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谷やんの ”まなブログ”

最近思う事・自動車全般・ムフフ話・など自分の今思う旬なネタを題材に社会派で迫ります。

円タク

2007-11-22 | 自動車全般

円タクとは昭和初期のタクシーの事である。

大正12年の関東大震災をきっかけに、自動車の利便性が注目され、タクシー業界が旗揚げされた。
当時は乗車料金もバラバラでトラブルも多く、市内一律『1円』と料金改定し定着して行ったようだ。
その料金とタクシーを略して『円タク』と呼んだ。

私の祖父は東京で”円タク”を経営していた。
以前は神田で旅館業を営んでいたが、関東大震災で焼失してしまい、その権利を売却し、資金を元手に信濃町でタクシー屋を始めた。
当時としては自動車自体が珍しい時代である。
信濃町はお屋敷街で、顧客にも事欠かない時代だ。
当時の車種はシボレーで起業当初は運転手も多く順調であったようだ。
しかし、車という物は毎年型式が変わる、つまりはニューモデルの登場なのだ。
顧客も型式遅れの車種を嫌い、ニューモデルに乗りたがる。
結果、旧モデルを下取りし、新型を購入することになる。
しかし・・・
当初十数台あった車は、ニューモデルの入れ替えをするたびに、台数が減っていく。
また当時は料金メーターなんて物は無く、運転手の申告する日々の売り上げも信憑性のないものだった。

経営も逼迫してきた、ある冬の朝・・・
祖父は、寒さでエンジンのかからない車を、クランクで始動しようと頑張っていた。
全部のエンジンをかけ終わったときから体の様子がおかしくなり、寝込んでしまった。
元々、体の弱かった祖父はそれから入院し、腎臓の病気も併発し、終戦間際に帰らぬ人となった。

私が幼い頃、祖母からそんな話をよく聞かされた。
祖母は自動車の事は興味無かったようだが、祖母なりの感想を聞かされた。

フォード?!
フォードなんて田舎臭くってお客は乗らないからねぇ、シボレーじゃなきゃねぇ・・・
当時はおばあちゃんも助手で乗って、おじいちゃんに色々連れてって貰ったもんだよ。
そうそう、当時の車はよくシャフトが折れてね~
運転手の所へよく駆けつけたもんだよ。
当時の車は、ときどき、逆ピストンで大きい音がしてねぇ・・・

明治生まれの祖母からそんな言葉が出てくるたびに、私は驚きの表情で話を聞いていた。
祖父は、新し物好きで博学だったと聞かされている。
特に自動車などの機械ものに興味が大きかったようで、自ら経営者となって采配を振るっていた。
しかし、経営とはまた別物だったようだ。

祖父の血を受け継いだ父も、異例の車好きだった。
どうやら、私の車好きは遺伝なのかも知れない・・・

(写真は江戸東京博物館のHPより借用)
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650

2007-10-14 | 自動車全般

エンジンのシリンダーは円柱形である。

その中で上下運動を繰り返すピストンの一番頂上の到達点を上死点、そして一番下を下死点といい、その体積がシリンダー容量で、×気筒数でエンジンの大きさが分かる。
しかし、シリンダーは球形のため合計を計算した体積は、必ず端数になる。

オートバイなどは、125ccや750ccなどと中途半端な数値をエンジンのカテゴリーにしている。

1975年、自動二輪は段階免許制度が施行され・・・

50cc・・・・・・・・・原動機付き自転車
~125cc・・・・・小型自動二輪限定
~400cc・・・・・中型自動二輪限定
400cc~・・・・・限定解除
(1996年より名称が更に変わる)

となった。

私が中型二輪の免許を取得したのは1984年。
その頃は750ccなどの大型二輪は少数派で、仲間達も殆んどが400cc以下のオートバイに乗っていた。

なぜ400ccで区切ることになったのか、今だに理由を知らない・・・
当時の400ccのバイクは同型の輸出モデルになると550ccや650ccにスケールアップされていた。
実は、この550cc~650ccクラス、日本の道路事情にすごくマッチした大きさだと思う。
車体的には400cc、そして非力感のある心臓部に1.6倍のエンジンをスワップすると、日本の勾配の強い山間部、比較的Rの強いカーブでは本領を発揮するのだ。
750ccは車体が大き過ぎる、あまりにも大陸的だ。
あの、ほど良い大きさの車体にもうちょっとのパワー・・・
これが日本でオートバイを楽しく感じさせる大きさなのだ。

しかし、今の各メーカーのラインナップを見ても、このクラスはあまりにも車種が少ない・・・

人間の欲望は、より大きなパワーを求めて、なにか大事なものを見失っている気がする・・・

あの、CBX550 FX550 GS650G よ・・・

今、あなた達の子孫は何処に行った・・・・?!

(写真は本田技研工業より借用)
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最低地上高

2007-10-05 | 自動車全般

70年代から使われる言葉で、車高を落とした車の事を「シャコタン」という。

正確に言うと車高ではなく、最低地上高を下げた車両を指すわけだが、いつからかシャコタンという響きは不変のものとなった。

事の発端は、日本グランプリやツーリングカーレースなどの市販車改造、俗に言う「ハコ」のレースで、コーナリング中のロールを抑えるため、車体中心の「重心」を下げる事により、コーナーでの踏ん張りを強化する改造だったのだが、極端に最低地上高の下がった車は、見た目で若者の気持ちを掴み、みんな競ってシャコタンに改造した。

競技車の足回りは、強化スプリングと強化ショックアブソーバーなどにより、絶妙なセッティングを施されレースに出場したのだが・・・
街を走る若者のシャコタンは、単純に車高が落ちればよいので、危険な挙動を示す車も多かったのだ。

