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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大正期の荒川上流部流域図をみる 8

2023年09月08日 | 日記
荒川上流部流域図に荒川に架かる開平橋を緑丸で示す。
現在地図(Bing)に開平橋を緑丸で示す。
国際日本文化研究センター所蔵大宮(1914年)地図に開平橋を緑丸で示す。
大宮(1914年)地図には開平橋の左に屏風池が描かれており青丸で示す。
ウィキペディア平方町には “ 荒川対岸の現川越市東本宿に飛び地があるが、かつてこの飛び地には屏風沼という水源があった ” との記述がある。屏風沼は屏風池とも呼ばれたと思う。昭和4年頃地図は屏風沼。
マピオン地図を見ると荒川右岸の川越市東本宿と接するところに平方と表示されたところがある。ここが屏風沼(屏風池)の跡地ではないだろうか。
Bing航空写真で見る。グーグルマップ航空写真で見る。オフロードビレッジウエストポイントと表示されたところだと思う。拡大する。

荒川上流部流域図に荒川と入間川が合流するところを青丸で示す。開平橋の上流である。
現在地図に荒川と入間川が合流するところを青丸で示す。開平橋よりかなり下流である。

荒川上流河川事務所のサイトから(荒川を知ろう)(荒川上流部改修100年)(改修の歴史)(改修の歴史 その1)ページの入間川との合流点改修を見る
合流点改修工事は昭和29年(1954)に完成したとある。

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから昭和36年(1961)の空中写真を見る。荒川の旧流路(青)が見えている。
赤で示した道は昭和36年空中写真に黄で示した道だと思う。その道は入間川の新川開削によって分断されたが、入間大橋に迂回してつながっている。
昭和49年(1974)12月の空中写真を見る。建設中の開平橋が見える。

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