たたかう!?たかちゃん!行動日誌

たかちゃんの小さな小さな行動をはじめとした、様々な活動の記録です。

反核平和の火、久喜・白岡・蓮田を駆ける(予告編?)

2013年08月07日 22時37分35秒 | 反戦・平和
第26回埼玉反核平和の火リレーが、
久喜・白岡・蓮田を駆け抜けました。


久喜市に対して要請文を読み上げる管理人。


久喜市庁舎前での要請行動。

酷暑と言っても過言でないなか、
誰一人の脱落もなく、
無事に完走して経由した自治体に、
あらゆる核廃絶と平和行政推進の要請をしました。

打ち上げも盛大に行われ、
本来的な意味なら「来年こそない」訳ですが、
行われた場合には来年も完遂する確認がされました。

そんなわけで、
あたしもダメダメですので、
詳細は明日にということで…

久喜地区原爆絵画展のご案内

2013年07月24日 10時32分29秒 | 反戦・平和
ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展が久喜でも開かれます。

広島の被爆者小林岩吉さんが、
1945年8月6日の惨状を描いた1枚の絵を
NHK広島放送局に持ってこられました。
1974年のことです。
これを機に、市民の手で原爆の絵を残す運動が始まりました。

埼玉県内でも各地で実行委員会が結成され、
毎年、その絵画の一部をお借りし、
広島市・長崎市、県、市・教育委員会、新聞・TV各社の後援を受け、
「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」が開催されています。

久喜地区での開催は以下の通りです。
今年は会場が、東公民館に変更になっています。

日程 7月29日(月)~8月3日(土) 9時~17時
   ※8月3日(土)は16時まで

場所 東公民館1階エントランス・展示コーナー

内容 広島市民が描いた原爆の絵画展示

入場料 無料

主催 原爆絵画展久喜地区実行委員会

後援 久喜市・久喜市教育委員会

問合せ 同実行委員会事務局(市役所1階職員労働組合内/内線5808)

みなさんのお越しをお待ちしております。

沖縄慰霊の日

2013年06月23日 12時09分50秒 | 反戦・平和
今日6月23日は、
第32軍の牛島司令官と長参謀長が、
事後の整理も県民の保護もせずに自決し、
沖縄戦での組織的戦闘が終了した日とされています。

そして、沖縄では慰霊の日とされ、
沖縄戦全戦没者追悼式も摩文仁で行われます。

あたしも、2005年に慰霊の日に沖縄へ行きました。
その時の様子を紹介させていただきたいと思います。

県内各地では、早朝から慰霊の準備が行われています。



ひめゆりの塔にも多くの千羽鶴が贈られていました。





行政や通信をはじめとした働く現場でも多くの犠牲者が出ました。





平和の礎で祈りをささげる方々。



沖縄戦全戦没者追悼式の会場



憲法を改正することは、
沖縄の戦後の苦しみや努力を無にすることだ
というツイートを拝見しました。

戦争の惨禍を繰り返さない、
基地のない平和な沖縄・日本が求められています。

九条の会・久喜 駅頭宣伝活動に参加しました

2013年06月21日 19時59分59秒 | 反戦・平和
九条の会・久喜では
毎月第2水曜日に久喜駅西口で
街頭宣伝行動を行っています。

私たち社民党久喜総支部のメンバーも
九条の会に加入して、様々な行動に参加しています。

今回の駅頭は、
6月12日が雨だったために、
日程を改めて行ったものです。



街頭宣伝では、
久喜総支部の船橋代表もマイクを握りました。

当然、幹事長の川辺よしのぶ
マイクを握り、「絶対に戦争はいけない」と強く訴えました。



若輩者のあたしも、
先日、閣議決定された「自殺対策白書」から、
多くの若者が勤務問題や経済問題で自殺していることから、
憲法25条や27条を絡めてマイクを握らせていただきました。

来月は参院選のからみでお休みになるかもしれませんが、
どうぞお見かけの際には、チラシを取っていただき、
ご声援をいただけると励みになります。


そうそう、
本日でブログ開設3,000日めだそうです。
途中の放置期間が長かったですからね。

こんなあたしのブログでも、
100人位の方には見ていただけているようです。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

沖縄復帰の日に思う

2013年05月15日 08時20分49秒 | 反戦・平和
今日、5月15日は沖縄が日本に「復帰」した日です。

あたしにとっては五・一五事件より、とても印象深い日です。

ちなみに森元首相が
「日本は天皇を中心とした神の国」
と発言したのも、5月15日でした。

あたしが初めて沖縄の土を踏んだのが1997年。
平和友好祭の「被戦地オキナワ青年の旅」でした。
そこで知る、沖縄の真実に驚かされましたし、
地元の方のバイタリティーにも驚かされました。

その後は、2年に1回ほどのペースで沖縄を訪れ、
平和行進や現地での交流に参加しました。

基地経済依存という思い込みを払拭する、
読谷や那覇新都心など、
目覚ましく発展を続ける街がある一方で、
普天間をはじめとする米軍基地にあまり変化はありません。

那覇港などは、空き地にポツンとトラックが1台なんて光景も見かけました。


初めて沖縄に行ったときに一番印象に残った言葉があります。
それはバスガイドさんの、最後のあいさつでした。

「今回は平和学習ということでいらしていただき、
米軍基地の実態学習や戦跡巡りがメインでしたが、
本当の沖縄は自然が豊かで遊ぶにはもってこいの島です。
ぜひ、今度は遊びにいらしてください」(概要)

このガイドさんの、言葉は今でも響きます。



安心して暮らせる沖縄。
安心して遊びに行ける沖縄。

そんな沖縄にしていくのは、
沖縄だけでなく、あたしたちの課題でもあるのではないでしょうか。