例えば、リーフスプリングは、数枚を抜き取ったり、上下逆に付けてみたり。
コイルスプリングは、鋼を焼き戻してスプリングをカットしたり・・・
中にはノーサスなんて車も存在した。
現在では車種に合ったスプリングが、相応のテストドライバーによって煮詰められ製品化されているが、当時はそんな気の効いた商品は存在しなかった。

また、当時は市販車の最低地上高も現在よりずっと高かった。
理由は、当時の道路事情にもある。
40年代は、現在に比べ舗装率も少なく、戦前からあるような道路は、たとえアスファルトでも爆撃による陥没などが散見された。

現在のセダンと呼ばれる自動車は概ね150mm
スポーツタイプは120mm
40年代は180mm前後であった。
ちなみにシャコタンは、ショートピース丈。

しかし、いかがなものだろう。
最低地上高を下げる事による、見た目の「凄み」は演出できるのだが・・・
街を走るのに苦労する事は多々多い・・・
踏み切りの通過は、直線では腹を摺るため対角線でジグザグ走行。
縁石などにはヒットしやすいし、車の傷みも早い。

レガシー、アウトバックのような、200mmの地上高を見ると、健康的にさえ感じてしまうには私だけだろうか?!
アイポイントが上がると、視野が広がり安全運転もできる優れものなのだが・・・

シャコタンは、今だに若者の文化のようだ。
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日本式デザイン

2007-10-02 | 自動車全般

日本の自動車のデザインは欧米車の2番煎じと言っても過言ではなかった。

70年代、若者を魅了した、トヨタセリカ・リフトバック。
これは米国車、フォード・ムスタングを模倣しているように見える。
60年代の日産セドリックも、デザイン的には50年代のシボレーに見て取れる。

もともと、戦後の日本は自動車後進国であり、欧米に追いつけ追い越せと日進月歩で、デザインはアメリカ、技術的にはヨーロッパに準じて進化してきた。

日本車のお家芸は故障しないものを、如何に安く作る事が出来るか、であった。
その意味では、世界一になったと思う。
しかし、独創性、デザイン力、コスト意識を超越した良い物作り、という意味においては一概にいいとは言えない・・・

過去には日本式デザインとして独創性のある日本ならではの車が存在した。
その名は、「プリンス・グロリア」。
この車、神社仏閣スタイルだと言われている。
その頃の日本の高級車はアメリカビックスリーの乗用車の流れを汲んでいたのだが、例えばグロリアのボンネットの先端部の曲線は神社の瓦屋根の先端部の曲線にも見えるし、ライトのリング辺りも繊細な工芸品のようだ。
顔つきからして、洋ではなく、「和」を感じさせる。

もともと、プリンス自動車工業は、技術的にも独創性のある意会社であった。
リアの車軸回りの形式である、ド・ディオンアクスルなども、当時としては珍しく、その後日産と合併した後にデビューした510ブルーバードの4輪独立懸架は、この車軸周りを踏襲しているように見える。

今は無きこの「プリンス自動車工業」
現存すれば、日本の自動車の進むべきベクトルも違った方向になっていたのかもしれない・・・

最近ではインテリアにおいては、日産のティアナは日本デザインの良い所を演出している。
でも、一歩進んで、シートの素材なども、モケットなどに拘らず、西陣織などを使ってみても面白かったのではないか?!
実際、一時期のプリンス車には、西陣織が使用されていたのだ。

日本には建国200年少々のアメリカには逆立ちしても届かない、日本文化の長い歴史がある。

物づくりにおいて、日本人は日本の良さを忘れてはいけない・・・
日本古来のデザイン素材は世界に通用するのだから・・・
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ギヤの唸り

2007-09-28 | 自動車全般

昭和50年位までの自動車は今よりもずっとノイズを発していたような気がする。

例えば、タペット音、カムチェーン音、吸気音に排気音など、どれもやかましく、耳障りな音も多かった。

しかし、私の中では一つだけ気に入った音がある。
それは、ギヤの唸り音だ。
言葉や文字では形容しづらいのだが、「キーン」とか「ウォーン」という類の音だ。
私が子供の頃は、マニュアルトランスミッションの車が多く、ギヤとギヤの背面の合わさる干渉音が大きかった。
特に負荷の除かれた、エンジンブレーキが掛るような状況のときに例の「キーン」という音を聞くと、なぜか気持ちが落ち着いた。

今日、車を運転していると、珍しく例の「音」を拾った。
追い風で、風きり音も少なかったのが良かったのだろう。
時速90~100km/hで走っていると、トランスミッションのあたりから、篭もるように「キーン」という音が聞こえてきたのだ。
懐かしい音に、しばしの間、音を楽しんだ。

ここ40年ほどで自動車は劇的な変化を遂げた。
日進月歩で進化してきた自動車は機械である事を忘れたように、故障の皆無、操作性の簡略化、メンテナンスフリー化などを達成してきたのだが、私はこのような車には何故か魅力を感じない・・・
誰でも操作の出来る、メンテナンスの少ない車はある意味理想なのだが・・・
操作する事への自負もない。
機械を熟知する必要もない・・・
それは単なる移動の道具に成り下がってしまったような気がする。

昔のように、機械の動きを感じながら・・・
人間の五感を使って機械の様子を伺う。
自動車との対話とでも言ったらいいのだろうか?!
そんな感性も今は必要がないのだろう。

今日、ギヤの唸りを聞いて、少しだけ機械である存在感を感じさせてもらった。
私は少々音のする車の方が好きのようだ。

(写真は日本ギヤ工業HPより借用)
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