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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

江戸時代の絵図に「書かれた」荒川

2020年11月29日 | 日記
埼玉県立図書館ウェブサイトの(デジタルライブラリー)(埼玉県立図書館デジタル化資料一覧)(絵図)から武蔵一円大絵図を見る。出版年は1825年(文政8年)とある。

中山道の荒川から大宮までを見る。
中山道を黄で、荒川を青で示す。この絵図にはここから北は描かれていない。
荒川についてはこのような案内文が書かれている。
「水源ハ秩父郡大瀧ヨリ出谷々諸水落合榛澤男衾兩郡ノ間ヲ流來リ西ノ方横見東ノ方足立郡ノ地方ヲ流葛飾郡隅田村ニテ隅田川トナル」
この絵図に描かれた荒川を北端から江戸湾まで青で示すとこのようである。

絵図の案内文には、“ 水源ハ秩父郡大瀧ヨリ出 ” と案内されている。
迅速測図で荒川の水源をみてみようと思って上流に辿っていったが、藤谷渕村で地図は終わっていた。現在の長瀞町だと思う。
ヤフー地図で埼玉県と長野県、山梨県との県境方面を見る。右に秩父鉄道三峰口駅があり、その左に秩父湖がある。
秩父湖付近を拡大すると荒川が表示されている。
秩父湖の西に荒川が延びている。
その荒川を西に辿っていくと川又で二方面に分かれ、右は川又発電所から入川渓谷夕暮キャンプ場へ延び、左は滝川になる。右が荒川になると思われるが名前の表示がない。
入川渓谷夕暮キャンプ場方面を拡大して辿っていくと青色の川が消えてしまった。縮小するとその先も川は続いているのだが・・・。

ウィキペディア荒川(関東)には、“ 埼玉県、山梨県、長野県の三県が境を接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、奥秩父)に源を発し ” とある。先ほどの地図に甲武信ヶ岳はあった。
ウィキペディアによれば、荒川の源流点は2つの説がある。また、荒川の起点は源流点とは別にある。

荒川上流河川事務所ホームページの(荒川を知ろう)(荒川上流部改修100年)(荒川紀行)から「1 荒川源流点・起点 ~東京湾への遥かなる旅の始まり~」を開く
荒川源流点と荒川起点の2地点が表示された案内地図を見ると矢竹沢と荒川の表示がある。
先ほどのヤフー地図に矢竹沢の表示があり、荒川起点は青矢印方向になると思う。

秩父観光なびサイトから観光スポットの奥秩父大滝 滝マップを見る。一級河川荒川起点とその周辺を拡大する
ヤフー地図に一級河川荒川起点を黄丸で示すとここだと思う。

武蔵一円大絵図には、“ 水源ハ秩父郡大瀧ヨリ出谷々諸水落合 ” に続き “ 榛澤男衾兩郡ノ間ヲ流來リ ” と案内されている。
荒川は榛澤郡と男衾郡の間を流れているというのだが、ウィキペディア榛澤郡によれば、“ 1896年(明治29年)4月1日 - 大里郡・幡羅郡・榛沢郡・男衾郡の区域をもって、改めて大里郡が発足。同日榛沢郡廃止 ” とあり、ウィキペディア男衾郡によれば、榛澤郡と同様、大里郡発足によって男衾郡廃止となった。
迅速測図は明治初期から中期にかけて作成されたもので榛澤郡と男衾郡の時代である。
迅速測図で榛澤郡と男衾郡を見ると荒川の両側にある。
現在の地図のこの辺りだと思う。

武蔵一円大絵図には、“ 西ノ方横見東ノ方足立郡ノ地方ヲ流 ” と案内されている。
ウィキペディア横見郡によれば、“ 横見郡(よこみぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった郡 ” で “ 現在の比企郡吉見町 ” とある。
迅速測図で荒川の西に横見郡、東に北足立郡と表示されているところを見る。右側に中山道があり、北本宿村の表示がある。
現在の地図でJR高崎線北本駅の西を見る。
荒川の西に久保田新田という地名がある。
迅速測図にもその地名がある。
迅速測図の荒川の青で示した部分は現在の青で示したこの川に引き継がれているように思う。
現在の地図を縮小し、西の比企郡吉見町と東の鴻巣市、北本市との境界線を青で示す
迅速測図を縮小し、荒川の青で示した範囲は先ほどの境界線と概ね重なると思う。

武蔵一円大絵図には、“ 葛飾郡隅田村ニテ隅田川トナル ” と案内されている。
迅速測図で荒川を下流へ辿り、南足立郡で荒川を見る。
その川を下流に辿ると隅田川の表示になる。
緑丸の文字隅田村で近くに南葛飾郡の表示がある。
隅田村と表示された場所(赤丸)を現在地図に示すとこの辺り(赤丸)ではないかと思う。そこは墨田区墨田になる。

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