示す。
このあたりを明治13年の地図で見る。
右側を拡大して元荒川を青で示す。現在もこのあたり(青)の流路は変わっていないように見える。
神明橋ここ(赤丸)に架かっているが、明治13年の地図ではこのあたり(赤矢印)だと思う。橋はないと思う。元荒川の西に神明祠がある。越谷市のサイトから越谷の歴史年表(昭和40年代)を見ると、昭和45年12月に神明橋が開通という記事がある。

2016年07月08日ブログで私は浄光寺さんを見た
現在地図の浄光寺さんと明治13年地図の浄光寺さん。

ところで大正初期の地図を見ると東武線が描かれており、現在の北越谷駅のところに「こしがや」駅がある。
そして昭和4年頃の地図では現在の北越谷駅のところに「ぶしうおほさわ」駅があり、「こしがや」駅は隣りの駅である。
ウィキペディア北越谷駅の年表によれば以下のとおりである。
1899年(明治32年)8月27日 - 越ヶ谷駅として開業
1919年(大正8年)11月20日 - 武州大沢駅に改称
1956年(昭和31年)12月1日 - 北越谷駅に改称

明治13年の地図の左側を拡大して日光御成道から越谷方面へ分岐するところを赤で示す
その場所を現在の地図に示すとここ(赤)になると思う。日光御成道から右に分岐する道は急な下り坂で貝殻坂と呼ばれている。2012年12月撮影の貝殻坂写真

明治13年地図の山形のカーブを赤で示す。現在はなだらかになっているがここ(赤)に当たると思う。

そうすると明治13年の地図に赤丸で示した3地点は、現在のこの3地点と概ね重なるのではないかと思う。
国道463号起点は明治13年の地図のこのあたり(青丸)ではないかと思う。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』に市内の主要道路についての案内があり、越谷県道についての解説のところで、明治のころの越谷道にも触れられており、“ 大間木、大牧、井沼方を通って見沼西縁用水にかかる附島橋の手前で赤山街道と一緒になり、八丁堤を通っていったん日光御成道へ出てから越谷へ向かっていた ” と記述されている。
私は明治のころの越谷道の、日光御成道へ出てから越谷へ向かう道というのはこの道(赤)ではないかと思う。
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