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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昔の県道大宮志木線と上落合通り

2018年10月28日 | 日記
2015年09月27日ブログで私は大正9年認定埼玉県道67号大宮志木線の大宮~与野間のルートを昭和7年大宮町全図にこのよう(赤)ではないかと書いた。
その道を現在地図に示すと概ねこのようになると思う。
2018年10月11日ブログで私はこのような道を綴った。南の赤山通りから国道17号上落合交差点までの道は概ね昔の県道大宮志木線に重なる道だと思われる。
現在のその道には上落合通りの標示板が設置されている。


昭和63年発行『与野市史 通史編 下巻』に掲載されている昭和4年ごろの上落合を見る。
県道と表示されている道がそれだと思う。
昭和4年ごろに赤で示した道は現在この道と概ね重なると思う。
昭和4年ごろの県道で緑で示した区間は現在の上落合通りの緑で示した区間に当たる。
この区間は道が変わった。

昭和21年の空中写真を見る。新旧の道が存在した。
昭和4年ごろの県道(旧道)はこの道で、現在の上落合通り(新道)はこちらの道である。
現在の地図に旧道を細い線で描くとこんな感じだと思う。

昭和4年ごろ地図には旧道から大宮方向に延びる細い道(農道かもしれない)が描かれている。
明治14年の地図を見る。赤で示した道が大正9年認定埼玉県道67号大宮志木線の前身だと思う。
昭和4年ごろの赤で示した道は明治14年地図のこの道になるのではないかと思う。
旧道から細い道が分岐するところを現在の地図に描くとこのようになると思う。
昭和4年ごろの上落合には分岐点の東側に火の見と駐在所が表示されている。
平成22年さいたま市立博物館発行 『さいたまの製糸』所載の渡辺組大宮製糸所全景写真を見ると火の見櫓らしきものが見える。

江戸時代天保期の上落合村絵図を見る。
下の赤い水平線が赤山通りだと思う。左右の川の名を入れ、寺社名が逆さまなので書き直す。
現在の地図にそれらを表示する
県道(旧道)だった道(赤太線)の前身はこの道ではないかと思う。

上落合村絵図にある観蔵院は現在存在していないと思う。
明治初めに埼玉県が編纂した地誌「武蔵国郡村誌」の上落合村には古跡として観蔵院跡があり、“ 縦七十六間三尺横四十間面積三千五十二坪村の西方にあり新義真言宗本郡与野町円乗院の末派なり明治四年廃寺となる風土記に落合山延命寺と号す中興の僧鏡宥明暦二年二月廿一日示寂す本尊大日を安す又観音の像一軀あり秘仏なりと云作詳ならずとのす ” と記述されている。

上落合村絵図の寺社を緑の直線で結ぶ
現在の地図にその線を真似て描く
観蔵院があった場所は火の見櫓があった場所の北側か?
コメント
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